今までの自分は間違っていたと気付いた、23の春

前話: 自分がどこかへ消えていると気付いた、22の秋

今までずっと正しいと思っていた。


今まで、私はずっと、自分が我慢すれば、みんな幸せになれる、と信じていた。
私さえなにもしなければ、私さえいなければ、きっとみんな幸せなんだろうな。

でも、あるとき知ったのです。

私がいないと、世界が成り立たない場所もある。
私が幸せにならないと、幸せが成立しない人がいる。

それは、言葉やきれいごとではなく、体感で感じたのです。

言葉では表現しずらいのですが、すべてこの世にあるものは必要だから存在しているのです。

喜怒哀楽という感情も、どれが悪いとか、どれが良いとかではないのです。
善人も悪人もいないのです。
それが必要だから、それがそこにある。ただそれだけの存在なのです。



そういうことを、言葉でなく感覚的に気付いた時から、私は私の使命があるんだな、ということに気付きました。

まだ発展途上なので、この気付きも正しいかわからないし、誰かにとっては間違いであることも承知の意見です。

しかし、今回は自分のストーリーということで、私の意見を書かせていただきます。


彼と同棲をやめるちょっとまえ、私は簡単な瞑想(ただ呼吸を感じるだけ)をしました。そのときに、いつも考えてる疑問が浮かんできました。

自由になりたい。でも、どうすればいいの?なれるの?

すると、もう自由じゃないか

って聞こえたんです。えっ?自由?なわけない、こんな苦しいのに。
と最初は思いましたが、よく考えるとそうなのです。
母は、たまによく帰ってきて良いよ、と言うし、やろうと思えば彼が仕事中に荷物をまとめて旅経つことさえ可能なのです。(傷付けてしまいますが)

ということを発見した私は、約1ヶ月後、その通りに、行動していました。w

そして、今に至ります。
今は、実家を離れて東京で暮らしています。
実家には母がいますが、うつ病なので支えたい、という想いはありますが、私も精神的に不安定なので一緒になって落ち込んでるときもよくあります。
これじゃ進めない、とおもって、思い切ってきたのです。

まだ夢を追いかけてる途中ですが、(生きてる限り私はそうだと思いますが)このストーリーが誰かの目に触れて、なにかの役に立てば幸いです。

また、私は場面緘黙症なので、それを広める(大人の緘黙症は認知されてないので)活動や、症状軽減などの情報も欲しいなと思っています。
独学で、潜在意識などのことは勉強をして、少しは理解出来ているので、最近ではそれに過剰に影響されることはないのですが、まだ名残はあります。

ぶっちゃけ、場面緘黙症は治る病気かもしれないですが、治るというよりは、開き直ることを私はしています。
場面緘黙症でも生きていける、愛される、仕事ができる、それでもいい、それでも胸はっていける、そういうことを伝えていきたいです。

お読み頂き、どうもありがとうございました。
また書きます。

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