ドブネズミが90日で社長になった物語【第7章】

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赤く鳴り響く電話。


2016 4.16 深夜1時26分

多くの人が深い眠りにつく中、震度7の地震が熊本を襲った。


縦にも横にも建物が揺れ、人々は逃げ場を失った。


魔法をかけられたかのように食器が飛び、冷蔵庫は生きているかのように暴れ出した。

揺れはまるで人々の逃げ道を塞ぐかのように物をなぎ倒していった。


どこにいても聞こえるのは建物の軋む音といつまでも鳴り止まないスマホの地震警報。


そして、怯える人々の叫び声。


電気は停電してしまい、信号も付いていないのに車で逃げ出す人々。


ただスマホの警報がなり続けていた。

どこにいたら安全かなんて誰にもわからない。


一瞬で日常が奪われた。


今まで当たり前のようにあったはずの水と食料を求めてみんなが動き回った。


家は潰れ、今まであったはずの道路は瓦礫の山。

みんなに愛されていたデパートも潰れてなくなった。


マンションの一階が潰れていたり、縦に割れているものもあった。


今までの街並みが一瞬で消え去った。


LINE、電話、どれを使っても家族と連絡が取れなかった。

ネットやSNSではデマの情報が飛び交った。


奇跡的に僕自身は無事だった。


だが、僕の自宅には仕入れていた転売用の在庫が山のようにあった。

道がないため流通は完全にストップしてしまい配送ができずにいた。


転売に置いて配送ができないということは、資金繰りができないことを意味する。

僕はギリギリまで仕入れにお金を回していたため現金がなかった。


売り上げが立たないまま、在庫は一時的に全て赤字になってしまった。


いつ流通が復活するかもわからない状況でも次のカードの支払いは来る。


在庫が僕を苦しめた。


1分おきに余震が続く中、僕は会社に呼び出された。


勤務していた店舗はひどく傾いていたが、半壊した店舗で復旧作業をした。


次に大きい地震が来たら建物が潰され下敷きになって死ぬかもしれない状況の中で、

みんな当たり前のように働いた。


気づけば僕も当たり前のように働いていた。


もう転売に頼ることがでいない。

お金が必要だったから、疑う余地もなく働いた。


普通なら、崩れかけている建物の中に入るなんて恐怖のはずなのに、

指示されると当たり前かのように崩れかけの建物に入っていった。


頭がおかしくなっていたのかもしれない。


あれが、僕が今まで信じていた”常識”なのかもしれない。


会社がやばいなら、社員が命を張って復旧作業をしなければならない。


お金がなかった僕は”常識”に従った。

震度5クラスの地震の中、当然かのように仕事をしていた。


持ち家が全壊した社員も出勤した。

その人は帰る家がなくなって、車一台に家族4人で寝ていた。


気づけば地震が日常になっていた。


僕は、また会社とアパートの往復だけの生活になっていた。


十分な水もない。

食料もない。

風呂にも入れない。

洗濯もできない。

トイレも流せない。

余震で眠れない。

布団がない。

電気がない。

ガスが出ない。

家がない。

友達に会えない。

家族にも会えない。


あるのは、会社に縛られた労働と家に残った在庫の山だけだった。


僕は自分のことでとにかく必死だった。

みんなも何かにしがみつくことで必死だった。


半壊した店舗の中で働くことに誰も疑いを持っていなかった。


みんな会社の操り人形だった。

気づけば、僕も操り人形に戻っていた。


実家には、身体の弱い家族がいた。


だが、みんながいるから大丈夫だろうと思っていた。

というよりも、自分のことで精一杯で心配する余裕もなかったのかもしれない。


大丈夫なわけがなかった。

4000回の地震のストレスは想像を絶するほど強烈だった。


その知らせはいきなりだった。

実家から一本の電話があった。


僕は急いで実家に帰ることにした。


帰り着いた瞬間に涙が溢れ出した。

今までに見たこともないような痩せた姿。


ストレスで目も見えなくなっていた。

何個も病院を通ったらしい。


原因は地震のストレスだった。


僕は必死に祈った。

今まで祈ることなんてしたことがなかったが、ひたすら回復することを信じて祈った。


きっと思いは伝わったはず...。


立派に戦っていた。 


そして、

僕は家族を失った。


世界一大好きな家族を奪われた。

地震が全てを奪い去った。


僕は何も守れなかった。

自分の無力さを痛感した。


驚くほどに僕は無力だった。


会社の奴隷になり、時間もなければお金もない。

お門違いかもしれないが、会社を恨んだりもした。


もっと一緒に居たかった。

目が見えなくても、生きてくれているだけでも幸せだった。


死ぬほど悔しかった。

自分の命でなんとかなるならとまで思った。


もし、

お金があったら?

時間があったら?

場所に縛られてなかったら?

会社に縛られてなかったら?

在庫がなかったら?

地震が来なかったら?


こんなことを考えると眠れない日が続いた。


あの時あの瞬間、お金があればどこかへ逃げられたかもしれない。

「お金は汚いもの」じゃなかった。


お金は大切なものを守るもの。人を幸せにするもの。人を助けるもの。大切なものを救うもの。

人を豊かにしてくれるものだった。


僕の家族を助ける方法はお金だった。

その答えは、当然と言えば当然だった。


僕は今まで勘違いしていた。

「家族が幸せならお金はいらない。」

そう思っていたが、家族を守るためには金が必要だった。


「お金は、お金よりも大事なものを守るためにある。」

こんな言葉が僕の座右の銘になった。


そこから僕の人生が大きく変わり始めた。



会社からの見舞金は3000円だった。

僕は会社をやめることを静かに心に誓った。


余震が少なくなり、なんとか家で過ごせるようになった。


流通も次第に回復し、すぐに家の在庫を売り払った。


これからも転売で稼いでやろうと思ったものの、

在庫を持つことがトラウマになり、仕入れることができなかった。


転売でしか稼いだことがなかった僕は新しい方法を模索した。


そんな時にある方のブログにたどり着いた。


その人は若いのにも関わらず、パソコン一台で海外を自由に海外を旅行しながら稼いでいた。


何かを宣伝したり、文章を書くだけで月に1000万円近い金額を稼ぎ出すらしい。


僕の常識は完全に壊された。


そして、そこで「アフィリエイト」というものに出会った。


在庫はいらない、飽和もしない、長く稼げて、大きい金額を稼げる。


僕にとっては最高のビジネスモデルだった。

そして、これで生きていこうと確信した。


すぐにアフィリエイト系の教材を購入した。


友達からは怪しいと批判された。

高い金額を払ってコンサルしてもらっていることもバカにされた。


だが、たった数万円で自由な生活が手に入る可能性があるなら、

プライドなんてどうでもよかったし、数百万でも安いと思った。


通勤中も車の中でセミナーの音声を繰り返し流し、お風呂に入る時もiPadにサランラップを巻いてお風呂で何度も聞いていた。


たった数十万の投資と数年間の努力だけで月に数百万も稼げるなら、やらない方がバカだと思った。


1年後には月収100万円はいきたいなぁ...。


そんなことをぼんやり考えていた。


気づけば、たった3ヶ月で月収100万円を超えていた。


スーパーの社畜は度肝を抜かれた。


第8章に続く


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