「児童虐待」は時代の変遷と共に淘汰される可能性を秘めている

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世界保健機関の報告で「全ての大人の〇人に1人は子供の頃、体に虐待を受けた経験を持つこと」を、あなたは知っていましたか?


2017年2月1日

友達と東日本橋にある「わなびばKICHEN333」でランチをした時、くじ引きで当選した景品が可愛いお手玉だった。それを見た瞬間に「ばあちゃんにプレゼントしたい!」と思った。






2017年 春


「ばあちゃんに会いたい!」


仮にドラえもんの「どこでもドア」でばあちゃん家の前に着いたとしても、

ばあちゃんは今までと同じように「自分の家さも行がねぇどなぁ」と言うに違いない。

ばあちゃんにだけ会う方法があったら、それが1番楽で嬉しいのに…両親に会うのは義務感だ。ばあちゃんを心配させないための努力だ。



「私は本当に彼らを許したのだろうか?」


地元警察にお世話になったよしみで両親と会う時に警察に付き添ってもらうことは可能だろうか?

そうすれば互いに感情的にならず理性的な話し合いができるかも知れない。否、そんなことで警察の仕事を増やすのは迷惑だろう…行く前はそんなことばかりを考えていた。


帰省する数日前、IFFのTwitterにこのような記事が書かれていた。


母は死んだもの、今の母はその亡霊と思えるくらいがいい。実家で母に会ったら深々とお辞儀をしてご焼香の真似をしてから会話します。


なかなか面白いアイデアだと思う。虐待をしていた頃の過去の母親は既に死んでいる。今、目の前にいるのはその亡霊なのだ。死者に対して生きていた頃のことを話しても覚えていないかも知れない。そしてうちの場合は母親のみではなく父親と妹にも適用できる。

まるでアダムス・ファミリーじゃないか!!


※無料画像をお借りしています。

アダムス・ファミリーとはアメリカの漫画家チャールズ・アダムスの1コマ漫画です。後にアニメ・テレビドラマ・映画・ミュージカル化されています。


簡単に説明するとホラーコメディ!まさにうちの家族にピッタリ!


他にも考えさせられた言葉は


あなたの頭の中には「ふつうの人」と言う理想郷がある。「ふつうの人」「他人」対「自分」(不幸に生まれついた人)という対比を手放すことはできませんか?自分の価値を信じることは自分にしかできません。



つまり自分の中にある「ふつうの人」「ふつうの家族」「ふつうの親子」これらの理想が強いと、そこから外れていると感じることで、自分がいかに不幸かと思い更に自分を不幸にしてしまう。

「ふつう」という理想像を手放した時、例えば虐待をした自分の親の中にもふつうの面があるかも知れないと多角的な視野を持って相手を観察できる。それと同時に虐待をした親の子供である自分に対しても「ふつうに世の中に存在している人の中のひとり」だと客観性を持つことができる。



サバイバーズスターと言う児童虐待当事者可視化活動をされている方々のTwitterに世界保健機関の報告で

「すべての大人の4人に1人が子供のころに虐待を受けた経験を持つ」と述べられている。

国の違いにより数値のバラつきはあるだろうが、世界中の大人の4人に1人が虐待を受けた経験を持つと考えると、


私たち虐待を受けた者はマイノリティではない。むしろ多数派なのだ。


自分の家庭環境を恥じる必要はなく

まして自分の人生を悔んだり自己の存在を否定する必要は全くないのだ。




むしろ辛い過去を生き延びてきたあなたを心から誉めて欲しい。例え他人に言えなくても気づかれないとしても、自分だけは自分の最高の味方として心の底からあなたの人生を称賛して欲しい。


「これまでよく耐えて生き延びてきましたね。たくさんのことを我慢して生きてきましたね。」

「だからもう、あなたは苦しまなくていい。もっと自由に楽しく幸せに生きていいのです。」


大丈夫、あなたは決して独りじゃない!



