《6話 ラスト》最愛の母を亡くすまでの最期の時間 〜1歳児の子育てをしながらがんセンターに通った日々〜

その日は母が愛した父と

本当に仲が良かった母のお姉さんが

病室で母と泊まる日だった。

お母さん、大好きな2人と居て本当に安心して眠りについたのか、

父とお姉さんがおやすみなさいの挨拶を交わして寝出したとき、

看護婦さんが心電図の異変の知らせに急いで部屋に入ってきたそうです。

父からの話によると

最後母の涙がつたい、

口を2度ほど動かそうとしていたと。

きっと「ありがとう」「さようなら」と言おうとしたのではないかと父は言っていました。

私は自宅にいて父からの緊急電話で母が息を引き取ったことを知り、旦那の前で泣き崩れた。

心臓がずっとバクバクして、

嘘であってほしいと思いながらも、月の光がその日も綺麗で。

もういないことを母に代わって月に教えられた気がして、

「ずっとこうやって見ているから大丈夫。」

「悲しまないでね。」と母に言われた気がした。

お母さんはもうあっちに行ってしまったんだと

悲しくてその場から動けずにずっと月を見ていた。

最後の日に母は

動けない、

話せない、

目も開けない、

ただ酸素の吸入器が動いているだけのそんな状態だった。

実は亡くなるその日の朝

そんな状態だった母が突然

両手を差し出し

目を見開き

満面の喜びの笑みをしたと。

私はそれを目撃できなかったけれども、

その一瞬の出来事を妹が目撃し後に教えてくれた。

私たち家族はそれが何なのかがわかった気がした。

きっとお母さんが大好きだった両親(私のおじいちゃんとおばあちゃん)がお母さんの前に現れてお迎えに来たんだと思った。

お母さん人生全うしたから

お迎えに来たんだなと。

大好きだった両親に会えたんなら

お母さん嬉しかったかな..などと自分勝手に考えてみたり。

私もいつか死んでも、

お母さんや先に亡くなってしまった大好きな人たちに会えるんなら死も怖くないなと思えるようになった。

お母さんが遺してくれた家族やお友達が

私にたくさん力をくれる。

家には母のお友達、父のお友達、私のお友達やその親までもがお線香をあげに来てくれたり、今も尚毎日のように、お花やお手紙、御供え物がいろんな人から届く。

ゆきちゃん大丈夫?とお母さんのお友達をはじめ、心配してくれる人が沢山いてくれる。

あれから2ヶ月経った今も、

空いた心はまだ塞がらずにポッカリ。

まだそのときから時間が動いていないような気すらする。

孫をあやすおばあちゃんたちの姿を見ては一緒にいられてうらやましいなと思ったり、

母親の歳くらいの人を見ては母を思い出して無性に会いたくなってしまったり。

やっぱりまだまだ時間はかかりそう。

子供のときから

大好きな人を失くすって考えただけでも恐ろしかった。

母親だなんて究極に失いたくない人で、

大好きな親を失くすのだけは耐え難いだろうな…と思っていたのに、その究極を今体感して。

でも確実に一緒に過ごした時間や存在した証、

母に愛されてきた証がここにあるから。

有難いな、

幸せだな、

感謝だな、が沢山沢山溢れてくる。

お母さんが亡くなってから1日たりとも思い出さなかった日はなかった。

本当にいなくなっちゃったのかな?と思うとき、その度に母の元気な姿から、辛い闘病生活、最期一緒に過ごした時間、火葬場、法事…と振り返り

『あ...本当にいなくなっちゃったんだ』と実感する。

でも私は私の世界一のお母さんの子だから。

強いから大丈夫だよ。心配しないでね。

と伝えたい。

残された私たちはお母さんのぶんも

元気に健康に幸せに生きていかなくてはならないね。

そして、私がいつか死んだ時には

娘にも旦那にも姉妹にも

家族をはじめ友達にも...

お母さんのようにどこまでも想われ、

大切に惜しんでもらえるようなそんな存在になれたらいいなと思ったんだ。

お母さん、大好き。

本当にありがとう。

おしまい。

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