バッドエンドな恋と人生

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初恋とバッドエンドの始まり
人生において恋愛とは映画やドラマのようにはいかないものだ。必ずしも、その終わりがハッピーエンドとは限らない。むしろ、俺の恋はこれまでバッドエンドの連続だった。ハッピーエンドで終わった試しがない。それは人生においても同じことなようで……。

今回は、その物語を語っていこうと思う。つまらない話かもしれないが、まぁ聞いてほしい。



俺の初恋は小学校低学年の時。同じ学年のA子ちゃんだった。髪はセミロングでドラえもんでいうところの"しずかちゃん"のような存在だった。俺は言わずもがな、"のび太"だ。典型的ないじめられっ子だった。いつも"ジャイアン"のような奴にいじめられてたわけだ。
アニメのように助けてくれるような"ドラえもん"的な存在がいるわけでもなく、俺はやられっぱなしだった。
親父はというと
「やられたらやり返せ!」
と言うタイプの人間だったが、気弱な俺にそんな芸当ができるはずもなかった。親父は本当に恐い人で、その恐さは近所でも友達の間でも有名だった。俺は

――世界一恐いのは親父だ

と、心底思っていた。今だにこの考えは変わっていない。普通に何度も殴られたこともある。親父以上に恐い人間に出会ったことがない。親父を怒らせないように、子どもながらに気を遣いながら日々過ごしていた。

その頃の俺はというと、吃音症の症状が酷く、まともに喋ることもできないような状態だった。吃音の原因は今でもはっきりと分かっていない。



少し話は脱線するが、ここでいう"吃音症(きつおんしょう)"とは、円滑に喋ることのできない障害のようなものだ。第一声がなかなか出なかったり、異様なまでに早口になってしまったり、連続して言葉を発してしまったりする。日本では障害認定はされていないが、一部の外国では障害認定されている。"どもり"や"どもる"という表現でいわれることもある。まだまだ認知度も低いのが現状だ。
そんな俺がいじめの標的となるのにあまり時間はかからなかった。俺の中で学校とは地獄以外の何物でもなかった。
そんな俺が学校に行けていた理由は単純明快で、"好きな子"がいたからだ。好きな子と会うために学校へ行っていた、と言っても過言ではない。実に不純な動機である。



しかし、そんな俺が自分から話しかけられるわけもなく、結局俺は小学校を卒業する日までその子と話すことはなかった。"初恋は叶わない"という言葉を見事体現させたわけだ。



その子に限らず、俺は誰に対しても自分から話しかけることができない子だった。だから当時、友達もほとんどできなかった。
家でも学校でも一人で遊ぶことが多かった。むしろ、その方が自分的には気楽で良かったのかもしれない。家では毎日テレビゲームばかりしていた。



今から思えば、この頃はまだ良かった。吃音の症状は一番酷い時期だったが、まだ死にたくなるほど辛いこともなかった。いじめもまだ可愛らしいものだった。
問題はこの後だった……。





親父の死、大事件、そして二度目の恋

小学校5年生の時に親父は胃ガンで死んだ。39歳だった。親父とじいちゃんが大喧嘩したことが発端となり、じいちゃんとばあちゃんとは別居していた。それは俺が高校生となり、祖父が亡くなるまで変わらなかった。
喧嘩の原因について詳しくは知らされていないが、とにかく凄い喧嘩だったことは憶えている。二階で寝ていた俺と妹は、一階から聞こえる凄まじい物音で目が覚めた。何かが割れる音や、ばあちゃんの叫び声が聞こえた。いつの間にか親戚の人たちも集まっている。明らかにただ事ではなかった。
俺が一階に降りようとすると母ちゃんがそれを止めた。その時の俺には母ちゃんが泣いているように見えた。



しばらくして、誰かが階段を上がってくる音がした。足音で誰かはすぐに想像がついた。親父だ。
親父は階段を上がりきると部屋の中にいる俺たちに向かって怒鳴るように言った。
「荷物をまとめろ!引っ越すぞ!!」
訳が分からなかった。何を言ってるんだ、この人は。俺たちがこの家を出ていく?なんで?
寝起きで、まったく状況が呑み込めない俺は混乱していた。しかし、これだけははっきり分かった。

