~ずっと自分が嫌いだった。いつも生きにくくて苦しかった~ 【それでも。。。そんな私でも、私らしく、自分に優しく生きれるようになったよ】4

読んでくれてありがとう

~つづき~です


初めて行った心の専門病院


1時間以上のカウンセリングの後

意外な事を私は言われました。

「お母様のカウンセリングが必要ですね。

お母様の治療をしましょう」


「。。。???」


実は私の母は

毎晩お風呂でビールを3㍑飲むのが日課でした。

それを知らされているのは私だけでした。

誰にも言ってはいけないと強く口止めされている、母と私の秘密。

ビールを買いに行くのは私の役目。


小さい頃から学校が終わるとビールを買いに行く私。

1度だけ

母のお酒をやめさせたくて

買いに行かなかったことがありました。

それが初めて母の平手をもらった時でした。


口外しないことは守っても

父や妹は明らかに知っていました。

でも誰もなにも言うことはしませんでした。

注意すれば酔った母が暴れてしまうから。


酔うといつも以上に感情的になり

場所関係なく暴れてしまう。

だから父も妹も

母にはなにも言わないのが暗黙の了解でした。


病院で院長先生が私に伝えたのは、

入院でした。


母のカウンセリング療法と

私の入院


内心私はほっとしていました。

ずっとずっと隠してきた自分や母のことを

初めて人に言うことができたことに。


そして嬉しかった。

(こんな自分を見せたら、きっとみんな軽蔑する。怒られる。)

そう思っていたのに、

院長先生もカウンセリングしてくれた女性も

責めることも怒ることもせず

淡々と聞いて受け入れてくれたから。


(これで治るかもしれない!)

希望も感じました。


けれども病院を出て間もなく、

私は母の2度目の平手打ちをもらってしまいました。

「お前はどこまで親を苦しめるんだ!」

と。

「病院へ入院することも

通うことも許さない」


私は素直にそれに従いました。



そこから

自虐的な私の生活が始まりました。


なにもかも

諦めてしまおうと思いました。



美容室は辞めました。

異性関係も派手になりました。

薬局で購入した安定剤も用量用法関係なく飲んでは外出しました。

安定剤だけではなく睡眠薬も他のものも

あたりかまわず自分の体に取り入れました。

中毒者へと自ら足を入れてゆきました。

自分が誰なのかもわからなくなってしまいたかったから。


すべての記憶を無くしてしまいたかったから。


でも

どんなに強くそう望んでも

いつも母の顔が離れませんでした。

母の哀しむ顔が

私の最後の1歩を

止め続けました。


母が大好きだった。




結局

楽になることはありませんでした。


結局なにをしても

どこにいっても

誰と過ごしても

自分の理性や良心が

完全に失われることもなければ

満たされることもない



答えがでることもないまま

生きにくさは変わらないままに

私は19歳になっていました。




そしてその年

私は

大切な

大切な人を

失いました


家族ではなかったけれど

家族のように。。。

。。。それ以上に

私に関わってくれてた人でした。

東京に出て間もない頃からいつも

親身に近くにいてくれた人でした。



本気で立ち上がろうと思ったのはその時でした。


思った。。。ではなく、

それは私の決心と決意でした。


例え2度と会えなくても


失った大切な人を

絶対に傷つけない

裏切らない


という私の決意でした。




絡まり過ぎてどこからほどいてゆけばいいのかもわからないけど、どれだけの時間が掛かるのかもわからないけれど、

はじめなければ はじまらない。


小さな1歩でも

毎日必ず進んでゆこう



私が私と

再び本気で向き合いはじめた

1歩でした。



つづく












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