paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

次話: paperboy&co.創業記 VOL.2: バイアウト後の東京進出

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてなかった。家で仕事が出来て、仕事をしながら子育て出来ればそれでいいやと思ってた。当時サラリーマンをしてたんだけど、中学2年から引きこもり、対人恐怖症気味だった僕には、定時出社や同僚とのコミュニケーションが苦痛でしようが無かった。サラリーマンを辞めたいが為の起業。どちらかというと逃げ腰、後ろ向きの起業だった。


起業と同時にロリポップを立ち上げた。最初は一人だった。デザイン、開発、サーバー管理、ユーザーサポートを全部一人でやっていた。息子が産まれた夜遅く、病室でユーザーからの凄い剣幕のクレーム電話に対応して、泣いた。


ユーザーは立ち上げからずっと順調に増えていた。そのうちユーザーサポートが回らなくなってきて、ネットで知り合った現ペパボ社長の健太郎(くわがた)に入って手伝ってもらった。僕がためこんだユーザーからのメールを、健太郎はストレスで血尿を出しながら返信していた。


サービスを作るのは楽しかった。元々デザイナー兼プログラマーだったし、一人でデザインや開発をして、それがユーザーからダイレクトに反応があるのはとても刺激的だった。学生時代は油絵をやっていて、将来は画家になりたいと思ってたけど、世の中に作品を出して反応を得る、という点に置いては会社経営もウェブサービス制作も表現活動なんじゃないかと思う。

その後もユーザーは順調に増え続けた。社員も増え、事務所を構えた。会社が大きくなっていくことに喜びを覚えはじめていた。併せて、責任も感じはじめていた。もう僕一人の会社じゃ無いんだ、と。急激に社員が増える中で、会社の制度が追いつかなくなってきて色々と問題もあったけど、まあ楽しくやっていた。

起業から2年後、急にライブドアの堀江さん、GMOの熊谷さんといった錚々たる方々からM&Aのオファーが届いた。最初は全部断る予定だった。でも滅多に会える様な人たちじゃ無いし、会ってみて断っても良いかなと思った。実際会ってみた中、GMO熊谷さんに口説き落とされてしまった。経営者として、人間として、輝いて見えた。この人と一緒にやりたい、やってみたいと思った。

GMOインターネットグループに入った。決め手は熊谷さんの人格、そして「社名やブランド名は一切変えなくて良い、社風もそのままで良い、むしろGMOグループをペパボ色に染めてくれ」という熊谷さんの言葉だった。50.1%を譲渡した。全部持ち株の譲渡だと何だか会社や会社のみんなに申し訳無い気がして、半分は増資にしてもらった。オファーが来て1ヶ月後の出来事だった。普段からモットーとしている「やると決めたら後はどれだけ早くやるか」に従った。

上場企業とのM&Aなので、正式発表されるまで健太郎以外の誰にも相談出来なかった。発表された昼過ぎ、社員を集めて説明した。既にその日の日経朝刊などで知っていた社員も居て、自分の口から伝えられ無かった事を申し訳なく思った。「えーっ、まじで…」という声もあった。ムームードメインを立ち上げて、GMOのお名前.comを敵視してやっていた中、その反応は当然だった。

会社、個人の銀行口座にそれぞれに数億円が振り込まれた。

僕らはGMOインターネットグループにジョインした。

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