「あたりまえ」は「あたりまえ」ではない

一人暮らしを始めてみて思う事。
それは、今まで家族がしてくれていた「あたりまえ」な事は、全く「あたりまえ」ではないということ。
無意識の中にあって普段は気づかないことかもしれないけど、実はとても大きいということに改めて気がつき始めています。

一人で暮らす

仕事が始まると同時に一人暮らしを始めた私。
朝は大体適当に食べて、昼は外食といってもほとんどコンビニ、夜はまた適当に作るか外食という感じに。
一日一回納豆を食べるのが習慣だった私はどこかに消えていっているようです…。
家族がどれほど健康に気を使って食事を作ってくれていたのだろうかと思うと、本当に感謝。
そして、掃除と洗濯。
実家にいる時は、たまに干すか、取り込んでたたむのを手伝うか、という程度でした。
仕事をしながら家事をする事、これがどんなに大変だったかをひしひしと感じています。

「あたりまえ」などない

そう、こういう「あたりまえ」は全く「あたりまえ」ではないと思うのです。
例えば「あたりまえ」にそばにいる人、「あたりまえ」にやってくれていること、「あたりまえ」に思っている環境…これらもそう。
学生だっていつかは社会人に、みんな平等に年をとっていく。
私が高校で学んだ言葉があります。
「諸行無常」
まさにこの言葉通りで、モノも人も全て変化していく。
全てがそのままのカタチで「あたりまえ」に存在し続けるわけではないのです。
その一瞬はその一瞬だけ。
でも、照れくさいとか、キャラに合わないとか…
無意識に感じていた小さな事に、改めて感謝を伝えるって難しいですよね。
嫌な事があって人にあたってしまったり、些細な事で意地を張って素直になれなかったり…そんなことがあった後だと余計難しい。
いつも「あたりまえ」な事に対して、その一瞬に対して、感謝するのは本当に難しいと思います。

カタチにする

でも、無意識に「あたりまえ」と思っている事、誰かがやってくれたこと等、これらの事に対して、どんなカタチでもいいから感謝を伝えることが大切だと思います。
それは高価なモノをあげるとか、高くておしゃんてぃな場所で食事をするとか、そんなことである必要はないのではないでしょうか。
例えば、一言「ありがとう」と感謝を伝える、メッセージを書いてみる、ギュッとする、とか…。
ほんの些細な言葉や行動でいいはず。
高価なモノをあげるより、心がこもったちょっとした一言や行動をもらったら、何倍も嬉しいと思いませんか?
キレイ事すぎ、クサイ、そう思うかもしれません。でも無意識なこと、「あたりまえ」に周りにあること…そこに気づいて感謝できたら、きっとお互いに嬉しくてあったかい気持ちになるはずです。
どんなカタチでも気持ちを伝える事が大切だと思います。
みなさんも、家族や大切な人に感謝を伝えてみたらどうでしょうか?
今回は、みなさんと私の些細な思いと感じている事を共有したくて書いてみました。
少しでもみなさんと大切な人をハッピーにするきっかけになったら幸いです。

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