毒というほど毒でもないが、微妙に微妙な母と私の物語 2

前話: 毒というほど毒でもないが、微妙に微妙な母と私の物語

小学生時代の私と母

小学生時代、私はイジメられっ子であった。

理由は私自身にもいくつかある。

やや酷いアトピー、鉛筆などをかじるというあまり見た目もキレイではない癖。

コミュニケーションの取り方もあまり上手ではなく、

特に不快感や願望の伝え方として、火がついたように怒って泣くという手段しか知らなかった。

何かを要求したいときに、とにかく怒って怒鳴るというのは

他でもない母親のやり方を真似てしまっていたためなのだが、

何はともあれ、学校で通用するコミュニケーション手段ではない。

薄汚く、感情の波が激しい。

そのような子供が、小学生の集団の中でイジメに遭うのは誰にでも簡単に予想できる。

客観的に考えて、子供時代の私は周囲には扱いにくい存在だったはずだ。

イジメの是非は別にして、要するに私はイジメられっ子になるべくしてイジメられっ子になった。

母の性格とイジメ問題の関係

さてここで問題になるのが母の性格だ。

前述のように母は比較的「お嬢さん」だった。

一方、私の実家がある場所は、郊外の農村地。

後に荒れて不良になるような子供も少なくないような場所だった。

そのような場所で母親自身が周囲の大人たちの考えに馴染めなかったこと

そして私自身が学校で上手くやれなかったこと。

それらの事から、母は学校や他の生徒、保護者などを徹底して見下すようになった。


「少しでも周囲と違うと受け入れない田舎者」

「既製品の持ち物ばかり与えて、手作りする能力のない怠惰な親」

「大した大学も出ていない、田舎根性の強いバカな教師」


そのような言葉を子供の目の前で平然と吐くようになったのだ。

さらに意地になり周囲には迎合すまいと振る舞うようになった。

学校指定のプールバックを「デザインが下品」と買わずに、他の鞄を与えた。

クラスで臨んだ市の合唱コンクールの練習を「塾があるから」と早退させた。

流行りのアニメや漫画は「下品」「暴力的」と言って見せず、児童文学のみを与えた。

くだらない、低級、耳障りという理由で歌番組も見せなかった。

一つ一つは小さなことだ。

けれども、元々学校でのコミュニケーションに難を抱えた小学生にとっては痛手だった。

せっかく歩み寄ってくれた子がいても、共通の話題がなく、去っていってしまうのだ。

このような事が重なると、子供同士というのは似たような子が吸い寄せられる。

学校指定の用具やキャラクターグッズが買ってもらえない。

学校の課外活動などに参加させてもらえない子供。

すなわち、どちらかというと貧困と呼ばれる場にいる子供である。

しかしそのような友達は、当然ながら母によってシャットダウンされる。

こうして私は孤立への道を順調に歩むことになった。

母の言葉を繰り返す負のスパイラル

さらにいうと、恥ずかしながら私自身が

母が周囲を「低級だ」と評する言葉を間に受けてしまったことも問題を深くした。

例えば他の子供が「何でキャラクターの筆箱とか持たないの?」と訊ねてきて

別の子供が「貧乏なんだろ?」とお決まりの攻撃を出したときに

「そういうのは『下品』なんだって、お母さんが言ってた」と返してしまっていたのだ。

大人になって思えば、何と稚拙で何と酷い発言なのかと思う。

しかし、そうやって母の罵りの言葉を繰り返すことが

「貧乏なんろ」と言われる私に、自分の尊厳を守る手段になってしまっていたのは非常に皮肉な構造だった。

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