21歳で起業した元社畜のドブネズミ【序章】

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僕はドブネズミのような人間だった。


僕はドブネズミのような人間だった。

世間一般の常識も知らなければ学歴も特技もない。

奴隷のように働かされ、自分を出せば否定され、夢を語ればバカにされた。


他人の言うことを全て従う機械のように生き、

人間ではなく、ドブ川のような社会の底辺を這いつくばって生きる人間だった。


そんな僕も、今では一つの会社の社長となってしまった。

そして誰よりも自由な生活を手に入れた。


はじめに、


2016年4月16日を僕は一生忘れない。


【4月14日】震度6強の地震が熊本を襲い、

トドメを刺すように、【4月16日】震度7の本震が追い討ちをかけた。


僕は当時21歳

地元熊本でスーパーの野菜担当として会社員をしていた。

いや、会社員と言うよりも「社畜」の方が正しい表現かもしれない。


学生時代は頭が悪く、高卒で地元のスーパーに就職した。


バスケ漬けの学生生活で勉強は苦手。

「大学に行きたい!」なんて思いはなかったし、低学歴な自分がお似合いなのは中小企業のサラリーマンだと身の程をわきまえていた。


東京に行って就職するのも考えたが、

夏の暑い季節に白いシャツや黒いスーツに身を包んだ中年男性たちが”愛し合う恋人”かのように身体を密着させながら出社しているのをテレビで見て、当然のように諦めた。


田舎者の僕からすると、”電車は快適なもの”ってイメージしかないのに対し、目の前に写っている映像は明らかに地獄行きの電車だった。

 

ハゲかかったおっさんがインタビューされている時なんて、

早朝の通勤電車のはずなのに、シャワーを浴びたかのように顔とシャツが汗でずぶ濡れになっていた。

 

その映像をみた高校生の僕は、

”東京は人を苦しめる場所”そんなイメージを持ってしまった。


なぜならこのサラリーマンたちは、これから会社で丸一日忙しく働いて、帰宅ラッシュで同じような電車に乗るのだから地獄のような生活だ。


そんなことを考えながら、

東京で就職した自分をイメージしてみた。


「将来は、自分もこんな風に黒いスーツを着て、毎日早起きをして、死んだ魚のような目をしながら会社に通う人生を送ることになる。」


想像するだけでも、生きたまま埋め殺しにされるような恐怖を覚えた。


大人になったら、「色んなとこを旅したり、好きなことをしながら生きたいなー。」

なんて楽観的な考えをしていた僕には厳しすぎる現実だった。


会社員になったら、色んなとこに行く暇もなく、40年以上も毎日労働。


想像するだけでも嫌だったので、田舎の地元で就職した。


田舎なら大丈夫だと思っていた。


だが、東京じゃなくても現状は変わらなかった。


就職してからは、週6日、一日12時間以上働いた。


給料は14万円。

まさしく”社畜”という言葉がお似合いだった。


震度7の大地震が来ようとも仕事だった。

「会社からお給料もらってるんだから、文句言わずに働くのが当たり前。」


これが世間の”常識”と教わった。


会社に雇われている時は毎日が苦しかった。


同い年の友達は大学のサークルで遊んだり、ボーリングやカラオケ、飲み会で毎日楽しそうに遊んでいるのをSNSで眺めながら、僕の生活はアパートと職場の往復だけで終わっていた。


