paperboy&co.創業記 VOL.3: 東京進出、そして変化。混乱。

前話: paperboy&co.創業記 VOL.2: バイアウト後の東京進出

福岡時代、僕はペパボはいわゆる”ベンチャー企業”では無いと思っていたし、スタッフにもそう言い聞かせていた。ITベンチャーで連想される、ヒルズ族といった様なギラギラとしたキーワードが嫌いだったというのもあるし、そもそもペパボ自体は起業した月から、ロリポップで順調に売り上げが伸びて経営は安定していたから、がつがつとする必要が無かった。家族経営スタイル。これが福岡時代のペパボだった。


GMOグループにジョインし東京に出てきて、同世代経営者との交流が増えた。福岡時代は周りに経営者の先輩や同世代の友達なんかいなかった。社長として、社員には言えない様な悩みを共有出来る仲間が出来た。熊谷さんといった、経営者として尊敬する人物が身近に出来た。色んな経営者と触れ合う中で、言動や振る舞いといった表面的な部分で「もっと社長らしくあるべき」と僕は勘違いしはじめた。社員に「家入さん」から「社長」に呼称を変えるように命令した。毎日スーツを着たり、偉そうに振る舞ったりしてみた。株の売却で得たお金で買ったブランド物で身を固め、夜な夜な歓楽街で飲み歩いた。


今考えると本当に愚かだったなと思う。


僕は僕のやり方で良かったのに。


会社も大きく変化していった。GMOグループに習って、予算と実績の管理を行う様になった。雇用規定や給与規定、評価制度といった社内制度が急激に整備されていった。それまでは規定などあって無い様なものだった。


東京に出て来て、東証一部企業のグループ会社になって、僕も会社も急激に変化していた。そして、まだ大多数の社員が残っている福岡支社のみんなと意識がすれ違いはじめた。


そりゃそうだ。福岡の社員はみんな、まだ家族経営的なペパボのままだと思ってるのに、そしてそんなペパボについてきたのに、自分たちの知らない所で、顔の見えない幹部陣に勝手に会社が凄い勢いで作り替えられてるのだ。


福岡支社が荒れ始めていた。「社長が何を考えているのか分らない」「会社の方向性が見えない」「今までのままで良かったのに」といった避難の声が上がってきた。僕は僕で「こんなに頑張っているのに、会社をより会社らしくしていこうとしているのに、何でみんな分ってくれないの!?」と悩んでいた。とにかくペパボをちゃんとした会社にしたかった。周りの経営者に追いつきたかった。


(…会社は、大きくしていく為にあるんだ!)


ユーザーを増やして、売り上げを伸ばして、みんなの給与を上げて、社員を増やして、会社を大きくしていくんだ。そしたらみんなハッピーじゃん。それの何が悪いの!?何でみんな文句を言うの?


そう本気で思い始めていた。


「家族と、子供と一緒にいるために会社を作った」


そんな僕はもういない。


この時、僕は初めて ”ITベンチャー経営者” になったんじゃないかと思う。


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