トゥモロー・イレブン・冷やぁ事件

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カナダの公立高校で、私はESL (English as a Second Language) クラスに入ることになった。 国語、数学、社会等、計8つのクラスを受ける必要があるのだが、一般のカナダ人生徒が入るレギュラークラスに対して、英語がまだ完全に出来ない生徒はESLに入るという仕組みである。


これは、Vancouver School Board(バンクーバーの教育委員会の様なチーム)が各校と連携してESLのクラスを管理管轄していた。 移民を受け入れる歴史の国が故に、もう何年も前から、ESLの仕組みはよく統制されていたと思う。


このESLのクラスに入り、英語のレベルがアップすればレギュラークラスに入っていくというスタイルを取る。


 




高校は、グレード10が高校1年生、グレード11が高校2年生、グレード12が高校3年生となり、




「数学はグレード11のレギュラークラスへ編入になった!」




という具合に、8科目中どしどしとレギュラークラスに入っていくのだが、私は見事、全8クラスをESLに割り当てられてカナダの公立高校生活を開始した。




「体は動くでしょ、体育くらいレギュラークラスに入れば?」




という意見があるかも知れないが、想像してみて欲しい。 何を言われているのかわからない生徒が一人ポツンと、右も左もわからずに、バスケやラクロスを団体行動で出来る訳が無いし、やったらお互いケガをするだけだ。 全く英語がわからないという事は非常に危険でもあり、別途目をかけてもらう仕組みがESLである。


 




9月にESLクラスへ初めて登校した日、私は緊張と同じくらい夢描いた未知の高校生活にワクワクしていた。 そこには多種多様なマルチカルチャラルな生徒がいた。 年齢は13歳から18歳くらいとバラバラで、人種もバラバラである。 中国系(香港、台湾、中国本土)、インド、ルーマニア、ポーランド、チェコスロバキア、エルサルバトル、チリ、この辺りの国々の出身者が当時は多かった。 




「日本人の生徒も多いでしょう?」




と思うかも知れないが、不思議なくらいカナダで公立高校に入る日本人は他の人種に比べて少ない。 当時、ビジネスとしての英語学校の様な所では日本人の存在は圧倒的であったが、移民や留学生としての日本人は比較的に少なかった。


当時、カナダで留学生が支払う授業料は、日本の殆どの私立高校よりは安い。 しかし、カナダ人、移民、永住権を取った者は学校が無料である。 留学生になるバリアは、言語というよりも、以下の4点に集約されていた。


 


英訳された過去数年の出身国での学校成績


授業料と生活費が支払えるCashが口座にある事の証明


外国人としてカナダの健康保険の仕組みに入れてもらう手続きとその費用の支払い


現地で身元引受人となるGuardianの存在と信用力とやる気


 


大抵の日本からの留学生は、この4の適切なGuardianを見つける という事に苦労をして公立高校への留学を断念するケースが多かった。


英語が出来ない問題なんて二の次である。 移民を多く抱える国で、それをカナダという国がサポートをする体制が取れているのであるから、留学のバリアとして言語は最大の問題ではなかったのだ。


 




登校初日に授業はなく、簡単な自己紹介、先生の紹介、今後の授業の流れ、そして海外の学園ドラマで必ず個人ロッカーのシーンが出てくるが、あの個人ロッカーの割り当てがされた。 所謂オリエンテーションがこの日のメインであった。




ESLを担当してくれる5名の先生が紹介され、Vancouver School Boardから初日の挨拶に来ていた2名の教師陣がこのオリエンテーションをリードした。 ハッキリ言って、何を話されていたのか95%くらいわからなかった。


英語がわからない。


だが、年下の香港や台湾からの生徒や他の東欧系の生徒達はなんやら英語を理解しているみたいだ。 このオリエンテーションが2時間くらいで終ったのだが、この終わり方が運命的な出来事となった。




"Class, dismiss!"