そんな苦しい生活を送りながらも、色んな場所を旅する生活を妄想していた。


「宝くじが当たったら何を買おう。」とか、

「お金があったら、あれを食べたい。ここに行ってみたい。」とか、


そんなくだらない妄想をするのが好きだった。


昔から、お金持ちへの憧れってのがあったのかもしれない。


通帳を開くたびにお金が入金されていて、欲しいものはなんでも買える。

時間に追われることもなく、毎日がのんびりしたスローライフ。

毎日旅をして、行ったこともないところに行く生活。隣には好きな人。


お金なんか気にせずに夢を追い、趣味や好きなことに時間を使う。

好きな時に海外に行き、帰ってくるのは大きな家。

南の島で毎日サーフィンをしてもいい。


お金も時間も場所も、”全てが自由”な生活。


自分の人生を思い通りにできる人生。


純粋にそんなことを夢見ていた21歳だった。



熊本地震から1年が経ち、現在はそんな夢のような生活を送っている。


お金より”自分の時間”を優先し、基本的に自由な時間を送っている生活だ。


仕事といっても一日1時間から3時間程度で、ほとんど自宅か出先で済ませてしまう。


旅行や旅が好きで、色んなとこに行く。

パソコン一台あれば済んでしまうので、車や新幹線、電車や飛行機でいつでもどこにでも行ける。


食事もほとんど外食。

焼肉とお寿司が好きなので、食費はバカにならない。


やりたいことがありすぎて、何から始めようか悩んでいるくらいだ。


今の計画としては、キャンピングカーを買って、日本中を家にしようと思っている。


お金にも、時間にも、場所にも縛られない自由な生活。


現在はこんな生活をしているものの、特別に宝くじが当たった訳ではない。


あることがきっかけで副業をはじめ、

それからたった3ヶ月で月収100万円を超えてしまったのだ。


副業といっても危険なものや怪しいものを運ぶものではない。


今となっては一般的になりつつあるものだ。


誰からも雇われることなく1人でできて、店舗やオフィスもいらない。

それこそ、僕の身体とパソコンだけでもできてしまう。


あの地震からたった一年で自分がこんな生活を送るようになるなんて夢にも思わなかった。


学歴はないし、才能もない、取り柄もない。

今までなんとなくで生きていただけだった。


高校受験には失敗して、バスケは本気になれたもののトップにはなれなかった。

就職してからも3年間平社員だった。


そして、労働から逃げて21歳の時にインターネットで起業した。


別に、インターネットが得意なわけでもビジネスに興味があったわけでもない。


むしろ、パソコンを買ったのは起業してからだし、

ビジネスを始めたのは、副業の延長みたいな感覚でネットでお金が稼げれば生活が楽になって、

いくらかマシな人生が送れるんじゃないかって軽い感じだった。


しかし、実際に自分でビジネスを始めたら、あっさり会社の給料を上回り、3ヶ月もすると月収が100万円を超えてしまった。


そこから僕の人生が一変した。

社畜のように働いていた会社もやめた。


会社に縛られていた時間をビジネスに当てると、当たり前のように収入は伸びた。


色んな勉強をして、色んなジャンルに広げていくと、

たった一日で会社員時代の給料の3倍くらいの金額を稼げるようになった。


周りの人たちから見られる目が一気に変わった。


僕はそれまで、人は就職したら死ぬまでその会社にしがみつき、定年退職まで身を粉にして働くしかないものだと思っていた。


そこからはみ出したものはニートになり、社会からはゴミ扱いされるものだと思っていた。


もちろん独立して成功する人がいることも知っていたが、

そんなの親が経営者か金持ち、もしくは天才だけだと思っていた。


だから、お金をかけずにインターネットで起業してパソコン一台でお金を稼げると知った時、僕は藁にもすがる思いでヤマダ電機にパソコンを買いに行った。


パソコンすら持ってなかったし、お金にも余裕がなかったが行動せずにはいられなかった。


あの時、たった15万円のパソコンをケチって購入せず、現在も社畜のまま同じ生活をしていると思うとゾッとする。


このストーリーについて


このストーリーでは、資金、知識、人脈0のただの田舎の企業の社畜だった僕が副業で始めたビジネスで人生を180度変えてしまったことを隠すことなく書いていこうと思います。


もちろん、楽しいことばかりではなく、不安や恐怖、辛い過去も正直に書き綴っていきます。


今や、ネットでお金を稼ぐということは一般的になりつつあります。

ブログやYouTube、SNSやフリマアプリなど、お金を稼ぐ手段は無数に存在していて、個人が豊かに暮らしていくこと自体はなんら難しいことではありません。


僕のストーリを読むことで、昔の僕のように現状に不満を持っている人の”きっかけ”になれば嬉しいと思い、このストーリーを書くに至りました。

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