いつか見た夢と希望

 僕の夢は、億万長者になって日産のGT-Rに乗ることである。

 自分は、パチンコ店で働き始めた頃に運転免許証を持っていなかったので新井自動車学校に入稿してローンを組んで普通自動車免許を取得した。

 申し込みをした時よりも多く掛かってしまい補修の料金を払わないと書類が出せないといわれて当時働いていた店長に相談して7万円を前借させてもらって支払いをして柿崎自動車学校に行き自動車免許を取得してきたのである。

 当時の私は、やむおえず複雑な事情で入社したパチンコ店だたので長く働きたいとかそういった気持ちがあったわけではないが、私を入社させた人間がなにがしらかの責任を感じて免許を取れとかパチスロの設定を任せるとか店長に掛け合って責任感を持たせようとしていたのだが全くの逆効果であった。

 私が働いていたパチンコ店は、地域一番店と自負していたようだったのだがそこに働きに来る人間は、大学卒の新入社員や見ためから身体に支障がありそうだったり中卒や高校中退者などの低学歴者が、店舗運営を行っていたようである時に店長が人事異動で交代することになったのでそのタイミングでそのパチンコ店をやめたのであった。

 

 パチンコ店の店長と腕のいい釘師になるということが当時の夢と目標で月収100万円というのとりあえずの目標であった。

 しかし、パチンコ店というのはキツイ・汚い・危険という3Kといわれる職場でもあったので、ホール店員として働き続けるのは、難しいと考えてもいた。

 パチンコ店で働いている時には、煙草を吸っていたのでそれほどタバコの煙も気にならなかったのであったが、タバコを止めたことによりタバコの臭いが嫌いになり煙を吸うとせきが止まらなくなってしまうという体になってしまったので、パチンコ店で働くということ自体ができなくなってしまったのである。

 

 パチンコ店で、再度働けないかと考えて面接に行ったこともあったのだが、すでに年齢の時点で不採用になってしまうという現象が発生してしまい自分が出来そうな仕事というものにも目星が付かなくなりお金も資格もなく生きること自体に困窮するようになってしまったのである。


 不幸中の幸いで生活保護制度を利用することが出来ているので、贅沢は出来ないけれども死なない程度の生活は出来るのだが、上越市役所からは就職活動報告書が送られてきているのでハローワークに行ってはいるのだが、首に頚椎カラーをつけて相談に行ったら見かけから健康そうでないから就職を斡旋できないと言われてとりあえずそういわれたことを上越市役所の担当者に伝えて見たのだが、就職活動は継続していなければ生活保護が止められて本当に死の淵にたつことになりそうなのだが担当者は、その辺の考えが足りていないようで、仕事を見つけろということは簡単なのだが食品衛生責任者と甲種防火管理者の受講歴と通信制高校卒業の43歳の男に会社は多くの期待を持つこともなく仕事に付くことが難しいとい現実を理解して欲しいところである。


 数年前から、生活保護の生業扶助で手に職をつけることが出来る資格取得の手続きが出来ないと訴えているのだが、生業扶助の存在を無視していたり就職が内定してからでないという言葉が帰ってきたことがある。

 介護福祉士の2016年の合格テキストを開いて見てみると「生業扶助」の欄に生業費と技能習得費と就職支度費などと記載されていて上越市役所の福祉課に「生業扶助」という制度がないのかサバイバルナイフを左右両方の手に持って市役所に篭城してその審議を確かめなければならないのかという所まで考えてしまっている。

 

 仮に事件を起こしたとすればテロ行為になってしまいいそうだからそこまでの覚悟はないのだが、なんかもうどうでも良くなって首をくくって死んだほうが世の中のためになるのだろうか?

 

 最近の上越市は、徐々におかしくなってきているのである。

 数ヶ月前には、私が住んでいる市営アパートの隣の棟で殺人事件が起きたり海で死体があがったり上越市役所の建築課の机があさられて金品が紛失するなどの事件があり治安が悪くなっている。

 

 市営アパートというのは、貧乏人の病人の巣窟になってしまっている。

 

 私は、病人である。

 基本的に知的障がい者と同等であり対人関係も良好ではない何故なら私の私には不幸な人間が多くそれゆえに不幸の連鎖が起きていることにより不幸が不幸を呼び込むというスパイラルにはまり込んでしまっているためである。

 

 いつからか病院関係者や福祉関係者や市役所と職業安定所の人間と接することがあるのだが、私のことを障がい者として考えているという根幹があるが故に福祉の基本概念であるノーマライゼーションの定義を成立していないことにある。

 基本的に障がい者として捉えられていることによりノーマライゼーションの概念というものが、存在しているはずなのであるが、彼らは健常者と障がい者の垣根を作ってしまっている。

 私自身も垣根を作っているのかもしれないと感じている。

 公務員や福祉の立場から考えると障がい者には、それ相応に対して対象者の意思を尊重するという根拠があるのだが、この考え方はすべての人間に対してわけ隔てなく尊重し相互理解を得た上で生活の質を向上させようという概念と別のところにあったり若さや未熟さ故に自分の考えや意思を乗せていることがあるのだが、塩文の未熟さや無能さと事なかれ主義的な要素が複雑に絡み合い最善の方法を導き出すことが出来ないのである。


 


 公務員というのは、法律を遵守して公共の福祉を最大限に考えるという倫理観があるのだが、ケース バイケースで対応するのではなく対極を見て導いていかなければならないはずなのだが、私服を肥やしたり職務怠慢や職権乱用などが横行している。

 

 


地方公務員法

第一章

 3条

四  地方公共団体の長、議会の議長その他地方公共団体の機関の長の秘書の職で条例で指定するもの



 市役所の職員の怠慢や事なかれ主義を改善するためには。首長にならなければだめなのかと考えて「橋本 徹」氏は、知事や市長に立候補したわけなのかな?


 自分はただ単純に昔の古きよき時代と医療提供の適正化が出来ればと考えている。

 

 一個人が、政治家になるのは現代の選挙制度では、かなり難しいしまともな政治家というものが存在しているかどうかも怪しいものである。

 弁護士や医師という資格や経歴を持っていたとしても首長になれば現場に立つ機会もなくなり記憶も忘却されていくので、現場を離れた期間が長くなればなるほど使い物にならなくなる事は必然である。


 新潟県知事になれるかな~

時間は腐るほどあるけど選挙資金や知名度がないから当選する確立は、かなり低いけど心に訴えかけることきれば問題ないはず~

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