という先生の言葉で終了したのである。 すると、生徒達は立ち上がり、即帰宅の途につこうとする。 私は一体全体、何がどうなったのか、何故、皆が席を立つのか、どこか別の教室へ移動するのか、今日が終わりなのかも、意味不明であった。


そして生徒全員が去り、教師陣も殆どが去り、2名のSchool Boardの教師と私がクラスに残った。




私は動かざることマウンテン。。




実を言うと学校が2時間のオリエンテーションだけで終わるべきで無いと信じていたのもある。 学校というのが、ましてや高校生がたったの2時間で帰らせてもらうなんておかしいでしょ? という深読みがあったのかも知れない。 


理解不十分の中、何か別の授業があるのに帰宅したら、私は初日早退の不良ジャパニーズ留学生になってしまう。 仮に、大声で




"Finish!"


"Bye Bye!"


"Go home!"




とバカでもわかる感じで言ってくれたら私の耳が聞き取った可能性もあるが、なんやら聞いた事も無い英語の、




"Class, dismiss!"




なんて言葉は知らないし、言われる心の準備も無いし、こんな想定外の言葉を聞き取り解読しようという思考のメカニズムが私にはまだ無かった。


 




私が、動かざることマウンテンの気持ちでずっと席に座っていたら、教壇で互いにしゃべり合っていた2名の先生が居残っている私の存在に気付き、少し笑い交じりで私に何かを言う。 私は感覚として、




「何をしているの? まだ居たの? 帰っていいのよ!」




と言われたのであろう雰囲気を感じ取った。 そこで咄嗟に頭を巡った疑問が、帰るのは良いが、明日は何時にどこに来たら良いのか?という疑問であった。 既にオリエンで話されていたのかも知れないが、聞き取っていないのである。 1:1でちゃんと聞きなおす素晴らしい機会でもある。 この質問を英語でせねばならん。 いつまでも負けてはいられない。


私は身体を振り絞り、




「アァ。 トゥモロー? トゥモロー???」




と投げかけた。 流石にESLの先生である。 状況判断として、この場合の私のコンテキストを悟ってくれたのであろう。




"You can come to the class tomorrow at 11:00 AM."




と私の目を見てゆっくりと聞きやすいカナディアン英語で言ってくれたのだが、初めて先生陣と面と向かって英語で話す場面に緊張してしまい、全く一言も頭で解析が出来なかった。 寧ろ、完全に頭がホワイトアウトして、最早、何を言われても頭が思考を完全ブロックし出した。




貴方に敵意は出していませんよ、ただ、固まってしまったんですよ、私!




と表現したくて、苦笑いの笑顔を絶やさないようにした。




とにかく、もう嫌になるくらい、頭が完全に英語をシャットアウトする。




先生はこの私の苦笑いとシャットアウトまでも悟った。 そして黒板にチョークで丸い時計の絵を書いて長い針と短い針と数字を書いて11:00 AMを指示してくれた。 そして、ゆっくりとした活舌で、


 


"Tomorrow, 11:00 here."


"TOMMOROW, ELEVEN, HERE!"


"Tomorrow, 11:00, here."


"TOMMOROW, ELEVEN, HERE!"


 


と4回繰り返してくれた。 シャットアウトしていた私の頭が時計の針を見て少し落ち着いて再び動き出してくれた。 そして私もジェスチャーを入れて先生のいう言葉を復唱した。


 


「Tomorrow, Eleven, Here」


「Tomorrow, Eleven, Here!」


「Tomorrow, Eleven, Here!」 


 


そして、


 


ビンゴ!!!!


 


「明日、ここに11:00 AMに来い!」




という事が理解出来たのである。


 


これが一生忘れる事は無い、20年以上も前に、私が人生で初めて交わした本物の英会話である。




"kanata" と呼ばれた大地で

006号:トゥモロー・イレブン・冷やぁ事件


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