不幸思考に埋もれた地の底辺から、、、、

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わたしの母はわたしの妹を妊娠したわたしが3歳の時から、親は宗教に夢中になり子供への虐待を正当化し、母がホースに切り目を入れたものやコードを束ねて所々結び目を作ったものや、棒でわたしを叩くようになった。些細な理由で「悪い子だから」と叩くようになった。妹が生まれたら、妹もいろいろな理由で叩かれるようになった。

叩くだけでなく愛情を感じない、私がどれほどダメな子か言い続けられる。

母から、痛ければ痛いほどいいと、叩く物を楽しそうに作る母

物で叩かれ続け膿んだ体を隠しながら、その痛みに耐えその傷の上からまた叩かれる毎日

例をあげれば

「訓練」と言ってやっと座れるようになった妹を座布団の上に黙って二時間座らせる’’訓練’’を始め、座布団の上に前向きに座らせ、前以外見てはいけない。少しでも前以外の場所を見たり、動いたりらわたしも生後数ヶ月の妹も容赦なく叩かれた。黙って動かず前を向いて二時間座る。足がしびれても決して動いたらいけない。黙って二時間、微動だにせずじっと座る。動いたら叩かれる。妹はまだやっと座れるようになったばかりだから、その訓練の意味がわからなくてよく叩かれる姿を今も覚えている。妹は姉のわたしがそばにいるのが嬉しいのか始め、わたしの方を向いて絵がをで来ようとする、、、その度に叩かれる妹を見て胸が痛んだが、わたしが妹の方に顔を向けるのはゆるされない

まあ、叩かれる理由はきりがないので、この例だけにとどめておくけれど、叩かれない日はなかった。

母は、「お金は汚れている」と言い、最低限の生活費で賄うようにし、父の昇進すら許さず家は貧乏。


母は、「私や妹が生まれたのは望んでない子供の誕生だから、親と子供の不幸の始まりでしかない」と、そう言いつつ、誕生日を一度も祝わうことなく虐待を訓練と称し正当化する、母の下で自分を押し殺す幼少期。

母はわたし聡明な人で私を産む前はジャズシンガーと、絵描きをしつつ、経営をしてそこそこ成功していたのだけれど、宗教のせいか、、、変わってしまい、、、わたしは幼いながらに生きていることが幸せだとは思えない毎日を過ごしていました。

そんなわけで

母は小中学校で、わたしにかかる学費代を、将来働いて返すように言いながら渋々、小中学で必要な学費と学用品を最低限出してくれはしたけれど、高校の学費は払うつもりはないから早く社会に出て働いて、育てるのにかかったお金を親に返してと言い聞かす母


小学生の時に私は


クラスメートが言う「夢」を私は持つことができないとわかっていたし、高校へ行かず社会に出て親にお金を払うことが先決。そして、私は将来、高校卒業していない何の学歴もない私が社会で生きてくのには厳しいように思えた。

居場所も行き場もないように感じながら日々叩

母は友人との遊びを許さなかったから、友達と遊ぶことはできなかった。

母はテレビを見ることも禁止していたし、最低限のものしか私に用意しないし美容院代ももったいないと母が適当に髪を切った、お風呂も週何度か数分だけ入ることを許した。だから、私の身なりは汚くてみすぼらしく、ボサボサの頭をした、はやりのものなどもっていない、友達の会話にもついてゆけない生気のない変な子だったから、いじめられた。


親に叩かれることの方が気になっていたから、、けれどいじめられても気にならず辛くなかった。

気がつくと小学生の頃から、痛いとか死ぬとか嫌われるとか怖いものが無くなっていました。


ただ、

いじめられた子がいれば、私がいじめられるくらいの方がマシだとかばってゆくうちに、友人ができ周囲から信用してもらえるようになり

私をいじめる人はそのうちいなくなったけれど、人と違う私は特別な目で見られ、扱われるようになり、小学生の時に鏡を見るのすら恐ろしいきたならしい、みすぼらしいわたしを無邪気に信用し、人には言えない内容をいろいろ相談して来てくれるクラスメートを見て、人によっては、時が経てば見た目ではない内面を見てくれるもので、自分が縦になってでもかばうことでわたしを必要としてくれる友人関係が作れることがわかり、必要とされることがとてもわたしを幸せな気持ちにしてくれることを知りました。


