雨が好きな大人

 細かいことは忘れてしまったけれど、まだペーペーで何も分からずに仕事していたころの話。カルティエのあるレセプションの台本を書くというなんだかカッコいい仕事が来て、仕事自体は周囲の人に助けてもらいながら無事に終えたのだけれど、そのひと月後くらいに、クライアント、代理店、制作の主だった人で行うちょっとした打ち上げにお呼ばれした。
 その時の雑談で雨が好きだという話をしたら、周りの人みんなになぜ、と聞かれた。特に理由などなかったのだけど、プレスの人がさらっと「全部流してくれるから?」と言った。
 正直なところ、その時は気取ったこと言い過ぎだろうと思ったのだけど、10年以上経った今もたまに「あれはどういう意味だったのかな」とふと思い出すことがある。
 自分に限って言えば、かの人が言ったことは当たらずとも遠からずで、より正確に言えば「何かを隠してくれるから」なのだと思う。晴れていれば聞こえてくる誰かの足音や、時刻をそれとなく伝える太陽の角度。雨降りはそういったものを少しあいまいにしてくれる。年をとると時間の経過が怖くなるけど、それを伝えるものごとを雨は少しだけ隠してくれる。
 昔に比べれば、やはり時間の経過が怖くなった。そのぶん雨が好きになって、だからこそその言葉を思い出すんだな、と思う。きっと当時の「雨が好き」と今の「雨が好き」は違うもので、それを受け入れないといけないんだなと思う。そんな物思いを続けるうちに、いろいろなことが曖昧になってくる。今のところは、その感覚が楽しい。

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