~ずっと自分が嫌いだった。いつも生きにくくて苦しかった~ 【それでも。。。そんな私でも、私らしく、自分に優しく生きれるようになったよ】2

つづきです


親にも言わずそっと家を出た私


当然の如く【捜索願】が数日後には出されました!。


「友人の所を頼っては迷惑が掛かる」

そう思った私は、前もって調べておいた住み込みのバイトを少し離れた場所で始めました。


とはいえ、未成年者の捜索願が出されている立場。

当然そんな生活が長く続くはずもなく。

数週間後にはバイト先から離れ

半浮浪者的な生活を送り、

15歳のなんの知識も疑いも知らない私は

複数の異性からの監禁と暴行。


間もなく警察の手で自宅へと戻されました。


憔悴した両親は

なにも言いませんでした。


その3日後、

五千円1枚と着替え数枚を持った私は

景色の大半が畑の地方町から

ビルの建ち並ぶ景色の東京へといました。


それが親の答えでした。

「帰ってくることは許さない」


親なりの

苦心の末の決断だったと思います。


東京で生活することは予想外であったけれど、

すべては自分でもたらした結果だということもわかってはいたので、そのまま私は東京生活をスタートさせました。

なにより親をこれ以上

悲しませたくはありませんでした。

+++++

話は逸れますが

小さい頃から私は「死」を意識する人間でした。

生まれてきた以上

いつかは死を迎える。

それは80年後かもしれない

50年後かもしれない

10分後かもしれない

3秒後かもしれない

もしかしたら明日目が覚めないかもしれない


だからいつ終えても悔いのないように生きたい



「ありがとう」

「嬉しかった」

「ごめんなさい」

心が感じた時 素直に伝えたい

言葉でも

手紙でも

次必ずまた必ず会える保証なんてないのだから。。。


そう思う子供でした。


目の前に誰かが居るとしたら、

そこに常識や一般的なんていらない。

比べるとか評価とか判断なんてしたくない。

今目の前に居る人だけをみる

その人だけをみていたい。


そういう子供でした。


「いつか」なんてない。

「いつか」の保証なんてないのだから。


いつ終えても悔いのないように、

せめて最小限の後悔で済むように

時間をつかいたい

正直な自分で生きたい。

素直な自分を見失わないようにしていたい

この瞬間瞬間を大切に生きたい

精一杯に注ぎたい


それが私でした。


社会枠や常識や世間体よりも

自分にとって【悔い】の残らない生き方をする

ことの方が私にとってはずっとずっと重要なことだったんですね。

当たり前のことなんて

なにもない世界だから

。。。

それが私でした。


でもそんな私を理解してくれる人は、

受け入れてくれる人は

当時いませんでした。


だからずっと自分はおかしいと思ってた。

責めてた。

もしそういった想いや疑問を持たず

当たり前のようにいろんな事を受け入れ

従える子供であったなら良かったのに、と。


常識や世間体を第一に考える母親とは、

親子なのにいつもすれ違ってしまう。

理解し合うことのできない苦しみと葛藤。


一緒に居たいのに

私が私らしく生きようとすればするほど

母親が私に望む人生とはかけ離れしまう。

悲しんでいく母親の姿。


自分が側に居ることが

母の苦しみに繋がってしまうという苦しみ。


だから側にいちゃいけない。。。

当時の私はそう思い込んでいたんですね。


だから予想外とはいえ

東京での生活は自業自得と思いました。


とはいえ持参金5千円!。

とにかく仕事しなきゃ始まらない!。


最初は都内の親戚(叔父さん1人暮らし)を頼り、2LDKの1部屋に住まわせてもらいながら仕事スタートさせました。

元々髪をいじることと美容に興味のあったことから、とある美容室に飛び込みで面接を受けに行きました。

履歴書もなにも持たず(笑)。


当然の如く

身元もよくわからない15歳の世間知らずな私はお断りされました。

でも世間知らずな私は、

翌日もその翌日もそのまた翌日も

美容室のオープン30分前に出勤しました(苦笑)。

そうして1ヶ月後にはシャンプーを任されるようになり

2ヶ月後には

「美容師としてやっていくなら専門学校に通った方がいい」

とアドバイスを受け通信制の美容学校に入学し、高校卒業資格も欲しかった私は通信高校も入学し、学費の為に美容室の仕事が終わった後はバイトをし、細々ながらも貯蓄もし、

1年後1人暮らしを始めました。



仕事をして

親に頼らず学費を稼ぎながら学校に行き、

バイトもして、

しっかりした女の子だとよく言われました。


でも実際は

いろんな

たくさんの人が

手を貸してくれて

そのおかげで出来たことがほとんどです。


世間知らずな私は

15歳でなんでも出来ると錯覚していました。

だけど現実はなにも知らなかった。。。


見知らぬ土地で

見知らぬ人のなかでは

私は真っ白でした。


それは本来とても貴重な経験(財産)。


けれども心の飢えを抱いていた当時の私には、

貴重な経験+アルファで

【孤独】の増幅剤にも繋がっていきました



つづく






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