大学に入り、15ヶ月で中退したあたりの話

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子供の頃から漠然と「大学までが義務教育」って思ってたが、高校時代から成績はどんどん落ちていった。


1浪の末「子供の頃に行こうと思ってた大学」とは異なる神奈川のとある私大に受かったので入学することに。とりあえず大学に受かったし、なんとなく「これで一段落」と思った。


文学部はメインのキャンパスとは違う場所にあり、こじんまりした雰囲気だった。毎日学校には行くが、授業には気分次第で出たり出なかったり。ラウンジで友達と話したり、芝生でサッカーや野球をしたり。とても楽しかった。


既存のサークルには所属しなかった。新歓コンパには出てみたがノリが合わなくて。でも、大学のメンバーとサッカーサークルを作ったり、高校の同級生とインカレを結成して、渋谷で50~60人くらいの飲み会を開いたりした。



夏休み入ってすぐ。丁度そのインカレの飲み会が予定されてた日。昼過ぎまで寝て、起きてみると父親に「ここに座れ」と神妙な顔つきで呼ばれた。何かわからないかったが、ただごとでないことを一瞬で悟った。父親から「ウチの会社は倒産した」そう切り出された。そして「このお金でしばらく暮らしてくれ。俺はしばらく姿を消す。」と言い、10万円を手渡された。「え、どういうこと」と聞き返すのが精いっぱいだった。2週間くらいして父親は帰ってきた。いろいろと考えることがったのだろう。


悪夢のような夏休みが終わり、後期が始まった。前期以上に遊んだ気がする。家に帰るのが嫌だったのかもしれない。そして春休みがやってきた。大学生は休みが多い。二ヶ月ある春休みはバイトに費やした。警備員のバイトを始め、フルにシフトを出した。二ヶ月の間、多くの時間を勤務地である芝浦埠頭で過ごした。高校時代、NECの本社でバイトしてた時に見ていたレンボーブリッジ。それから3年くらいしか経ってないけど、違う橋のように見えた。


二ヶ月で45万円を稼いだ。これは学費の半期分に相当する。これで夏までの学費はなんとかなる。夏休みにまたフルで働けば後期の学費にはなる。これを繰り返せば学費問題は片付く。しかし、それでいいのだろうか。大学に通う意味はなんなのか。正直わからなくなった。


結局僕は前期の学費納入期限である6月25日まで遊ぶことにした。遊ぶだけではない。授業もこれまでより出席するようにした。そして、6月25日、大学の学生課に退学届を提出し、学生証を返還した。実にあっさりとした手続きだった。



「なんで僕ばっかりこんな目に合うのだろうか」と思う事もあった。他責的だった。子供だった。けど、今では「良い思い出」に昇華されているし、短かった大学生活にもかかわらず友達もでき、今でも会ったりしている。短かったけど、かけがえのない時間だったなぁって思っています。



そのうち大学に再度入学したいなぁって思っています。今度はちゃんと勉強するぞ!

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大柴 貴紀

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