60年代ロックに目覚め、音楽活動を始めたお話2

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軽薄な音楽路線を去り、劇団に入団した



大学の3年まで、本当に縁がなかったというか、自分のしたい音楽を目指すきっかけとはならなかった。吉祥寺の街を歩いても、飲み散策しても何もアイデアが湧かなかった。そのうちに田舎の仙台でバンドが出来た、毎週ライブに出ているなどの情報が入り、「なぜ東京に居て仙台の連中に負けるのか?」と自問自答した時期もあった。


目指した音楽も時代に合わなかった。時代は1980年台、マイケルジャクソン、ヴァンヘイレンなどミーハー路線がブーム、音楽が商業化してきた、いわば「金を生む産業」となっていた。一方でパンクなど反社会路線は影を潜め、一般受けするヘビメタの時代になっていた。



その中で、いい仲間に会える等期待しない方がいい。学内にいい女が居ると数人でナンパに走る「軽薄族」がもてはやされた。女子大生というだけで、男たちがいちゃいちゃするような文化。私はさすがにこれではだめだ!!「えーい、もっとアカデミックな場所に足を踏み入れよう」と思い、武蔵小金井の「むさしの」という共産党系の劇団に入団してしまった。


劇団にのめりこんだ。何が新鮮だというと劇の内容が「社会風刺」だったのだ。例えば当時流行っていた「ザデイアフター」という反核映画、これをモチーフにして「シェルター」という芝居を立川で上映した。シェルターは文字通り核シェルターの営業マンである父が、試作品に家族を住まわせ、鍵が開かず2週間閉じ込められる内容だ。戦争への杞憂がいかにばかばかしいかを風刺していた。また実現不可能であったがドイツの作家、ミヒャエルエンデの「モモ」の創作ミュージカルなども計画した。

音楽がとても商業主義的で、社会性が低い中こうした劇団にはとても強い関心があった。さすが「むさしの」だといわれんばかりの評価も手にした。


劇団を辞め横浜へ引越し



そんな中政府系の国際交流団体へ入社することが出来た。むさしのからよこはまへ。ここには多くの外国人がいて日本語を学んでいた。全て政府の国賓留学生で、トップクラスの地位と学歴を誇った。ここで日本語を教えて欲しいといわれた。


当時日本語教師という資格はなく、大学の先生、国語の先生かボランティアの数種類しかなかった。私も文系ではあったが国語を教えられる能力はなかった。それでもここで日本語を教えながらレセプションの仕事をやって欲しいというのだ。住まいは貸してくれるらしい。すぐに条件を飲み、東京都小平市から横浜市磯子区へ引っ越してきた。



ここで驚いたのはまあ、いろんな国の人がいること、中国、韓国、マレーシア、シンガポール、インドネシア、インド、アラブ方面などがいた。さすがに旧ソ連の関係国はなかったが西側の国は大体そろっていたと思う。さらには毎月ここでパーティをやる。ある日中の休憩室でギターを弾いているとすぐに声がかかり「次のマンスリーパーティでギターを弾いて欲しい」と職員から言われた。


音楽なんて何年ぶりだろう?音楽をやめて劇団に入った私にまた音楽をやる機会が出来たのである。私はとても嬉しくなった。


ついつい、同僚の荘という学生(クラシックギタリスト)と競演し、「クラシックとロックの競演」を実現したり、独自でハードロックバンドを形成したり、ついにはCDを出すということでその作曲に没頭したりした。


大学3年間、しかも吉祥寺など中央線沿線にいながら全く日の目を見ることがなかった私が、横浜に着てから突然才能が開花した。海べりで土着民が住んでいた(磯子)土地柄もあったし、東京のような気の使いが必要なく自由に交流できたのもここ磯子区の良さだったに違いない。元々横浜は日本の開港の地で国際化は東京より進んでいた。外来から洋楽が入りやすかったのも横浜だし、その名残で桜木町界隈には多くのジャスやブルースバーがあった。ここに骨をうずめてしまおうかとも考えた。


大学4年、満足な就職活動もできず私はその翌年の3月にインドへ行く決意をしてしまった。周囲から「馬鹿だ」とか「日本の経済繁栄を知らない子ども」など馬鹿にされたが、インド音楽に魅せられインドに旅する事を思いついたのだ。1987年3月の事だった。



第3部は「インド旅行と和製サザンロックについて述べたいと思います。


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阿部 真人

元海外添乗員、外資系企業営業と大手人材会社を経て、中国の上海に単独渡航、13年日本に帰国。現在学校の教務職にある。

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