虐待を受けたことのない方にも児童虐待はとても身近なことだと認識してもらえたはずだ。

例えばあなたが職場の同僚と4人でランチを食べたり、趣味の合う友達と4人でお茶をしたり…日常的にありふれたシチュエーションでその中の1人は子供の時に虐待を受けた経験を持つことになる。


私たち虐待を受けた者は社会の中に当たり前に存在しているのだ。




想像して欲しい。虐待を受けた者が本当に犯罪を犯す危険性が高いのであれば

世界中の大人の4人に1人は犯罪者となる。全世界の多くの国が犯罪大国となってしまう。


確かに犯罪を犯した人の中には虐待を受けた経験を持つ者もいるだろう。しかし虐待を受けていなくても犯罪を犯す者も存在するのだ。

当事者のあなたはもう偏見に怯える必要はないし



虐待を受けていないあなたは、相手のそのままの姿を普通に見て接して欲しい



そして今まさに児童虐待の当事者として自分の子供に手を上げている大人や、虐待を受けている多くの子供達の平和を願った時、我々多くの大人たちの心の中に解決への糸口が見えてくるのではないだろうか。






2017年5月3日

「今度地元に帰る時は、必ずお姉さんにだけはメールします」

そう約束をしたにも関わらず、誰にも連絡をせずに帰省した。帰省と言うよりは連休のスケジュールの一部に地元へ行くことを組み込んだのだ。

昨年ばあちゃんの家で聞いた話では昨年9月頃に彼らは復興住宅に引っ越したはずだった。私はその住所を知らない。夫と二人でじいちゃんのお墓参りをしてから、ばあちゃんの家に向かった。


ばあちゃんはお客さんと三人で話をしていた。兄ちゃんが奥の部屋で昼寝をしようとしていて、お姉さんは仕事だった。増上寺で買った線香を仏壇に供え八戸で買ったお菓子を出してから話していると

「家さは行っだが?」と言われ曖昧な感じで

「…帰りには行く」と言うと

「やっぱり自分の家さば行がねぇどなぁ」と1人のおばちゃんが言った。

みんな虐待のことは知らない。そう考えるとありふれた普通の会話なのだ。しばらくするとおばちゃん達は2人とも遠慮したように帰っていった。

高崎の富岡製糸場で買った絹のストールとシルクの石鹸と、

そして「わなびばKICHEN333」で貰った景品のお手玉をばあちゃんに渡した。

「これは、お手玉だよ。当たった景品なんだよ。ばあちゃんにあげたくて持ってきたんだよ。」

そう言うと嬉しそうにばあちゃんの顔がパっと華やいだ。

「しばらぐやっでねぇがら、でぎっかな?」

と言いつつも始めからお手玉を3つ手に取り、落とすことなく上手に遊び始めた。

「あ~でぎだ!できだ!」

とても嬉しそうな顔を見れて私も嬉しかった。

ばあちゃんが倒れて入院した時のことを思い出し少し泣きそうになった。こんなに元気になってくれて本当にありがたかった。



お姉さんが仕事から帰って来て復興住宅に行くようにとまた言われた。住所を知らないので教えてもらい道順を言われたが街並みを覚えておらず目印になるものや建物の特徴を言われても何一つ分からなかった。

「ナビに登録すればそのまま行けるから大丈夫です」そう言った時

「んだけど、ばあちゃんもあだらしい家になっでがらしばらぐ会ってねぇがら、一緒に行ぐがなぁ」と言い出した。身体は大丈夫なの?倒れた時みたいに急に具合が悪くなったらどうしよう?と心配だったが

「一緒に行ぐがら乗せでってけろ。」と楽しそうに笑って言った。

「じゃあ、ばあちゃんと一緒に行ってきて。ばあちゃんをお願いね」お姉さんもそう言って送り出してくれた。


助手席に乗るように言ったのだが後部座席に乗ると言うので、ばあちゃんに後部座席に乗ってもらい復興住宅に3人で向かった。ちゃんと道を覚えていてナビがなくても大丈夫なように道案内をしてくれた。

私は心配で何度か後ろを振り返り声をかけたのだが、その度に楽しそうにしているばあちゃんを見て「こんな日が来るなんて本当に良かったなぁ」と思い、油断すると何度も涙が出そうになった。



