(5):病気を作りに病院に行く/パニック障害の音楽家

前話: (4):問題の起こり始め/パニック障害の音楽家
次話: (6):ついに高校を中退する事に(;_;).../パニック障害の音楽家

私自身は胃の調子が悪いのはただ単に ”クーラーの効き過ぎた寒い部屋でピアノを弾いていたのが原因” とだけ思っていたのですが、レントゲン写真の結果の出る1週間後(まだ当時は今のように即時診断ができるような医療機器ではなかった)、病院に行ってみると、担当医師が私のレントゲン写真を首を傾げながら見ている...そのうち他の部屋で診察していた医師も呼んで来て3人ほどで写真を見ながらこちらをチラチラと見ているのです。この時、私の心には急に不安の心が広がり始めた。何か重大な病気なのではないか?という考えが心をかすめました。しばらくして医師が戻り「胃の入り口の部分に何か潰瘍ができているようだ。薬で治るかどうかはわからない。胃カメラでの精密検査が必要と思われる」と告げられたのです。これは「特に体に異常なんてあるわけない」と思って診断に臨んだ私には大きなショックでした。

診断を受けた瞬間から私は視界が狭くなり、夏だというのに寒気がし、耳は遠くなり、ただただ真っすぐ歩くだけ、という状態で家までたどりついたのでした。そして「最悪、癌なのかもしれない!自分も祖母のように苦しんで死ぬんだろうか?」と思うと、恐怖心から寝込んでしまいました。不思議なものでこうなると微熱が出るようになりはじめ、体は本当に病気のような症状を呈し始めたのです。

こうして1週間後、胃カメラの検査を再び受けに病院に行った私はすでに立派な病人状態になっていました。当時の病院は精神衛生の事などまったく考えられておらず、胃カメラを待つ席の目の前に「解剖所見」と書かれた書類入れがかけられており、胃カメラのためにノドに麻酔を塗られたオジサンが「おえ〜」とか吐いてしまい、病気心をますます増加させてくれました。

その頃の胃カメラは現在のものより太く、検査は死にそうに苦しいものでしたた。医師も「検査は苦しいのが当たり前」という態度で臨むのですからたまったものではありません。検査を終えた私の気持ちは「こんなもんまたやるくらいなら死んだ方がマシだ!」と心底思ったくらい辛い思いをさせられました。

それでもなんとか胃カメラの検査を終えて家に帰り、しばらくすると、激しい胃痛に襲われたのです。それは今まで経験した胃痛の中でもっともひどいもので、体をどの方向に向けても激痛が走り、気が遠くなっていったのを覚えています。

そして、さらに1週間後に胃カメラの結果が出ました。意外にも異常は無しという事でレントゲンに写っていた胃の入り口の潰瘍も良性と判断され軽い胃炎の程度の薬を処方されて家に帰って来ました。しかし、上記のように私は精神的にはすでに病人の心になっていたのです。

そういうわけで、問題無しの診断を下されてからも微熱は下がらず、始終寝込むようになってしまい「あの病院では平気と言われたけれど、誤診かもしれない」と、色々な病院を点々とするようになり始めてしまいました。3〜4の病院で胃のレントゲン検査を受けた記憶があり、そのうち1つは日本でも胃の病気に関する権威の先生だったそうです。しかし、いずれの病院でも「胃には問題無し」という診断を下され、軽い胃薬と安定剤を処方されるだけでした。この頃から私の病気は肉体的な物から完全に精神的な物へと移行していたのでした。

始終自分の体調が気になり、1日に何度も体温を計らないと不安でいられない状態、不思議な事に体温計を口にくわえている間は不安感が薄らいでいました。こんな生活を繰り返すうち、私は次第に高校に行かれなくなり始めました。家族の話ではこの頃から不安症状を起こしていたようだとの事なのですが、私自身はこの時点ではまだパニック障害のような発作を起こしていた記憶はありません。高校1年の学園祭でのコンサートも不安な心を抱えながら演奏していた記憶があります。この頃はもっぱらハリの治療で先生に習った胃の周囲の神経をほぐす体操というのをやっていました。胃の下あたりには太陽神経叢(たいようしんけいそう)というのがあり、ここを柔らかくする事によって胃腸が活発に動き出すという事でした。学園祭の方はこの体操をやりつつ、不安な心を抑えながらどうにかこうにかクリアする事ができました。

ただ高校を休みがちになると先生や友人が心配してくれ、それが自分にはかえってうっとうしく思えました。むしろ放っておいてくれた方がありがたかったと思うのですが、きっと放っておかれたら放っておかれたで「なんて薄情な奴らだ」とか思った事だったに違いありませんね。

症状は完全に精神的な物になっていたため、精神科にも行ってみました。当時はまだ心療内科などというものはなかったため、やむなく精神科に行ったわけです。行ってみてわかったのは「ここは私のような症状の人間の来る所じゃないな」という事でした。当時の精神科は完全にイっちゃってる人たちの場所で、歩きながらブツブツと哲学を語ってたり、宇宙の真理を探究なさってたり、完全に自分を失って叫んでたり...という感じでした。そういう症状を見るにつけ「自分もあのように自分で自分がコントロールできなくなってしまったらどうしよう!」という新たな不安が次第に強くなってきたのです。一度は待合室で周囲の患者さん達の奇異な行動に耐えきれなくなり診察も受けずにそそくさと病院から逃げ出して来た事もありました。

続きのストーリーはこちら!

(6):ついに高校を中退する事に(;_;).../パニック障害の音楽家

著者の安西 史孝さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。