大事か、どーでもいい、か。


この花はみなさん御存知の「曼珠沙華」。
あたしにとって、大事な花。何故かはあたしでも知らない。(笑)
「彼岸花」としての名前の方がポピュラーかも知れないけど、「曼珠沙華」の方が有り難そうな名前に聞こえません?なんとなく。

ってな、正にどーでもいいことからのスタートなんですが、多分あたしの転機は中学生3年生頃。
中学に入ってからすぐに片思いをして、片思い中もずっと「なんでもない」生活を送ってきたの。
あたしは当時、どちらかと言えば積極的な方。今でも、いざとなればむちゃくちゃな積極性を発揮する。
その彼にとっては迷惑極まりなかったかも知れないが、思い返せば多分、ものすごいアプローチをしていたんだと思う。
それこそ、「重たい気持ち」。
好きかどーかも分からないクッキーを焼いてみたり、なんとなく彼の周りを徘徊したり。
あー、重たい。
片思いが3年間ともなると、もう惰性でしかない。
あ、あたしは「団塊ジュニア」だから、根性も多少はあったかも。
でも、その彼のことが、本当に大好きだった。・・・と言っても田舎の中学生。告ってもその先の妄想は一切なかった。もちろん、当時(一応)処女。一応、と言っておく。
中学の卒業式の日、勇気を出して言ってみた。
「一緒に写真を撮ってください。」
彼はむっちゃモテる人だったから、その時には学生服のボタンなんぞ1つも残っていなかった。
でも、嫌がりもせず、写真も快く一緒に撮ってくれた。
言ってみれば3年間、重たい割に「暖簾に釘押し」の恋だった。

そして、その春、高校進学にあたって考えた。
もっと楽に生きたい。
人を想うのは、こんなにも辛くて虚しいものなのか。
もっと肩肘張らずに生きていきたい。
そう思ったあたしは、多分、少しずつ?一気に?変わった。

大事か、どーでもいいか。
この自動選別機をあたしの脳内に組み込んだ。いきなりと。
友達、先生、その他の人間関係において、その2つでしか判別しない。
いつも仲良くしている友達は、みんな、むっちゃ大事。
一般的に言う「知り合い」の人は、どーでもいい。
これ言うと人でなしの様だが、そうしないと「どーでもいい人」にあたしが振り回されることになる。
どーでもいい人や、どーでもいい事に一喜一憂するのは、もう嫌だ。
あたしの一喜一憂は、人のそれと違って、ものすごいから。
だから、脳内にそのシステムを組み込むことで、あたしがとってもとっても生きやすくなっていったの。
どーでもいい人のことは、きちんと第三者の目で判断できる。
どーでもいい事は、後回し。
大事な人、大事なことは、うんとこさ大事に。

このシステムを脳内に組み込んだ途端、なぜかあっさりと迷うことなく、両者を選別することができる様になった。
ものすごく優秀な選別機だ。30年近く使っている今でも元気に稼働している。
この選別機のメリットは、両者のバランスなんて、どーでもいい事。
どっちもオーバーフローすることがない。
だって、選別の基準は自分だからね。
「どーでもいい」から「大事」にステップアップすることもある。
でも、優秀な選別機。その逆は、滅多にないのね。
大事は、宝。
宝はいっぱいあった方がいい。
大人になればなる程、選別機もレベルアップするから全く困ることもない。

あたしの脳内には、すごいシステムが出来上がっている。
さながらあたしはSEか。
中学までは友達と衝突したりすることもたまにあったけど、この選別機を導入してから、人間関係で困ったことは、自慢だけど一度もない。

・・・困らないのは、あたしだけだけどね。
人間関係に困り果てている人には、このシステム導入をオススメする。
ただし、困り果てている人だけ。ね。

プログラマーが必要だと解ったのは、それから25年以上経ってからのことだった。

・・・全2回としてありますが、徒然なので変更アリです・・・


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