毒というほど毒でもないが、微妙に微妙な母と私の物語

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母と私

簡単に言って、私と母の間には確執がある。

どうも私と母は性格が合わないらしい。

そうと気づいたから、十数年前、わざと遠方の会社に就職して家を出た。

そして色々あって、今は連絡のやりとりもない。

そんな私と母の話。

なぜこのような溝が生じたのか。

まずは私の目から見た「母」を少し語りたい。


母の生い立ち

少し遡って母の母、つまり祖母のことを考えてみる。

太平洋戦争の前に産まれた祖母。

大きな商家の一人娘。

祖母の母、つまり曾祖母は祖母を産んですぐ亡くなったらしい。

そんな訳で幼い祖母の世話は、お手伝いさんがしていたそうだ。

祖母の人となりは残念ながらあまりよく分からない。

だが、色々な話から想像するに、

ややワガママで気が強く、かつ家事や労働など、あまり器用なタイプではなかったようだ。


母の父、つまり祖父は医者の家系の生まれだった。

祖父の父や祖父の兄弟もみな医者だ。

祖父の青年期は太平洋戦争の時代でもあるのだが、

医師であることが理由で戦争には行かなかったようだ。

このように祖母と祖父は割と裕福だったようだ。

戦争で財産のほとんどを失い、またGHQに没収されたものもあるとかで、

後は慎ましい生活になったというが、

それでも祖父母の家の建物の大きさなどを見たり

母の兄弟たちがみな名門女子大に行っているところを見ると

どちらかというと、いくらか余裕のある生活をしていた方なのだと思う。

さて、そんな祖父母の家に生まれた母。

時は戦後。第一次ベビーブームの真っ最中である。

母は3人姉妹の真ん中として産まれた。

上と下とはそれぞれ2歳違い。

母が言うには「真ん中っ子であまり手をかけてもらえなかった」そうだ。

実際、お嬢様育ちであまり器用でなかった祖母が、2歳ずつ離れた3人の子を育てるのは少し難しかったのだろう。

毒母というほどではなかったのかもしれないが、

母の中には祖母に対する様々な不満が蓄積していたようだ。


目立ちたい母

手をかけてもらえなかった。

そういう思いが根底にあるからだろうか、私の母はいわゆる「空気の読めない人」だった。

辛辣に表現するならば「個性」と「悪目立ち」をはき違えてしまっているタイプ。

さらにいうと、非常に頑固で思い込みの激しいタイプでもあった。

そのような母の性格が、私の幼少期にいくつかの大きな問題になっていくのである。



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白羽瀬 理宇

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