復興住宅の敷地に着くと

「こござ止めろ、こごだがら。こご!こご!」と駐車禁止の張り紙が張られている所を指差してきた。

「でもここの壁に駐車禁止って書いてるよ。車を止めてはダメって書いてあるよ。」

置かれている赤い三角コーンにも駐車禁止と紙が貼ってあると説明したのだが

「いっづもこごさ止めでんだがら大丈夫だ。こご、こごだがら」と言いながら後ろから勢いよく指差してきた。

その手が私の顔や眼鏡に直撃するのだが、それさえもばあちゃんが元気な証拠なのでとても嬉しかった。

とりあえず根負けして駐車禁止の場所に一旦車を止めてから、ばあちゃんと一緒に彼らの住む部屋へ向かった。


「ばあちゃんが先に立ってた方が面白いよ」と、ばあちゃんを盾にして部屋の中へ入って行った。


復興住宅は今まで住んできた所より立派で綺麗だった。

被災後、仮設住宅に住み復興住宅の抽選が当選し、彼らは今ここに住んでいる。

私がお世話になった地元警察に咎められた様子もなく普通の市民として彼らは今、ここに存在している。

部屋の中もそれなりに整えられ、それなりに物も充実し、それなりに生活しているようだった。


仮にこの部屋の様子や彼らの顔写真を撮って何のヒントも与えずに他者に見せた時、きっと多くの人が彼らを普通の人だと認識するだろう。

むしろ私の両親だと言わなければ、自分の子供に長年虐待を繰り返してきた人物とその家であるとは見抜くことができないだろう。

虐待の記憶を取り戻してから彼らの負の側面ばかりを見て来たが、彼らにも普通の人間としての面もあるのだと少しずつ理解しようと思った。


私は視界に入る部屋の様子を客観的に観察しながらしっかりと見た。


目の前の部屋の壁には、ばあちゃん家の庭で生まれたばかりの妹を抱いている私が写っている…幼い子供たちの写真が飾られていた。

この写真は虐待された家の壁にもずっと飾られていたものだ。その隣に父親に刺されそうになったねぶたの暖簾がある、あの忌まわしい家の壁にもずっとあったものだ。

恐らくこの時の私たち姿が、母親にとっての理想の子供像だったのかも知れない。そして未だにこの写真を部屋に飾っているのだ。 


現実にそぐわない過去の残像が、今もそこにあった。


その写真を見ながら「ねえさんといもうと」と言う童話を読まされた記憶を思い出していた。

典型的な長女と次女のような内容の本で、姉だから何でも我慢するイメージが今も記憶に残っている。「こんな風に優しいお姉さんにならないといけない」と母親に言い聞かせられ、

何かある度に「何でこんな風に妹に優しくできないの!」と怒られるのだった。

妹がどんなことをしても、妹だと言うことで全てが許された。私はその本の内容が嫌いだった。


同じ部屋の壁の左側には小さなサイズのグラデーションの絵が飾られていた。

下方から一定の幅の茶色の上に水色が上方へと色の濃淡で塗られている。

直感的に被災した海を表現しているのだろうと思った。

あえて確認のために質問してみると、地元の画家が描いた被災した海らしい。

自分で感じ取った色彩の感覚が、そのままの答えだった。



記憶にあるものとないものの混在する空間。

特に懐かしさを覚えることもなく負の感情を抱くこともなかった。

他人の家として見ればどこにでもあるような普通の空間だった。


八戸で買ったお菓子は仙台の萩の月に似ている。季節的に桜味もあったのだが私はりんご味を選び、それを彼ら一人ひとりに手渡した。

お菓子のパッケージには平仮名で「いのち」と書かれていた。

意図的に選んだ訳ではない。何となく違和感を感じたのだ。複雑で悔しいような感情を一瞬、味わったような気がした。


妹の趣味に溢れた物を見ても、地元が千葉だと言う付き合いのある人の話を聞いても、自分とは直接関係のないことだと思った。

この家は私の帰る場所ではないし、彼らがどんな人と付き合いをしていても私には何も関係がなかった。


父親はしきりに夫に何かを話しかけていた。私が視線を向けても1度も私と目を合わせようとはしなかった。それすら、本人の自由意思だ。

後で夫に確認すると山に大きな立派な木があって、その木がいかに素晴らしいのかをずっと説明していたらしい。そんなくだらないことを話していたのかと呆れた一方で、未だに山に行っているのだとも感じた。なぜなら子供の時に色々な山や川に連れて行ってもらったからだ。

山の木のことを延々と語るのは夫には理解し難いことだったが

「とりあえず気を遣ってくれていたのは伝わってきた」と言っていた。


ダイニングテーブルの上には「どこから持って来たのだろう?」と思う石が飾ってあった。聞いてみると母親が津波後の職場の駐車場に埋まっているものを見つけ、上司の許可を得てもらってきたらしい。

