東京に行って失ったものと得たもの・その3

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 ここで、なぜ納期遅延が頻発していたかを振り返ってみよう。私が赴任した東京の子会社では、超短納期生産、具体的には、顧客に特急料金を払ってもらえば、顧客の希望する通りの短納期で作るということを売りにしていた。
 そのため、その工場は、私が赴任する数ヶ月前までは、土日祝日関係なく、毎日休みなしに稼働させていたのである。土日の時間も使うためであり、短納期生産をするためには当然のことである。この体制ならば、例えば、金曜日に注文をもらい、金土日の3日間で作り、月曜日に顧客のもとに届ける、ということも可能であった。そして、このころは、工場の日産量にも無理がなかったので、生産物もスムーズに流れており、納期遅延もほとんど無く、計画通りに生産し、出荷できていたのである。
 ところが、私が赴任する数ヶ月前、その会社で、土日を完全休日にして月の稼働を20日とする。ただし売り上げは下げてはいけない。つまり、月産量は維持せよ、という指示が社長からなされた。
 理由は経費削減のためである。工場を稼働させれば、水道代や電気代などが発生するが、これらは固定費に近いため、これら経費を下げるためには稼働日を短縮させるしかない。それゆえ、それまで休みなしに土日も稼動させて月の稼働日が30日だったところ、完全週休2日にして、月の稼働日を20日、すなわち、月の稼働日をそれまでの2/3に短縮させたのである。
 余談だが、この社長は元は親会社の取締役で、経理等の管理部門出身であった。そのためか、物事を数字だけで推し量るところがあり、生産現場は現場担当者に完全に任せていた。というよりも、この社長は生産の技術的なことは全くわからないため、口を出したくても出せない状況にあった。
 今思うと、数字だけで見れば、このときの社長の判断は正しい。つまり、経費がかかっている割には売上、利益が少ない、という判断であったのであろう。
 しかし、その会社は物を作る工場であり、現場を知らなければ、本当の意味での正しい判断はできない。経営者がどんぶり勘定であったり、直感だけで判断してはならず、きちんと数字の動きによる裏付けが必要なのであるが、だからといって、数字だけで判断していてはダメである。現場あっての会社経営なのであるから。
 また、土日を休日とすることで、これらの日の時間を使うことができなくなり、そのため、前述のように、金曜日に注文を受けたものを日曜日に出荷し、月曜日に届けるということもできなくなり、顧客へのサービスが低下した点も否めない。
 話を元に戻す。月の稼働日を減らしても月産量は下げないためには、日産量を3/2倍、すなわち、1.5倍にしなければならない。具体的には、この工場では、月30日稼動のときは日産量が40(単位は省略する)であったので、月産量は40×30=1200であった。よって、月産量を下げないためには、日産量を、1200÷20=60、すなわち、従来の1.5倍とすることとなる。
 この工場では、1日8時間稼動でスムーズに生産できる量は前述の40ぐらいであったので、日産量を60にするならば、本来ならば、工場の1日の稼働時間を1.5倍、つまり、8×1.5=12時間稼働にしなければならなかったであろう。というか、そうするのが当たり前である。よって、1日の勤務体制も、2交代、具体的には、早番遅番体制にすべきであった。
 ところが、その工場はなぜかそうしておらず、日産量を増やしているのにも関わらず、1日の体制はそれ以前と同じであった。理由は定かではないが、社員からの反発というか、社員が2交代でやりたがらない雰囲気があったようだ。今思うと、この点もおかしい。それゆえ、前述のとおり、日産量を1.5倍にしたにも関わらず、体制は8時間稼働のままであり、生産のはみ出した分は、残業で賄っていたのである。
 そのため、当然にして、各工程は残業が著しく増加し、生産中間品の仕掛りの山が生じていた。仕掛り量が増えれば増えるほど、納期は乱れる。さらには、前述の特急料金品は最優先で生産するので、特急料金品が通過すれば、その他の物の生産が止まる。これは鉄道と同じである。こうして、その工場は、特急料金品以外の生産品の納期遅延が頻発するようになった。
 そうなると困るのは親会社の営業である。私が赴任した会社は生産専門の子会社であり、経理上、生産物は親会社が全面的に買取って、親会社が顧客に販売するという形を取っていた。実務としては、生産品は工場から顧客に直送していた。
 すなわち、顧客に対する納期の責任は親会社の営業にあったので、納期遅延が生ずると、営業が最も困ることとなる。すると、当然にして、親会社の営業に対する窓口であるところの、工場の生産管理部門への問い合わせ、催促が増加し、生産管理部門としては、これら問い合わせには最優先で対応しなければならないため、生産管理部門としての本来の仕事、すなわち、計画業務が十分にできなくなっていた。私の前任の長は、どうもこのような急激な状況の変化に対応できなくなったようである。
 つまり、私は何も知らないまま、何もわからないまま、このような流れの中に放り込まれたのである。生産管理という職種もわからず、さらに、係長としていきなり3人の部下を持たされ、事実上、生産管理部門の最高責任者という責任と、部下に対する責任とが一度に襲いかかり、赴任して一ヶ月もたたないうちに、自分の立場が嫌になってしまった。
 前任地での私の仕事は比較的余裕があり、部下もなく、ただ与えられた仕事を自分の裁量の中でこなせば十分であり、残業もほとんど無く、1日の仕事を終えた後の夜の時間は自分のために有意義に使うことができた。
 しかし、東京の子会社に赴任し、係長とはいえ上司という立場上、部下が毎晩遅くやっている中で私だけが早く帰るというわけにもいかず、私も部下が仕事を終える遅い時間まで付き合わざるを得なくなった。帰りは毎晩9時、10時、11時という時間となり、アパートは会社から歩いて5分程度のところにあったものの、アパートの自室に帰ると、くたくたで何もする気になれず、後は寝るだけであった。
 このようにして、私は東京に赴任して、自分のための時間を持つことができなくなってしまい、まず第一に「時間」というものを失ったこととなった。無論、世の中にはこのような状況に置かれている人は多数いるが、「自分のために使うことができる時間」というのは、貴重なものである。私は、せっかく夢と希望とを持って東京に赴任したにも関わらず、会社の業績のために、「出世」と引き換えに、「自分の時間」を失ってしまったのである。後にこの「出世」も失うこととなるが、これは後述する。
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