元不登校生の生い立ち③

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よくある不登校生の話です。大学生〜アルバイト生活編


浪人をして東京の美大へ行くために予備校に行ったが、半年でやめて、アルバイトをして19歳で海外の芸術大学を斡旋している東京の専門学校へ行き、20歳の時にロンドンのファインアートの学校に入った。


英語もろくに喋れず、クラスの1人ぐらいしか日本人もおらず、そんな中、自分とは一体なんなだろう、日本人として自分はどんな作品が作れるのだろうと格闘していた。もともとロンドンに行くつもりもなく、ロンドンという場所がどんな場所かも知らずに、気づけばロンドンに居た。その1年は格闘しながらも、必死に作品を作り、美術館に行っては自分の価値観を変えるような、楽しさに出会い、人生で充実した日々だったかもしれない。


必死に作品を作り続けたかいもあり、学部へのオファーももらえた。ただ、学部に入るだけの英語力が足りず、また自分がアーティストとしてやっていく自信もなく、仕事をするのにもどうしたら良いのか分からず、実家へ戻った。その後、親を説得して、再びロンドンへ戻った。今度は、コースチェンジをして、グラフィックデザインの学部の大学へ入った。英語もなんとか、大学内の試験をパスして、ファインアートの作品しか無いにもかかわらず、ただ就職ができるのではないか、と言うだけでグラフィックデザインのコースに入りたいと志願して、無理にオファーをもらった。


無論、私は自分のやりたいことしか出来ない性格で、自分に興味の無いことが作れない、そんな不器用な人間が、グラフィックデザインが性に合わなかった。また、将来のことも親のことも考えれば考えるほど、うまく行かずに、大学の進級テストにパス出来ず、留年と言う道もあったが、それを選択せずに中退した。その時点で23歳だった。帰国した後は、留学での疲労からか、体にも支障をきたしていた。恋愛、勉強、孤独、といろんなことを経験した留学生活だった。


その後は、地方出身の自分が、東京でアルバイトしながら、自分の好きな絵やデザインを作るという、細々とした制作の道に進んだ。ただ、アルバイトしながら、というのが、時給の安い、生ぬるい販売の仕事を選び、そこでも辞めずに辞められずにぐずぐずしながら、疲弊しながら、約1年半ぐらい働いた。




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