「きっとどごからが流されできだんだど思う」

そのセンスを理解できない。そう言えば虐待を受けた家の自殺論のおさめられていた本棚の中にも

「〇年〇月〇日 ○○川にて」などど文字を書いた紙を貼っていくつかの石を並べていた光景を思い出した。


彼らは基本的に変わってはいないのだ。


この家にあるものや話の細部で良くも悪くも過去を思い出したり、飾られている絵がどんなものかを確認する前から感覚的に理解してしまう自分は、確実に彼らの血を引いているのだ。それは紛れもない事実だ。

そして彼らがいなければ、こうしてばあちゃんと巡り逢うこともできなかったのだ。


彼らは平和に生きている。新しく綺麗で安全な環境に住み、知人と普通に近所付き合いもあり、山の木や石の話をするくらい平和に生きている。

あえて言うのなら長年犯罪を繰り返してきたことを警察に知られたにも関わらず、何も咎められずに普通の一般市民として多くの人と同じようにここで生きている。



私は十分に自分を責め続けてきた。

虐待の記憶を取り戻す前から自己の存在を否定し、

精神異常の両親の血を引く自分を「早く自然死してしまえばいい」と呪い、

犯罪者の両親の血を自分の代で絶つために「子供を産めない身体になりたい」と自分の性を呪い、

自分を汚い人間だと下卑し自分で自分を苦しめ続けてきた。

そこにもう、何の意味も見いだせないのではないか?


彼らが平和に生きているのに、虐待を受けた側の私が自分の人生を苦しめ続けることに何の意味があるのだろうか?


妹がキャラクターもののキーホルダーをくれると言ったのだが、私はキャラものが好きではない。

「40だから要らない」と言ったら

「年なんが気にするひづようはないべ」と違う意味に取られてしまった。

とりあえず興味のないキーホルダーをもらった。夫にもあげたものを夫はその場でビニールがついたまま自分の鞄につけていた。


ダイニングテーブルには母の日のシールが貼られ包装されたお菓子が置かれていた。彼らはこの地でごく普通のありふれた日常生活を送っているのだ。

私はこの地の住民ではないしこの家の構成員でもない。過去の呪縛に生きることほど馬鹿げたことはない。そして彼らがこれからも虐待をしたことを認めるか否かに関わらず


「私は私の人生を認め、私の人生を生きるのだ。」


彼らが私にしたことは「私の人生のシナリオにとって必要なことだった。」それだけなのである。


もちろんこれは「生きたからこそ言える想い」だ。



この発言の陰には多くの失われた命の存在があり、目には見えない多くの命に支えられ、私はこの文章を書いている。



私が虐待を受けたことを認めるのは自分だけで充分なのだ。

…自分自身と、大好きなAちゃんとMちゃんと、PTSDの時の先生とセラピストと、夫と、虐待の記憶を思い出してから信じてくれた友達や知り合いと、SNSにアップした記事を信じてくれた方々と、取材・撮影をしてくれた写真家の長谷川美祈さんと…


