第12話「アメリカの洗礼」⭐︎夢を諦めている人へ!コードも読めないアラサーの私がプロのジャズシンガーになるまで⭐︎

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バークリーには、

実に様々なレベルの学生がいます。


そもそも、

ミュージックビジネスや、音楽教育、音楽療法、エンジニア、など、

プレーヤー志望でない人も沢山いるので、

そういう人たちは、何もそこまで演奏技術がなくても良いわけなので、楽器や歌の技術と言う意味でのレベルは本当に様々です。


そして、私のように、


自分のレベルはさておき、

「バークリーに来ればなんとかなる!!」

と言う、

超絶他力本願な人も、少なからずいるのではないかと思います(^^;;


私は、

「自由の国」での学び方について全く無計画、無知で、

本当に、「バークリーに行けばなんとかなる」と思ってました。


授業の取り方から、もうカオス。


『履修要項』って言う分厚い冊子は、暗号同然に、

何が書いてあるかわからなかった((((;゚Д゚)))))))


もう、ボストンに着いて数日で、英語力のなさに打ちひしがれたのでした。


訳がわからなくても怒涛の様に、

校内でのレクリエーションとか、銀行口座開設とか、着いて1週間で予約してたドミトリーを出なきゃ行けなかったので、住むアパートを探さなきゃだったりとか、

とにかく、この着いて1週間で、

爪がね、


そう、

爪が、ボロボロに脆くなったんです。

身体と精神不安って繋がってるんだなーって、

思いました。

私の場合、特にボストンに着いて3日間くらいで数年分老けたと思います..


今思うと、多少お金がかかっても、英語のプレスクールに行くべきでした。


専門課程の授業が始まる前の数ヶ月で、英語での生活をし、時差ボケなどを修正、身体を異国に慣らすことや、

まして、海外旅行もろくにした事がなかった私のような人は、


一通りの失敗や経験を積んで(学校以外の!)

スーパーマーケットで食料品を買ったり電車に乗ったり、住む部屋を契約するとか、部屋に電話を引くとか、窓にカーテンかブラインドを付ける、とか...これ全て私がまずつまづいた事ですが、

そう言う事をやる時間をしっかり取って、

やっと生活が落ち着いてきたところで授業が始まるくらいでないと、

ほんっとに凄まじく大変な事になります。

セメスター(一学期)の半分くらい、白目で過ごす事になります。


私は、


とにかく、アメリカに渡る直前になって、

今行くべきか?を悩み始めてしまいまして、

(多分、オーディションに受かった辺りで、だいぶ満足してしまったのだと思う)

でも、とにかく決意したのだからと、

自分を、半強制的にアメリカに送り込んだ、みたいな状態で(^^;;


ほんっとに、行けばなんとかなると思って、なんの準備もままならないま、無知無謀な状態で、学校が始まる3日前くらいにボストンに着いたので、

かなり、

そう、

かなりのアメリカの洗礼を受けました。



まず、


空港に着いてすぐその洗礼はやって来ました。

引っ越し同然の、生活の全てが入ったスーツケースがない。

手荷物受取所で、待てど暮らせど

回ってこない。

最後に私だけが残りました。


迎えに来るはずだった、唯一頼れる日本人の知り合いの迎えも来ない。


英語もほとんど喋れないし、話しかけても、

今日はもう遅いから明日もう一度来いみたいな事早口で言われ、

他はなに言ってるかわけわからない。

海外での公衆電話のかけ方も知りませんでした。


今思い出しても、心細くて泣けてくる...(;ω;)


初めてのボストン、初めてのアメリカの洗礼でした。


旅慣れている人は、

トランジットで飛行機に荷物が間に合わず載らない事もある事、

を知っていたかも知れませんが...

海外旅行など、一度ツアーで経験しただけの私にとっては、かなりのパニックでした。


着いたら泊まる予定になっているドミトリーに、既に滞在している日本人の知り合いが迎えに来てくれる事になっていたのに、来てない。


「なんとか彼女に電話しよう、そしてこの危機をなんとか乗り越えなければ!」


高額紙幣しか持っていなかった私は(日本で忘れずに、小銭や少額紙幣に両替しましょう!!)

とにかく今何とかして一本電話をかけるための小銭が要るのだ!と、

何カウンターだったかわかりませんが

カウンターの中の人に頼みました。

ちょっとビックリした感じで、お札を小銭に代えてくれ、

親切に、電話にはこのコインを使うのよ、と教えてくれた。


今はもうスマホや携帯、

空港にはフリーのwifiもあるし...困ることは無さそうですね。

この10数年で時代は激変ですね(^^;; 



通称、クオターと呼ばれる25セント硬貨を握りしめ、

何とかその友人に電話をかけ、話す事が出来ました。


関西弁の彼女は携帯をもっており!

電話に出るなり、

「ごめんなー、友達の引っ越し手伝う事になって今友達んとこにおって、行かれなくなってー!タクシー拾って来てー」


ほんまかいな(°_°)

とエセ関西弁で突っ込みたくなりました。


海外でタクシーなんか乗った事ないし!

なんか治安もよく無さそうだし、

怖いじゃないのー(;ω;)

だからあれほど頼んで迎えに来てもらえるようお願いしてたのに_| ̄|○

どこか変なところに連れ込まれたらどうしてくれんのよー!!と心で叫び、

しかし電話口では、大人を装い(友達は深夜でかなり面倒くさそうだったし、今思うと、タクシー代を出すのがきつかったんだと思う)


恐る恐るタクシー乗り場へ向かおうとして、

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