――今の親父に逆らったら何をされるか分からない

恐くなった俺は親父に従い、ついていこうとした。すると、近くにいた親戚のおばちゃんが行こうとする俺を制止した。
「ゆうちゃん、行かんでええ。行ったらアカン」
もはやどうしていいか分からなかった俺は周りにいる親戚の人たちや母ちゃんの顔を見渡した。泣きそうだった。
そうこうしている間にも、一階から親父の怒鳴り声は聞こえてくる。
「何しとんのや!はよこい!!」
もう恐くて恐くて堪らなかった。震えが止まらない。



結局、その場は親戚の人たちと母ちゃんやばあちゃんの説得により、なんとか収まった。
そして、話し合いの結果、じいちゃんとばあちゃんは隣の借家で暮らすことになったのだ。お世辞にも立派な家とはいえないオンボロな平屋だ。

一階に降りると、リビングは地獄絵図と化していた。そこらじゅうに物が散乱し、食器や色んな物が割れている。じいちゃんはリビングの奥の方でへたり込んでいた。所々に血がついているのが見えた。ばあちゃんはじいちゃんの傍に座り、じいちゃんを心配そうに見つめていた。今から思えば、警察沙汰にならなかったのが不思議に思うほどの出来事だった。



親父の死後、俺は今の家に母ちゃんと妹と三人で暮らしていた。俺は中学校1年生に、妹は小学校4年生になっていた。母ちゃんは銀行で働きながら俺たちを女手1つで育ててくれた。

憧れの中学生となった俺は期待と喜びに満ち溢れていた。

――中学生になればなにかが変わる

そう思っていた。
しかし、それは俺の甘い考えだったことに気づかされることとなる。



中学生になった俺は同じ学年のBちゃんに一目惚れをした。二度目の恋だった。
明るくて可愛い、いかにも男子が放っておかなそうな子だった。

人間そう簡単に変われるはずもなく、俺はあいも変わらず自分から話しかけることができずにいた。
だが、このまま想いを伝えられずに終わるのだけは嫌だった。
とうとう自分の想いを抑えきれなくなった俺は思い切ってその子に告白する決意をした。

ある日の授業終わり、俺は勇気を振り絞ってその子に話しかけ、自分の想いを自分なりに伝えた。その子はすぐ返事をくれた。
「あんたみたいな気持ち悪い奴と付き合うわけないじゃん。バーカ!」
砕け散った。粉々に。塵も残らなかった。俺の中でなにかが折れる音が聞こえた気がした。
友達は励ましてくれたが何も耳に入らず、その日の授業も全然頭に入ってこなかった。
帰宅後、俺は自室で1人泣いた。この時ほどイケメンになりたいと思ったことはない。そして、俺は再認識した。

――人間見た目だ

俺の自信は前以上になくなり、劣等感と自己嫌悪に苛まれた。俺はこの日、ヤケ酒ならぬ"ヤケジュース"をした。



一学期も後半を過ぎた頃、俺はまたいじめの標的とされてしまっていた。その内容も小学生の頃とは比べものにならないほど悪質なものとなっていた。
耐え切れなくなった俺は二学期を迎えた頃から学校へ行けなくなり、いつしか"不登校"というレッテルを貼られていた。



親父に似て厳しかったじいちゃんはそんな俺を見て毎日のように叱責し、あの手この手で無理にでも学校へ行かせようとしていた。
ある日は俺が学校の校門にちゃんと入るまで後をついてきたり、そしてまたある日は自転車の荷台に俺を乗せ、学校まで送ったりしていた。
それでも学校へは行きたくなかった俺は家に忘れ物をしたフリをして、そのままどこか違う場所で学校の授業が終わるくらいの時間まで時間を潰すという手段に出ていた。まったく知らない人の家を訪ね、しばらくいさせてくれるよう頼み込んだこともある。途中で抜け出し、そのまま荷物も靴も全部置いたまま上履きで帰るという強行手段に出て、先生方にご迷惑をかけてしまった日もあった。
それくらいその時の俺は学校へ行くのが嫌だった。精神的に拒絶していたんだと思う。



頭を悩ませた家族は藁にもすがる想いでスクールカウンセラーを頼ることにした。最初は警戒していた俺もカウンセラーのお兄さんに徐々に心を開くようになり、少しずつではあるが快方へと向かっていった。

いきなり教室へ戻ることは難しかったが、学校側の配慮で"別室登校"という形で登校することとなった。そこで俺は卒業式当日までの約2年間をそこで過ごすこととなる。

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