欧米人とつきあうためのキリスト教の基礎知識(13)
欧米人とつきあうためのキリスト教の基礎知識(13)
四日市高校時代に、学年トップだったOくんと私は隣町どうしだった。北勢線と三岐線という、今では日本中にほとんど存在しない単線の電車で、本数が少ないんです。だから、始業時間より30分ほど速く学校に到着していました。
私は先生を待っている間、教室で勉強していましたが、Oくんは教室に着くなりチャートを抱えて図書館に向かっていました。図書館では15分くらいしか勉強できなかったはずですが、そんな細切れの時間も大切だったんです。
私も。
、「○○さん? ああ、いつも会議に遅れて来る人ね、ちょっと重要な案件は任せたくないな」とか、「次の商談は重要な取引先だから、彼は呼ばないほうがいいでしょう。ほら、彼、いつも必ず会議に遅れて来ますから」という残念な状況になってしまっていた。時間を守れないことが「規律全般を守れない人」「仕事ができない人」と拡大解釈されていたのである。
みんな、そういう時間にきっちりした生活をしていました。名古屋大学の時だって、同じでした。お互いに、そういう生活をしていると知っていたので待ち合わせをする時なんかも時間に正確なのが当たり前だと思っていました。
ところが、塾を始めて驚いたんです。ひどい場合、20分も早く来たり、10分遅刻したり、デタラメなんです。そういう子は、勉強もできません。日常生活が、とにかく行き当りバッタリ。計画性ゼロ。
それだけならいいんですけど、こちらには大迷惑なんです。こちらは、時間を最大限に利用するのが当たり前なので、始業時間に合わせて、食事をし、風呂に入り、掃除をし、教材を準備し、授業計画を立てて授業に臨みます。
それを、20分も早く来られたら計画が狂う。だから、注意をしたら
「20分タダで教えてもらったら、得ジャン」
でした。バカバカしくなって、塾の出入り口を時間まで開けないことにしました。
クリスチャンといっても、いろいろな人がいますけど、一般的には
「神様から頂いた貴重な時間をムダにすることはできない」
という感覚があるんです。だから、当然ながらデタラメな時間の使い方をする人とは関わりたくない。関らない。距離を置く。そうしないと、自分の時間が浪費されてしまうから。
社会に出たら、どうせ相手にしてもらえない。なのに、学校では
「そんな固い事いうなよなぁ」
ということが多い。だから、学校では許されるかのごとく、多くの子の時間管理はダラダラになっている。それでは、社会に出たときに生きていけない。教えてやる方が親切だと思うのだけど、聞く耳を持つ子がほとんどいなくてね。
だから、私は基本的な生活習慣のできている子だけを指導対象にさせてもらっているんです。
「神は細部に宿る(God is in the details)」は、モダニズム建築の超高層ビルとして名高いシーグラムビルなどを設計したドイツの建築家ミース・ファンデル・ローエが好んで使っていた言葉です。
私は、中学生の時から英語の勉強を始めました。もう50年近く勉強していることになります。もし、1年300日くらい5分を大切にしたら、25時間。50年なら、1250時間も多く勉強できる計算です。
1250時間って、毎日8時間勉強しても、156日分。半年間、毎日8時間勉強した分に匹敵するんだけど、分からない人に言ってもムダか。
5分間をムダにする人には、仕事を任せられないし、信用もできないとは、そういうことです。
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