とはいえ、、、家に帰れば、行き場も生きる意味もない、母からの高速から抜け出せない日々にうんざりし


わたしは行き場のない家庭環境に憤りを感じ始め


全てに苛立ちを感じるようになりました。

「母か誰かに殺されていい、死んだようがマシだ」とかんじ


母に従うことをやめ


母に従わないと同時に社会にも従わないことにし


中学に上がるのを機に眉毛を剃り落とし、赤い口紅を塗り、低い一言一言殺気を込め、汚い人を脅すような言葉の使い方と振る舞いをし苛立ちを発散し始めたわたしに、周囲は距離を置くと同時に、当時ヤンキーと言われるフツーの子ではない、社会やかていにいらだちをかんじている友人たちと関わるようになり気がついたらグループができていました。

先生や警察のひとから「社界に迷惑かけてる存在だと気がつかないのか?」「社界のクズだな」

など言われても、そう子供の頃から母に扱われていたわたしは、「何を当たり前のことを、、、」っと気にすることも無く、また

母に従うのをやめた日から叩かれても全く恐怖を感じなくなり、

その時のわたしは、「そこまで子供を叩かなくても子供はわかっているし、母は思い通りにならないとそこまでいやなのかな。母は母が大切でにくい私を叩いて気分転換している、今まで怖いと思えた母がかわいそーな弱い女性」というふうに思えて、なんだか叩かれてあげているわたしと必死で叩く母の姿を冷静に見て心の中は、なんだか今まで怖いだけだった母が怖くなくなり、自分が叩かれる時に感じる恐怖心や痛みを自分の中で何も感じないようにコントロールできるようになり、もはや痛くも怖くもない状況に、征服感の笑いが込み上げるようになりました。

母をあからさまに笑うのは母に失礼な気がしたから、心の中で愉快に笑い

そして叩かれ母を心で笑う時、この社会すら笑った「こういう家庭環境にきずかないで、私をジャッジする社会、地位やお金を振りかざし知った顔をし、偉そうにしてる大人、でもわたしがどんな思いしてるか気がつくことはないし、何一つできやしないそんな大人の社会は尊敬に値するようなものでない」

だから社会に迷惑かけて構わないと思い、悪いことをすすんでんでやるようになっていました。


その当時、日本国内で、荒れた中学上位3本指に入る荒れた学校の中で、校内暴力、リンチなどがあったが、わたしは死を覚悟していたから、、リンチなども怖くない、大人が怖くないから先輩も他校の襲撃も怖くないし逆に死ねるかもしれない感じが楽しく、、、

母も叩くこともなくなり

誰にも支配されない自由な感覚にしばし酔ったのを覚えています。


たびたび補導され仲間をかばいつつ、何も吐かない主義だったわたし。


なんども補導され、社会のゴミのように扱う先生や警察官。


わたしもわたしがいかにゴミのような存在かわかってたから、当然だと思う中


ある日、わたしを補導した警察官が言った一言がわたしを変えた。


ゴミで存在価値ないわたしに補導され、あざわらうように黙ってパトカーに座るわたしに

「君は他のことは違うな。君ががこのままいけば裏社会のトップになるだろう。でも社会の陽の当たらない場所だ。陽のあたる場所では裏社会でトップの君は後ろ指を指されながら、人は君を馬鹿にする。家庭環境やらいろいろあるのはわかる。でも君が大人になれば、君は自分の人生を歩める。その時に君は社会のトップに立てる。君を信じてる」

表情変えず、返事もせず、その警察官を見据えたままその場は終え


事情徴収で他の警察官にゴミ扱いされ

冷たい空気の中で、早く事情徴収を終わらせたい気持ちもあり、わたしが全部やったと仲間をかばって過ごしたのけど、


その間警察官の言葉が頭から離れない


数日後、仲間はみんな仲間のせいにして自分だけが可愛くて自分がしたことすら仲間のせいにして逃げている中。わたしは事情聴取で、仲間のしたことすら、わたしがした事にしてかばっていた、、、


それからもしばらく仲間とあれていたけど、警察官の言葉が頭から離れない。

仲間は裏社会の子ばかり、金の延べ棒がお家にあるとか、族の頭に上がったとか、どこのヤクザのどの位置の子だとか、、、みんなが悪い自慢すればするほど

わたしは警察官の言葉を思い出し、むなしくなった、、、かと言って、わたしの家庭環境では、わたしが社会にでて、何かすぐにできるような家庭ではなく、極貧な挙句に母の様子じゃ、自分で学費払いつつ、実家にお金を入れながらじゃないと居れないような家で社会に出て希望なんか見えないように思えた。

警察官の言葉が頭から離れないから、警察官が本当にわたしを信じてるかわからないけど、わたしに信じてるという言葉を言ってくれた、唯一わたしをゴミ扱いしなかった大人である警察官の言葉信じてみる事にした。


自分の状況や環境に憤ってたらだめだ


変わらなきゃとかんじた、、、

その警察官に話しに行った。

あまりにも悪さを重ねたわたし、仲間はトップが抜けて真面目になる様子を許さないだろうし、周囲のいままでわたしが威圧していたグループもわたしがまともになるのを見たら権力争いのためにわたしを狩るだろう。

