投資先を自らCo-Founderとして創ったときの話

2007年に前職を退職して、5月にベンチャーキャピタルファンドを立ち上げたのですが、当時投資したいテーマというのがいくつかありました。当時CGMやWeb2.0といったキーワードの事業コンセプトが注目されており、モバイル(ガラケー全盛)の勝手サイトのトラフィックが次の主戦場と目されておりました。
なかなか適切な会社との出会いがなく、だったらいっそ作ってしまおうということで本間さんとスタートしました。経営チームのリクルーティングを行いながら、先行してサービス開発しようと思って、本間さんと仕様書をつくりながら外注先に発注したりしておりました。法人の登記を行政書士の先生にお願いしたり、コーポレートサイトとか友達に相談してつくったりしてました。
今にして思えば、当時の自分の仕事ぶりも大変クオリティが低く、後々チーム結成してキックオフすると大変な事態が待っていました。今でこそ失敗体験から学べたと思えましたが、自社サービスを外注で開発して伸ばす、ということの難易度を思い知りました。またコーポレートサイトや名刺なども全面的にリニューアルをしまして、いい感じになりました。(当時のコーポレートサイトやロゴやコーポレートキャラクターはデータも残っていないのですが、残ってなくてよかったな、と思えるレベルですね。思い出すと死にたいですね。※ここで使っている画像は後藤さん監修リニューアル後のちゃんとしたやつです。)
ただ、一つこだわってよかったな、と思うのは組織文化/組織の遺伝子についてです。当時(に限らず今もですが)、エンジニアがスタートアップの主役として大活躍している時代でして、我々は「エンジニアが売上責任まで背負って一つのサービスを開発/運営する」というスタイルを目指しました。これが後々、勝手サイト市場で機動的にゲームを立ち上げて運営したり、ソーシャルアプリ/ゲーム時代の黎明期に、市場の求めるスピード感にフィットして、いい形でスタートが切れた要因の一つでした。(2009年の時代背景にマッチした、に過ぎないので、早々にその組織戦略の限界にぶつかり、今となっては不十分で時代遅れなスタイルではありますが)
これらの経験を通して、会社創業時の遺伝子は本当に大事だな、と痛感しまして、その後に二社目の創業者をしたときも、すごくこだわっております。
もう一点すごく思ったこと、学んだことは、創業時の経験や他の会社から見た業界の前評判は、あまりあてにならないな、ということです。
というのも、経営チーム結成(実質上のスタート時)の僕らの能力はとても低く、戦略もプロダクトもシャープじゃなかったのが実情で、実際私の周囲からも大変微妙な視線を集めておりました。この時期は私も正直大変ビビりながら、恐怖心と戦っておりました。
ただ、経営チームがいろいろなサービスに挑戦しながら、経験から学び、それらを新しいサービスに注ぎ込むということを続けていたら、ある時市場の動きと上手くかみあって、急成長が始まったわけです(僕らの仕事はその瞬間まで支え抜くことも大事な役目だと思っています)。資金の余裕があるならば、前半は組織の成長が一つの成果と言えるのかもしれません。

著者の和田 圭祐さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。