このSTORYS.JPの記事を読んでくれているあなたに信じてもらえるだけで充分過ぎるくらいだ。











この記事を読んでいる虐待を受けたあなたに言いたいことは

周りの人に言えなくても大丈夫です。そしてこれだけは忘れないでください。


「あなたは決して独りじゃない」


身近に同じ境遇の人がいると感じられなくても、あなたが思っている以上に同じ経験をした仲間は沢山います。目には見えなくても…

過去にどんな虐待を受けてきたとしても


「あなたは生きる価値のある存在です」



「あなたの尊厳を本当の意味で傷つけることは他の誰にもできません」



「あなたの存在価値を認め、あなたの尊厳を守り、あなたの心の傷を癒し悲しみや苦しみから解放するのは、あなた自身にしかできないのです」


例えどんなに辛く苦しくても、自分自身のことが嫌いでも、死にたくて仕方なくても、生きることに希望を見出せなくても…

自分の心で感じることを大切にして生きましょう。そして


「もっと自分を認め自分を大切にしてください」





今まさに虐待を受けている子供たちが現実的にこの文章を読んでくれる可能性は少ないと思うが、もし読んでくれる子供たちがいたら伝えたいことはたった1つ。


「あなたを傷つける親から逃げてください!」



傷つけるの意味は「心」と「体」の両方です。


・心の虐待の意味は「言葉の暴力」などです。

言葉は目に見えないけれど人の心を深く傷つけます。言葉の暴力を受けると生きる意味が分からなくなったり、自殺したくなることもあります。

他の兄弟との差別、無視、自分の人格を否定されるような言葉、目の前で親同士がひどいけんかをしているのを見せられて怖いと感じることも、心の虐待になります。


・体への虐待は

①たたく、なぐる、ける、やけどをさせる、首をしめる、おぼれさせる、身動きができないように何かでしばったりする、体を投げ飛ばす など

②あなたが嫌だと感じる性的なこと

性的なこととは、大人(親)があなたの身体の触られると気持ち悪い所・他の人に見せたくない部分に触ったり、逆に触りたくないのに大人の身体に無理やり触らせられたり、見たくない本や映像を見せられたりすることです。

意味がよく分からないけど気持ち悪くてやめて欲しいこと・勝手に触らたりして怖くて汚くて嫌だと思うことです。

・心にも体にも両方に関わる虐待は

ちゃんとご飯を食べさせてくれない、具合が悪くなったりケガをしても病院に連れて行ってくれない、洗濯をしない汚い服を着せられる、お風呂に入らせてくれない、家や車に閉じ込める、家から追い出す など

あなたのお父さん・お母さんが上に書いたことをしている時は、あなたは親に虐待を受けていることになります。あなたの親は大人だけど心が未熟で幼い部分があります。




子供のあなたが感じることの方が正しいこともあります。


学校に相談できる先生はいますか?

近所のおじさんやおばさん・お兄さんやお姉さん、友達のお父さんやお母さんで相談できる人はいますか?

あなたの家の近くにある「こども110番」のできるお店や近所の家を知っていますか?

あなたの家から1番近い警察署や交番はどこですか?

児童相談所という場所を知っていますか?

市役所のおじさんやおばさんにも相談しても助けてくれるかも知れません。



あなたが今、大人に助けてもらおうとしていることは自分の命を守るために大切なことです。



勇気を持って誰かに助けを求めてみてください。






…その空間に1時間もいたのだろうか?

ばあちゃんが突然「んじゃ、そろそろ帰っぺ」と言い出した。

夫が「えっ?もう???」と面食らったように答えた。

私は心の中でこの場を離れられることに安堵していた。


妹が奥の部屋からナッツ入りのチョコレートを持って来て母親に「これあげてもいいよね?」と言うように視線で問いかけ、母親は無言で頷いた。

近視の強い瓶底みたいな眼鏡をかけていたはずの父親は、最後まで眼鏡をかけなかった。老眼になったからだろうか?それとも目の前の現実を直視したくなかったのだろうか?

久しぶりに見た裸眼の父親の顔は目元が誰かに似ていると思った。

しばらく観察し…それが……自分の顔であると気がついた。

否、そうではなく父親の目に私が似ているのだ。




地元のお酒とわかめはばあちゃん家から、リンゴジュースは実家からもらったものです。

※お酒はお姉さんが気を遣ってくれたようです。








世界中の大人の4人に1人が何らかの形で虐待を受けた経験を持つと言うことは、1つの時代の流れの影響を多くの人類が受けたのだとも言えるだろう。

つまりこの国境を越えた事象は、大きな可能性を孕んでいる。

私たちが負の側面から学び真に平和の意識の元に行動を起こした時、時代の変遷に伴い児童虐待をこの世の中から無くすこともまた可能であるはずなのだ。



「禍福は縄をなうが如し」

物事は善と悪に別れているのではなく、あたかも二本の縄紐をなうように複雑にねじれ絡み合って進んでいく。どちらか一方だけを見ようとしても、本質的な真実には辿り着けない。



光(陽)のある所には必ず影(陰)は存在し、影(陰)のある所にもまた光(陽)は必ず存在するのだ。

陰陽は互いに対立する属性でありながらも、どちらか片方だけでは世界は成り立たないのである。


人間の不完全さ・愚かさ・醜さを直視しながらそれでも希望を失わずに可能性を求めて行く時、

きっと解決の糸口の必ず見つかるはずだと、心から信じている。



私たち一人ひとりの心の内に






重いテーマの長い連載を読んで頂きまして誠にありがとうございました。

この文章に出会ってくれた全ての皆様お一人おひとりに心から感謝申し上げます。









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小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

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小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

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