(4):問題の起こり始め/パニック障害の音楽家

前話: (3):中学でバンドを始めた/パニック障害の音楽家
次話: (5):病気を作りに病院に行く/パニック障害の音楽家

バンドを始めた関係もあり、私としては中学3年の頃から本格的に音楽の方に進みたい、と感じ始めていました。サレジオは中学高校一貫教育ですが、当時は高校に上がるために試験があり、若干名ではありましたが高校から入学してくる生徒もいました。で、全員一応受験をして高校に進むわけですが、中学時代にあまりにもノンキな生活を送っていた私(達)はすっかりバカが身についていたため付属中学からの受験であるにも関わらず試験結果は惨澹たるものになってしまい、学校で問題になるほどでした。とは言え、ノンキな生徒達は「まあ点数低くても進学できりゃいいじゃん!」というノリでした。こうして本来は音楽の方に進みたい、と思っていたのに、安易に付属高校に進学してしまった私だったのです。


明らかな異変が起きはじめたのは高校に入ってからでした。上記のように安易に高校に入ったわけで、自分としては「道を間違った!」と強く感じはじめていました。「やはり音楽関係の学校に進めば良かったのではないか?」という不満が除々に自分の心の中で大きくなり始めていったのです。高校に入ってすぐの自分には不安感は無かったと思いますが心の中は不満が鬱積し始め「何かキッカケを作って学校をやめたい(または音楽関係の学校に入り直したい)」と強く思うようになっていきました。しかし、それを実行する勇気はその頃の自分にはありませんでした。「思った事は実現する」という説がありますが、厳しい見方をするなら私は「自分自身で無意識のうちにパニック障害を作り出し、高校から逃げ出したのだ」と誰かに指摘されても反論できないように思います。


高校1年の夏休み、音楽の道に進みたかった私は猛烈にピアノの勉強をしました。クラシックのピアノを1日4時間、ポップス系ピアノの練習を3〜4時間、そして訳もわからずに音楽理論書を読み耽っていました。クラシックのピアノは自宅のピアノ練習室でやっていたのですが、夏なのでクーラーを強力に効かせた状態で練習していました。当時のクーラーは今のようなファジーな制御などというものは無く、オンかオフの2つしかありませんでした。したがって私はピアノ練習中ずっとクーラーをオンにして体が冷えきる状態で毎日練習をしていたのです。


夏休みの終わりには学校の仲間達と横浜のヤマハで初めてコンサートをやったのですが、この時、体調を崩し本番の日に具合が悪くなってしまい、出番ギリギリまでヤマハの店内の椅子でグッタリする事になってしまいました。これは本当に体調が悪くなっていたのか、コンサートの緊張から来る不安感を勝手に病気と解釈して自分で自分の具合を悪くしていたのかどうも判然としない所があります。コンサートというのはただでさえ緊張するものなわけで、これを体調の不良と勘違いすると大変な事になるわけです。バンド活動はこの頃からほぼ固定した4人編成の仲間ができ、このメンバーで元町にあった友人の楽器店の練習室でしょっちゅう練習するようになり始めました。


結局、夏休みが終わり新学期が始まってもなんとなく体の不調を感じ続けいました。クーラーによる冷えから来た軽い胃腸病というのは実際の症状としてあったと思います。とはいえ学校に行きたくない、という心情もあり1週間学校を休んでしまいました。学校の方では「1週間だと長期欠席届けを出した方が良いだろう」という事になり、折角だからと大手の病院に行き、胃のレントゲンを撮ってもらう事にしました。今から思えばこれが、はっきりとしたパニック障害・不安症状への第一歩だったのでした。

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(5):病気を作りに病院に行く/パニック障害の音楽家

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