よくありがちな社畜脱却なんてとんでもない。

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よくありがちな社畜脱却なんてとんでもない。
僕はマジな使えない奴だった。

どんなに会社に恵まれていたか。
とても僕は期待されていました。
会社は、僕を社長室のようなところに置いてくれました。
 100人規模の30年以上続く印刷とコンサルの会社でした。
その中で新人としていきなりそこに入ったのは僕だけでした。

社長と取締役、主任、僕と4人で
いわゆる経営を推進する部署です。

社長の会話がじかに聞ける。
 経営を左右する会議が目の前で開かれました。
社長に話しかけようとすれば出来る環境は
なかなか手入れられません。


でも、だけど・・・


私はその期待にまったく答えられなかった。
 やることやること、叱れてばかり。
 主任と特におりが合わず、
毎日叱られるのが日課でした。
 
動き一つに指摘を入れられ、
目をつぶって考えていると
寝ていると言われ、後ろからで叩かれました。
 当然の報いです。

僕は会社の売り上げにまったく貢献していなかった。
 僕の持っている資源の時間と頭をほぼすべてを なげうって働きました。
彼女とも別れました。
 一日16時間、睡眠は4時間から5時間。
 それしかできなかったんです。
文章をかくたびに1ページに
10カ所以上赤ペンが入るのは当たり前。
1ページが真っ赤になりました。
ほめられたことは2年のうち
数度しか思い出すことができません。 
コピーさえも、まともできずやり直しをしていました。

 食事は会社のビルの一階のコンビニですましていました。
昼食と夜食の食べ過ぎで、
体重は、0.1トンに超えそうになりました。

 自信が折れるばかり。 自信は折れて、粉々になり。
私が自分を感じなくなっていました。
 なにひとつ実績をつくっていません。
 なにひとつです。
よくあるような鬱になったけども
それを直して会社に貢献して
やめたなんて話はありません。
 なにひとつないんです。

 会社はすばらしいところでした。
 環境も最高でした。
会社は社長で決まりますが、
 社長は頭がキレて、
人の機微を感じて
 社員を動かす方でした。
尊敬していました。

 取締役の方も最高の上司でした。
 豪快に笑い、大型受注をまとめ
個性的な方々の考えをとりまとめ、
結果をだしていました。
影響をうけました。

主任もいつも僕を叱っていただきました。
 会社の中ではみ出した案件を
 その人だけにしかできない手法で まとめ、
見える化をしていました、
集中力はだれにも負けない方でした。
 似ているところがあり、まねをしました。
 
ただ、ただ、 僕が期待に応えられなかったんです。
 何もかもすべて私の責任です。
私はその会社では使い物にならなかった。
2年もいるのに、成果があげられない
自分に苛立。結果がでなかったので、
やめることにしました。
 
追伸
 いまでも、
書いていると涙がでてきます。
 私はそのときの自分にメッセージをあげたい。
 はやくやめて、こっちにこいとw
 おまえに会社員は無理だってね。 
それでは、次回は会社をやめて
 いよいよ今のように
正社員より10分の1時間で
それ以上余裕で
稼ぐようになるまでの話を
書きますね。

写真:正社員のときに、まちづくりコンサルとして、

毎日16時間以上働いていた時の24歳の時。

目が怖いね。ぜんぜん、感じない心になってた。

今のfacebookの13年6月27歳とはぜんぜん違うね!


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遠藤 貴也

私は北海道出身で中部、関西、関東と移り住み、今はソーシャルアパートメントでかなり楽しい毎日を送っています。100万以上投資もしたので、かなり人生の中で重要な2013年になりました。何もない凡人がネットビジネスで独立ができました。

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遠藤 貴也

私は北海道出身で中部、関西、関東と移り住み、今はソーシャルアパートメントでかなり楽しい毎日を送っています。100万以上投資もしたので、かなり人生の中で重要な2013年になりました。何もない凡人がネットビジネスで独立ができました。

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