警察官はわたしと話し合った。警察官はわたしの両親を交えて策を出した。「他県へ引っ越すこと」


母は叩くだけじゃ、制御できないわたしに懲りていたから、わたしが真面目に良い子になろうとするのには賛成してくれた

わたしは他県に転校してやり直すことにした。

中学一年生の終わり頃


わたしは警察官の言葉を信じ


変わる努力を始めた、周囲が言う良い方向へ自分が変われそうな良いことは何でも聞き入れできる限り試した。

そう思いながら周囲のひとの言葉を注意深く聞いていると、みんなすごい名言名句を発してるのに気がつくようになり


今まで周囲や、社会を嘲笑っていたのが尊敬に変わった

今でも生きている当時の周囲の名句名言は

「日々、古いシャツを脱ぎ捨て新たなシャツに着替えるように、汚れた気持ちを脱ぎ捨て、新たなキレイな気持ちで日々を迎え過ごす」

「死にたいと感じた時に、’’毎晩今日までの自分は死んだ、明日は新しい幸せな自分に生まれ変わってる’’そう言ってさ、明日は今日よりも幸せ。明日はいいことが沢山ある。明日が楽しみだ。と言って寝るとそうなるんだ」

「前を、上を見て歩こうよ人生」

あたりかな



そんなこんなでわたしは


自分が不快で憤りを感じる内容をノートに書き出しその全にポジティブな一面があるのでそれを書き出した

そして何事も前向きに受け止めることにした。

「死にたい」→「生きているだけまし」

「高校行けないから学歴ない」→「学歴ないけど社会に出てすぐ働けるなら、誰よりも早く経験が積める」

「貧乏」→「貧乏から金持ちになったひとは沢山いる今貧乏なだけ」

「ブスだ」→「キレイになる方法が見つかるかもしれない楽しもう」

など

とにかくひたすら毎日ネガティブな感情をノートに書き出して、その一つ一つにポジティブな一面を見つけて書き出す作業をした。

「だるい」→「だるいのは疲れてるから気持ちよく寝れるチャンスだ」

「夜寝れない」→「ひとが寝てる時間に何かできる得だ」

など


それから、中学生のわたしなりに社会的評価が得られるにはどうしたら良いか模索した。


図書館に行き、1日数冊読むくらい本がだいすきだったから、著者、作家になりいと感じた。

けれど、貧乏で余裕がないから夢を見れない。

母にお金を返しながら社会の底辺でなんとか、生きていく事がまず先だった。

でも

地の底辺からでいいから

「社会へ人として認めてもらえそうな位置へ這い上がろう」と決めた。


では何をすべきか考えた


人は見た目でその人を判断する。


だからわたしはパツンとした前髪を作り

眉毛もなるべく優しく見えるようなラインにして整えるようになり

身嗜みに気を遣い、なんとかお金を工面して、美容院へ行くようになった。

人に不快感を与えない好印象を与えるような声や言葉使いにも気を使った。

母からの圧力は無くなっていたから、毎日お風呂に入り心身自信のないわたしをお風呂の中に浸かりながら「心も体も見た目もキレイになーれ」そう言いながら入るとなんだかお風呂の湯船の水たちがわたしの言葉に反応しているような気がした。

