つぶれた産婦人科に泊まった話:

 そう言えば、唐突に書き始めちゃったのでクロスウィンドについて説明してなかったので、簡単に紹介。


 クロスウィンド(Crosswind)は1970年代後半に結成されたフュージョンロック系のインストバンドでした。リーダーはギタリストの小川銀次。彼は後に RC サクセションに参加し、「雨上がりの夜空に」等で演奏していました。


 バンドはメジャーレーベルから、3枚のアルバムと1枚のサントラを残して解散。私は3枚目の「そして夢の国へ」とサントラ「俺たちの生きた時間」(いずれもキティレコード)に、キーボードとして参加していました。


 ここいくつか書いているバンドの話は、この3枚目のアルバムが出た頃の実話です。レコード会社からアルバムを出したと言っても、会社の社長からは「アルバムは出してあげるけど、宣伝はしないからね」宣言をされたおかげで、貧乏ツアーをやるハメに陥ったりと色々人生経験を積ませていただいたわけです。


 クロスウィンドは、こんなサウンドだったりして...


 では今回は、とっても怖かったお話...


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 大概の場合、貧乏なバンドのツアーは泊まる場所に苦労する。前の書き込みにもあるように、関西方面のツアーの時には神戸のラブホテル(死語)にタダで泊めてもらう事が多かったんだけど、毎回というわけにもいかない。


 で、その時は、どういうわけか大阪のステージ終了後、バンドメンバーの知り合いが経営していたという産婦人科の建物に泊めてもらったのである。


 この ”経営していた” という過去形な所がポイントで、ようするに廃院になった産婦人科なのである。廃墟ブームの今なら喜んで行く物好きもいそうだが、その頃はただ怖いだけの場所だったわけだ。


 泊まったのはその2階にある宿直室。バンドメンバー5人(女性1人を含む)とマネージャー、ミキサー、ドラムのそうる透のボウヤが2人、お手伝いの女の子が一人の10人ほどが雑魚寝なのである。部屋自体はふた部屋続きの日本間で、10人分の布団もギリギリ敷けるくらいの広さはあった。


 廃院の宿直室なので布団などないわけで、これは東京から持ってったんだけど、楽器を満載した2台の楽器車に、さらに10人分の布団を詰め込むって、もう効率悪いのなんの。「誰だ、タダだからって廃院に泊めてもらおうなんて言い出したバカは!」と言ったってもう遅い。


 で、宿直室だけど電気も水も出る。なのでお風呂にも入れるし水場もある。が...よりによってトイレだけ水が出ない! そこでトイレに行きたい人は、一度建物の外にある階段を降りて旧病院内のトイレに行く必要がある。


 当時は、今のようにそこらじゅうにコンビニがあるなんて便利な時代じゃなかったし、病院のある場所も駅からは近くて車の通りは激しいけど人通りはほとんどない、という寂しい場所(近所には「パパとママの店」という名前のビニ本(エロ本)屋があったので、近辺に住んでいた人は場所を特定してみてくださいね!)。


 したがってコンビニに飲み物でも買いに行きつつトイレを貸してもらうなんて技も通用しなかった。もう、決死の覚悟で廃院のトイレに行くしかないのだ。


 さらに困った事に、病院の方はトイレの水は出るけど電気がつかないという二者択一な状態で、トイレに行くにはロウソクと懐中電灯を持って行くしかない。


 そこで、とりあえず夜中に車でファミレスまで出向いてトイレに行き、廃院に戻ってからは水物を取らないように我慢して朝まで頑張るという作戦を思いついたのだが、なにせ時期は8月下旬で暑い上にあんまり効かないクーラーのせいで、ついつい水分を取ってしまう。おかげで深夜にトイレに行くハメになる...


 みんなで明るいフリをしながら会話をしていたが「やっぱトイレ行きたいよね?」ってな話になるわけだ。しょうがないのでトイレに行きたい決死隊を結成してロウソクと懐中電灯を手に階段を降りる...


 廃院になった産婦人科はガラ〜ンと広い。足元を見ると、床には病院だった頃の部屋を仕切っていたパーテーションのあとが残っている。「きっとここが廊下だったんだよね。あ、ここが診察室かな? アッ!!!」なんて、人の後ろを指差す、お調子者のベーシストがいたりして困ったものである。


 広いフロアは、電気がついていないと室内の端まで見渡せない。手元の明かりと、時おり外を通る車のヘッドライトに照らされてボャ〜っと見える廃産婦人科の隅には絶対に何かいそうな気がする...


 

 「みんないるよね〜」と励まし合いながら用をたす。女の子だって我慢してこのトイレに行くしかないわけで、男子を伴ってトイレまで行き「そこにいてよね〜!」と叫びながら用をたすわけだ。スカトロファンの男なら喜びそうなシチュエーションだが、残念ながら怖くてそれどころじゃあなかった。


 さあ寝るか、と布団を敷いたのが4時近く... やっと布団に入ったと思ったら真横をJRの高架線が走っていて一睡も出来ず状態だった。



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 さて、つぶれた産婦人科に泊まって、その後大丈夫かっていうと...以下、続く...


 翌日はツアーバスで京都の銀閣寺横にあったライブハウス「サーカスサーカス」まで移動。このツアーバスがまたいわく付きで、ボロだったため高速道路走行中にエンジンの部品を道路にぶちまけた。メンバーが走行中の高速道路後方で火の手が上がったので見たら、自分の車の部品が燃えていたという由緒正しいツアーバスだ。


 もっともその前に使っていた楽器車は飯田橋を通過中にいきなりクラクションが鳴りっぱなしになり、走りながらハンドル周辺の配線を引っこ抜いて音を止めたり、ラジエーターから水が漏れるので移動中は常にペットボトルに水を満タンにして走っていたという悲惨な物だった。


 で、霊の祟りかどうか分からないが、私はサーカスサーカスでリハが終わって食事してたら気分が悪くなってバッタリいってしまった。仕方がないので本番前まで駐車場に止めたクーラーなしの楽器車で熟睡し、なんとかライブを終えられた。銀閣寺の駐車場で蝉の声を聞きながら汗だくになって寝たのは中々思い出に残る出来事ではあったが、出来ればもう二度としたくない体験でもある。



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