元不登校生の生い立ち⑥

前話: 元不登校生の生い立ち⑤

よくある不登校生の話です。アルバイト編〜現在


西でその会社を辞めてから、前の販売の会社に戻った。先輩と仲が良かった自分は、連絡をしてまたその会社で働けることになった。


ただ、やっぱりそこは、良くも悪くも、時給も安く、生ぬるい環境には変わりなかった。時給も以前居た時よりも、情勢が変わったのか、跳ね上がったが、神奈川に移り住んで、家賃は安くなったものの、以前と変わらない、お金に厳しい生活をしていた。


東京のスタジオを受けに行ったはいいものの、面接でうまく行かず、というよりも、もうそういった仕事をしたい、という気力もなかった。スタジオで働くことは辞めた。その後も、高いカメラの返済に、借金したお金をやりくりするために、お金のために働く生活になってしまった。お金の奴隷として働く道を選ぶと、必然的に身体も不調が出てきて、ギックリ腰や胃腸炎になった。


フリーでやっていたアシスタントの会社から、ブライダル写真の話も沸いて出たが、その話も無くなった。東京でお金の生活に困るなら、地方で住み込みで、写真撮り続けよう、そう思って、いわゆるリゾートバイトで働くことにした。


夏休みの期間だったため、自分と同じ同年代の女の子と働くのは、大変なこともありつつ、楽しいこともあった。しかし、そのあとに一向に減らない20万前後の借金に、もう少しの間だけ、そこで働くことにした。もともとが、パワハラもある職場だったために、一緒に働いていた女の子も期間で辞め、少ない人数できつい仕事を回していたこともあり、心も身体も限界が来て、それを見かねた上司から「もう辞めましょう」と言われ、そうしてここの仕事も終わった。


その後、東京で1週間ぐらい、ネットカフェやゲストハウスを練り歩いていた。自由の身になれたことが嬉しくて、辛いなんてことはなかった。それぐらい、働いてる方が辛かった。1週間も過ぎると、自分が落ち着いて居られる場所がほしい、そう思って、ロフトベッドが1部屋に4台ある、4人部屋の家に移り住んだ。そこは、都心にあり、いわゆるドミトリーの部屋にもかかわらず、管理が行き届いていて、綺麗なところだった。そして、かつ全て込みで4万と格安だった。


しかし、私のあとに入ってきた女性がいわゆる、トラブルメーカーで家に居づらくなった。この時点で27歳で、年をまたぐと28歳だった。また、この時にたまたま声をかけられた男性と行きずりの関係を持ってしまった。そう、最初から私は、この人には妻子がいる、と分かっていて関係を2回重ねた。それぐらい、疲弊した心と安らぎに安堵感をもたらす、この男性に惹かれてしまっていた。


ただ、私が信頼を寄せる、子供を持つ女性から「あなたの魂が傷つくから辞めなさい!」そう言われた時に、本当に私の心に大きく響くものがあった。そうして、この人との関係は終わらせた。その後、ドミトリーで住んでいた部屋も、その女性が出ることになり、かつ自分もまた別の地方の仕事が見つかったため、そこを出ることが出来た。新しい新天地に希望と不安となんとも言えない疲弊感を感じながら、次の仕事についた。


写真を撮るために、お金が辛いなら、高いカメラを手放そう。そう思い、カメラも手放した。これで、借金がチャラになった。全てが新しく入れ替わり、新しい新天地に向かった。


そこでの仕事は、入った瞬間から自分には合わない、と感じながら、なんとなく適当にうまくごまかして、今現在もなんとか、仕事をしている。1年と数ヶ月居る、今の仕事も、半年間は東京と行き来しながら、写真の勉強をする道を見つけて、自分で工面した費用を払い、東京で勉強をしていた。住み込みの仕事ながら、リゾートバイトとは違って給料は安いものの、それでも東京に居た頃よりは、生活も楽になっていた。


しかし、数ヶ月前から、職員が逃げした途端に、急に歯車が狂ったかのように、長くアルバイトとして居る自分に拍車をかけるように、仕事がきつくなり始めた。元がきつい仕事なだけにさらにきつくなっていった。


1人が休むだけでも、誰かに負担がかかる、この仕事。新入社員として入ってきた新卒も多く、新しく入ってきたバイトも年齢層が若く、自分の立場がどうにもならずに、新しく変わった上司とも微妙な関係で、また毎日同じことの繰り返しに、時給も上がらずに、苛立ちと悲しみと怒りがこみ上げていた。それと同時にいろんな問題も厄介なことに起こってしまった。


今月入ってから、急に、逃げ出した職員が帰ってきたのはいいが、別の職員がいきなり休職し始め、辞めたいのに何度も説得させられた自分の立場がまたさらにどうにもならない。早くやめよう、こんなところ、と毎日思いながら、ようやく今月で辞めれる。現在29歳です。自分のこの先の人生どうしよう?客観的に見つめ直して、自分にとって幸せに生きられる方法を今、探してる途中です。

(2017年6月現在)


〜後期〜

不登校の時でも、今でも自分の人生、笑えるぐらいに苦しいのは変わらないのは事実です。自分でも書いていて、必死で苦しい思いをしている自分に、客観的になると笑えてきました。ただ、学校という閉鎖的な場所や、親元離れて暮らして約10年の今は、不登校の当時よりも大分ましです。


苦しい、その度に、

・自分で自分を癒す

・自分の未来に託す

・自分のことを1番に考えてくれる祖母や母親と話す(本当に滅多に話さないため、最終手段ですが)

・自分に無理させない、寝る、何もしない


不登校の時から、未来の自分に希望を持って、自分を諭しながらでしか生きてこれませんでした。


親のせいにして、死んでやる!って何度叫んだかわかんないです。今でも、嫌なことがあると、自分は居なくなってもいいんだって、考える時もあるぐらい、それぐらい不安定な気持ちもあります。


だけど、それが人間なんだ、自分なんだって、肯定しないと生きていけない。叫んでも、怒り狂っても、物に八つ当たりしても、死ぬよりましだって思います。自分が生かされてる事実を知った時に、自分はそんなこと考えるんじゃなかったって思います。


こんなに長い文章を、ここまで長らく読んでいただいて、

感謝いたします。

ありがとうございます。





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