何度堕ちても再生してきた ドラマのようなジェットコースター珍生

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波瀾万丈だ




とよく揶揄されるわたしの珍生




それを面白がってくれる人が少なからずいて


わたしは落ちぶれずに済んでいる








北海道の右側に在する


湿原が有名な地にわたしは誕生した




当時

父は祖父の代から経営していた清掃会社を継いで社長として忙しく動き回っていた

かと思ったら趣味の社交ダンスにも没頭していた



数年後には自ら社交ダンス教室を造ってしまったのである!!



現在、60歳を過ぎてもなお

ロータリークラブの理事と清掃会社の経営の

二足の草鞋を履いている


母は専業主婦


とは言え

忙しい父に代わってわたしたち3兄弟を育て上げ

父を手のひらで転がし会社を大きくさせ

祖父母の介護もし、最期まで看取った最強主婦である


10歳くらいまで父の両親と同居していた



わたしがこの世に誕生して1年半後、年子で妹が生まれた

妹の2年後、弟が産まれる

今は亡き弟




父は経営者


母の祖父母も経営者を経験しているという


生粋の自営業家系に恵まれたわたしは



自らも起業の道を歩むことになるのは必然だったのだろうか



みんな普通の会社員という枠に縛られたくない


がために自分で会社を興した人たちである



好きなことしかしていないのである
根っからの自由人なのだ(笑)




わたしの中にある自由奔放さ、バイタリティーはもはや遺伝である




小さいときから

好奇心旺盛で

じっとしていない子だった

耳が聞こえないのに

よく気が利く子だった


当時のわたしの様子を決まって



薫はねぇ

目を離したすきに一瞬でいなくなるんだもの

ある日は道路に飛び出して

トラックにひかれかけたりー

知らない人と話してたりー

いつも冷や冷やして

そのうち死んじゃってもおかしくないと思っていたわ・・・

ま、最後には追いかけるのも諦めたわ

でもあなたは強運を持っていたのよね


と話す薫ママ(笑)



聾学校という耳が聞こえない人を専門にしている学校があり

小学校に入るまではそこで言葉の訓練を受けていた



口の形を読んで話していることを理解する

発音の舌の使い方

息の使い方

日記を書く

言葉の勉強


など生活していく上では困らない会話力を習得した

おかげでマンツーマンでの会話をこなし


こうして文章も書く

本が大好きでたくさん読んだ

今でも読むのは大好きで苦にならない


新聞も読み漁った

特に事件記事が好きだった

この事件はどのようにして起きたのか

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