もう40年も前の、学生運動の話 第ニ回

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実験器材とか、ぜんぶ放り出されてるし

先輩の下宿は、大学前駅の隣駅。だから、僕たちは線路という最短ルートを使って大学に向かって走った。
真夜中の線路。途中、小さな鉄橋があったり、終電後の検査車両が走って来たり。それなりにStand by Meのようなこともありながら・・・。
とにかく大学に走り込み、夕方までたまっていた学生控室に向かう。
校舎に続く坂道の上に煌々と明かりのついた控室が見えてくると、入口に続くベランダに四角い塊のシルエットがくっきり浮かびあがっている。
控室に隣接した心理の実験室の機材だ。心理の担当教授がチマチマと組み上げ、論文用のデータを集めていたやつだ。
走ってきたそのままの勢いで控室に飛び込むと、ヘルメットのおじさんたちとその前に立ちふさがる先輩たちがいた。
自分の息子のような年齢の学生が、必死になって自分たちの場所を守ろうとしている姿に、おじさんたちは少しとまどっているみたいだった。
だって、そうだろ? あるスペースを片づけて、別の使い道にするための工事を請け負っただけなんだから。
それが、始まったと思った途端に学生がなだれ込んでくるし、その数はどんどん増えてくるし。
結局おじさんたちは、作業を途中であきらめて帰っていった。
放りだした実験機材を戻すことは、してくれなかったけど。

大学側が「あいつらジャマ」だと思ったためらしい

実は、この学生のたまり場になっているスペース。場所は学部長室の向かいで、大学側の分類だと「管理棟」の端っこにある。
端っこにあって、管理棟の中を通らずベランダから出入りできるので、学生にとっては恰好のたまり場になっていたのだ。
学科の教授たちは、そんな状態を喜んでいたようたった。心理学の教授は実験材料をすぐピックアップできるし、教育学の教授も学生とのディスカッションに使ったりできるから。
すぐ下の階にある学部事務室のスタッフだって、やれロッカーを運べとか、入試の手伝いをしろとか。結構便利に学生を使っていた。
ただどうも、大学の理事とか、学長とかは、気に入らなかったらしい。
私立とはいえ学費が安かったことで裕福ではない学生も多く、あまりキレイな格好をした学生は少なかったかもしれない。(女の子には、その後タレントになったりした子もいたが)
夏になると、下宿から裸足ってのもいたなぁ。(かえって熱いのではないかと思ってた)
とにかく、そういうのが教授たちとつるんで管理棟の一角にいる。しかも、大学が提供する教育サービスの枠外で。
いろんな教授がすぐ横の部屋にいて、気軽に出入りさせてくれるし、質問にもフランクに答えてくれる。
その中には、週刊現代の「日本を動かす100人」の中に入った教授だっていた。
だから、他の学科や学部の学生もよく顔を出したし、そんなやつと知り合いになれば、女子の多いコンパにも呼んでもらえる。
学生にとっては、硬軟あわせた重要なコミュニケーションスペースだったのだ。
ま。それも、大学側にとっては「勝手に使ってる」という認識を覆す要素にはならないんだけど。
その後、大学側は「占拠」という言葉さえ使っていた。
要は、ジャマだから出て行け! を、工務店のおじさんを使って実行したというわけだった。

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