新社会人生活がつらくて毎日仕事を辞めたいと思いながらも1年続けた話。
新社会人生活がつらくて毎日仕事を辞めたいと思いながらも1年続けた話。
「君はこの仕事に向いていない。違う仕事に就いた方がいい。」
教員生活1年目の僕に向けられたこの言葉は、
当時の僕の状況を思えば正論だと思わざるをえなかった。
2013年の4月、僕は新社会人の仲間入りを果たし、希望していた小学校の教師という仕事に就くことができた。
そのときの僕の気持ちは期待よりも不安の方が大きかった。
ちゃんと仕事ができるのか?子ども達とうまくやっていけるのか?
授業をしっかりと行うことができるのか?
いろいろな心配事を抱えながら、僕の担当は1年生ということが決まった。
子どもも僕も同じ初めての立場ということでさらにプレッシャーは高まった。
「僕との過ごし方で、この子達の今後が決まっていくんだ……」
入学式まで思いつく限りの準備をした。
しかし、このときに自分がどれだけ教師として、そして社会人として不足していることが多いのかを僕は自覚できていなかった。
~悪くない出会い、そこからゆっくり崩れていくクラス~
入学式は同じ学年の先生方の準備やフォローもあり、予定通りに進めて挨拶をすることもできた。
保護者からの反応も悪くなく、子ども達も若い先生だと喜んでくれているようだった。
子ども達との最初の出会いは思い返せば良かったと思う。
子ども達が帰った後も、今後のことについて同じ学年の先生達と打ち合わせをした。
みんな僕が初めてで何も分かっていないだろうと気を遣ってくれているということをひしひしと感じた。
この打ち合わせで僕は何度も失敗した。それは、よく分かっていないのに「わかりました」と返事をして分かった風を装ったことだ。
他の先生方が忙しい中僕に気を遣ってくれていることについて申し訳ないという思いや、同じことを何度も説明させることがかっこ悪いと思っていた。
打ち合わせでしっかりと聞いてメモをとったつもりでも、後から見返すとよく分からないことがいくつもあった。
周りに確認したいと思いながらも、先ほどの申し訳なさや自分の見栄、そして忙しそうに働く先輩達に自分のせいで仕事を止めさせたことに対する怒りや侮蔑の言葉を恐れ、聞くことができなかった。
日々の授業の進め方、テストの行い方に説明会や研修期間はなく、毎日がぶっつけ本番だった。
大学では一つの授業を作るのに何日も書けることができたが、実際に働くとそんな余裕はなく、毎日どうやって授業を進め、どんな準備をしていいのかも分からなかった。
それほど困っているにもかかわらず、僕は周りに相談することもできずひたすら自分で問題を抱え続けた。
それが取り返しのつかないところまで進むと、周りにもっと迷惑をかけるなど考えることもできず、毎日を過ごしていた。
周りの先生も「大丈夫?問題ない?」と声をかけてくださることもあったが僕は自分が仕事を続けられないぐらい追い込まれる問題が起きたら報告するのかという今思うと本当に分けの分からない考え方をしていたのでいつも「大丈夫です。問題ありません。」と答えていた。
そのような中で送られる学校生活がうまくいくはずもなく、子ども達の様子は次第に秩序のないものへと変わっていった。
学校に来られないという子どもも出てきた。
それほどの問題が起きるころには、周りも「僕が本当にできないやつで、そのうえ報告も碌にできない」という認識になっていたと思う。
それでもクラスの様子が改善されることは無く、僕はゆっくりと秩序のなくなっていくクラスで毎日を過ごした。
~厳しく突き刺さる正論、折れた心~
僕はできないなりに学校での仕事を頑張っていたが、結果が出ないから評価はとても厳しいものになった。
3学期のある日、僕は校長に呼び出された。
保護者から何かクレームが来たのだろうか?それともなかなかうまくならない授業について何か言われるのだろうか?
僕はなぜ呼び出されたか分からないが、心当たりはいくつもあった。
呼び出された内容は、その日授業で使った僕の作成したプリントについてだった。
「この書き方では、1年生にとってとても見辛いよ。1年が立つのにそんなことも気づけないの?」
校長の口調は優しいものだったが、内容は僕のことを責め立てるものだった。
周りの先生にチェックでもしてもらえば結果は違ったかもしれないが、当時の僕に回りに相談できる人はいなかった。
いろいろ思っていると、こんなことを問われた。
「授業をしていて、教師をしていて楽しいか?」
何もうまくいいていると思えないのに、楽しいと感じる訳がない。
答えは「いいえ」だった。
「いろいろな工夫を考えているとき、子どもの反応や喜ぶ姿を考えたら楽しくならないか?」
当時の僕に準備が楽しいと感じるときはなかったため、これも答えは「いいえ」だった。
1年の間失敗続きで怒られ、攻められ続けた僕は仕事に対して楽しみや喜びなどなかった。
別の日にはこうも言われた。
「君のクラスは崩壊している。」
クラスでは授業が成り立たないことが増え、注意をしても聞かない子どもが現れていたかが、いざ言われるとやはりショックだった。
1年間、どれだけ失敗をしても、何を言われ続けても頑張った。
その結果としてやってきたのは、学級崩壊という現実だった。
そんな僕の現状を考えると、校長が言った次の言葉は当然のものに思えた。
「君はこの仕事に向いていない。違う仕事に就いた方がいい。」
今にして思えば、教師というものは一般企業以上に退職をさせることが難しいから、僕からやめるように動かそうとしたのだろう。
他の人にこの話をしたら
「それはお前を厄介払いにしようとしてるだけ。」
「パワハラで訴えれる。」
など、校長を批判して僕を擁護してくれる意見もあった。
しかし、当時の僕の状況やクラスの様子を考えたら、校長の言っていることの方が正論に思えた。
「もう、教師やめよう。辛いことしかない。」
そんなことを毎日考えるようになった。
この頃には自分の教師への未来や希望は何も感じられなかった。
~それでも教師を続けたわけ~
毎日学校に行きたくないと思いながらも学校に行き続け、ぼろぼろに言われながらも授業を続けた。
僕以外のところでも学級崩壊をしていたクラスがあり、そこでは担任が変わっていた。
この子達のことを考えたら、僕もさっさとやめるなり休むなりして担任を変わってもらった方がいいのだろうと思った。
でも、それをするこはしなかった。
どんなに辛い毎日でも、行きたくないと思える教室でも、僕を慕って待ってくれている子どもがいたからだ。
クラスの中でもそんな子どもは本当に少数だった。
しかし、それでもその子達のために、せめてこの1年が終わるまではやめないで続けるようにしようと頑張れた。
その子達は僕で無くても先生であれば慕ってくれるような子ども達だったが、それでも僕はその子達を支えに頑張ることができた。
失敗の連続で未来に絶望した1年間だったし、多くの子どもを不幸にしたのだと思うと今でも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
今ではそのときの失敗や現実を受け止め、子ども達が少しでも幸せになれるように毎日を頑張っている。
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