言霊か、、、、日に日にキレイになっていった。しまいには日々数人のストーカーに悩まされるようになるくらいまではキレイになれた。

周囲は


わたしを、可愛らしい、いい子として扱ってくれるようになった。


いい子だけど貧乏で可哀想な子、、と中学生の終わる頃にはクラスメートも先生も味方につき、アドバイスをいただき


週一学校に通うスタイルの高校に行くことにした。


高校に入るといくつものバイトや仕事を掛け持ちしながら、警察官の言葉を思い出し、わたしはもしかしたら社会のトップになれるかもしれない。


社会のトップっていろいろあるけど、なんとなくわたしは社長になりたいと漠然と思った。


作家は夢のまた夢で社長の方が短な目標に感じた。


実家から出て、


カーテンや照明を買えずダンボール窓に貼って、陽の光と月の光で生活から一人暮らしをはじめた。


仕事、仕事、仕事、

恋愛や女友達との遊びは二の次三の次で仕事に明け暮れた。


落ち込めば、ノートに書き出してポジティブな一面を見つける日々


気がつけば、ノートに書かなくても自然に超ハイパーポジティブになった


だから今


「周囲に理解されてない苛立ち」が「周囲に理解されないほど自分はいろいろあって深くて魅力的」にかわり


「貧乏でブス」だったのが「沢山バイトして経験という変えない物を得ているしブスだったから名句の技を身につけられた」にかわり


「不幸だから死が怖くい」だったのが「毎日が幸せだから、死ぬ時は’’ありがとうございます’’という気持ちだな」っと


一日中ポジティブに過ごせるようになった


仕事で失敗し怒られつつ経験を積めば積むほど、評価が上がるのも実感できて楽しかった。


社会に出て運命はたくさんの人との出会いをくれた。億万長者さんなどの特別に感じるような出会いはまたいつか記事に書くとして


仕事、仕事、仕事

頭の中仕事がいちばんの中


できちゃった婚し離婚

ポジティブに

気にせず、仕事、仕事、仕事


気がついたら社長になってた。


日本で日本の会社を経営しながら、他の会社の起業や、経営を手伝うようになり、気がついたら、他の数カ国の起業家さんたちの、起業や経営を手伝うようになってた

寝る時間惜しんで、仕事仕事仕事

気がついたら、仕事を優先するわたしについてこれない夫と離婚


気にせず、仕事、仕事、


著者、作家になりたい気持ちはあるからたまに時間作りゴーストライターや小さな本を書くと少々評価をいただき、書店にならんだりした。


社長になっても

警察官が言ってくれた社会のトップの意味はわからないまま

「社会的に高い評価が得られるなにかがしたい」と考え’部屋の壁に「どの分野かわからないけれど日本社会のトップになる」という目標を壁に貼り漠然と

日々の仕事に夢中でいると


音が色で見え、人に自分の脳裏に浮かんだものを見せれる、脳機能学について学ぶIQが高いイギリス人のモデル兼俳優のアレックスに出会った。

彼は彼が思い浮かべる物を人に見せれる人で、その場にいた友人知人の家族と浮かべる物を人に見せれる、その様子に感動したのを覚えています。


彼は、わたしが部屋の壁に’’日本社会のトップになる’’という目標を貼ってあるのをみて、わたしに言った

「君は日本社会のトップではなく、世界のトップを目指すべきだ、でも、君は優しすぎるから、そのままでは世界のトップに立てない。世界には世界のトップを目指す悪魔のような人間がたくさん、たくさんいる。だから君は優しさを捨てて世界のトップをめざさなきゃ。僕はハリウッドで成功する時に君も成功していて、ハリウッドのレッドカーペットの上で、互いの成功を祝い乾杯したい。約束してくれ、世界のトップを目指すと」

そういいながら彼は

わたしに未来のわたしの姿と、彼とわたしがレッドカーペット乾杯している様子を彼のイマジネーションを見せてくれた

その未来の様子は悪い気がしなかったから


「わかったそうする」と約束した。


その日から日本社会だけではなく世界のトップを意識するようになったことで、日本や世界のトップで活躍される方や日本や世界のトップ目指す方々との出会いも運命からいただき、、、またそれもいつか記事にしてアップするとして


貧乏で自分の居場所がなくて

社会に認められたい一心で

外見と内面を磨き

超ハイパーポジティブに仕事に打ち込み


仕事以外の事はなんでもよかったのに、

胸が熱くなるような人人との出会いと別れを経験していくうちに

仕事より、友人や家族との時間がわたしを満たしてくれるのに気がついたのが最近


社会の地の底辺上がりのわたしには

未だに、社会のトップの意味も世界のトップも

わたしにはピンとこないけれど、いつかその意味と味を知れたら嬉しい


今は仕事は最小限にし、友人や家族との時間を大切にできていて幸せ


その幸せは、


社会のゴミのようなわたしを、気遣って励ましてくれた警察官のおかげ


地の底辺で人として認められたかったわたしが

日々読んだ本や、社会で得た経験から人並みになれたと自分で自分に自信をつけれたのも

社会があってこそのありがたさ


わたしは社会のゴミ、何もないと、不幸思考に埋もれていて苛立つ日々を送っていたのが

日々の小さなことを幸せに感じ

ありがい日々に感謝して幸せの中で生きれるのは


人との出会いのおかげ


出会い別れた知人友人達の出会いからの名句名言おかげ様


不幸に感じても


生きていれば


運命は


変わるきっかけをくれ


気持ちが変われば


自分が変わるから


周囲も環境すらも変わりやがて運すら変わる


って日々実感してます



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カノン KANON 333

「自分が変われば運命は手を差し伸べてくれて生きる望みは見えてくる」「現実、真実は奇なり」「夢は叶う。信じればたいがいの夢はかなってきた。この信じるが一番ハードル高いこの信じるというハードルを越えるまでには、常識の枠を超え、時に周囲の人からの批判や反対、あざわらわれても自己の夢に速度の速さ関係なく進ん

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