私が自分の左手を好きになった話。

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生まれつき、私の左手には赤アザがあった。

「単純性血管腫」という言葉を聞いた事があるだろうか?
別に検索する必要はないが、皮膚に赤いアザのようなものがある状態のことを医学的にはこう呼ぶらしい。
こんな大層な名前をつけられてしまうと急に恐くなってきてしまうのだが、実際のところほとんど害はなく、種類によっては成長の過程で消える場合もある。
色はピンク色からワインレッドまで様々。
私の場合このアザは左手の甲にあるのだが、外気温や湿度によって色の濃淡が変化する。
幸い私はこのアザのせいで虐められたりしたことはないのだが、一生付き合っていかなければいけないというのもまた事実。
実際、中学3年生くらいの時少しだけ悩んでしまったこともあった。
ネットで「赤アザ 生まれつき」と検索したり、当時mixiで「生まれつきアザがある」というコミュニティを見つけ迷わず参加申請を送ったことをよく覚えている。
そこには、私とは比べ物にないくらい「生まれつき」に悩まされる人たちが、それぞれの辛い心境を語っていた。

私はどうやら恵まれていたらしい。

当時中3だった私はネットに溢れる赤アザの情報は集められるだけ集めた。
でもその中に満足できる情報など1つもなく、結局分かったのは「世の中にはこの赤アザのせいで苦しめられている人がたくさんいる」ということだけだった。
顔にアザがあり、そのせいで虐められてしまった人。
生まれた子供にアザを見つけ、必死にレーザー治療をしようとしている母親。
友達に指摘されるのを恐れてファンデーションでアザを隠す女性。

それを知った時、私は自分が恵まれた環境にいたらしいということに初めて気づいた。
自分の性格の問題かもしれないが、左手について聞かれて困った事も気味悪がられて避けられた事も記憶の中にはなかったからだ。
むしろ、「生まれつき」と言って「え…」と返してきた女の子に対して「大丈夫触ってみなよ!普通!サラサラ!」と左手を差し出した覚えすらある。
周囲の環境、そしてたぶん、親のおかげで、私は特に悩む事なく生きてくることができたのだろう。

それでもやっぱり恐かった。

そうはいっても当時の私は中学3年生。
ネット上に溢れた真偽の分からない情報やいろんな人たちの心境を目にしてしまった以上、恐怖感を覚えないわけがなかった。
この手が将来大変なことになったらどうしよう…
そんなことを考えてただ天井を見つめるような夜もあった。
しかし考えても考えても答えなど出るわけがない。
正直、医者すら分かっていない答えに思考を巡らせるのは中3の私には少し荷が重すぎた。

「ともちゃんの左手いいなぁ、うらやましい」

左手について考え始めてから数週間後、私は自分の左手が嫌いになってきていた。
ああ、なんでこんなもの持って生まれたんだろう、って。
でもその考えはある日突然くるっとヒックリ返った。
学校から帰ってきた私に向かって、急に弟がこう言ったのだ。
「ともちゃんの左手いいなぁ、うらやましい」と。
正直意味が分からなかった。
何を突然、この子は言い出したんだ?と。
「え…?なんで?」
「だってアレンみたいでかっこいいじゃん!僕も欲しい!」

私は思わず言葉を失ってしまった。
どうやら弟はハマっているマンガの主人公のことを言っているらしい。
私の左手を無邪気な笑顔を浮かべながら羨ましそうに見ていた。

なんだか純粋に、嬉しかった。

いつかは救える人になりたい。

それ以来、私は自分の左手が好きになった。
この色も、この形も、私しか持っていないものだし、時には「火傷?大丈夫…?」と心配して尋ねてくれる人の優しさにだって触れられる。
同じものを持って悩んでいる人にはちょっと申し訳ない気持ちもあるけど、やっぱり私はこの左手が心底気に入ってる。
「生まれつき」もそんなに悪くない。

そしてそんな私には、まだ誰にも言った事のない小さな夢がある。
それは、同じものを持って生まれた人にいつか会いにいくということだ。
茶アザや青アザを持つ方には時々お会いするのだけど、赤アザってなかなかいない。
弟にことばをもらった当初は、「将来絶対お金持ちになって、単純性血管腫の研究にお金を使ってもらう!!」とか思ってたけど…
たぶん本当に必要なのは技術の革新じゃなくて、悩んでる人たちと面と向かって話すことなのかなぁ、なんて最近は思ってる。

正直、まだまだ分からない事だらけ。
でも、赤アザのせいで寂しい思いをする子供はゼロにしたいな。
どんなに嫌いなものでも、誰か1人にでも「好き」って言ってもらえれば、きっとちょっとぐらいは「嫌い」が小さくなると思うから。
それだけはわりと本気。

いつかは救える人になりたいものです。
読んでよかった
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Tominagaさん
私の場合は、周囲に救っていただいてばかりですね

私も左手の甲に赤アザがあります!子供のときはずっと赤くて、大人になってからは体温が高くなると赤くなります!紫ではなく、赤!というくらい濃くなります!

ありがとう

私も左肘から手のひらに赤アザがあります。ですが、夏には半袖やノースリーブを着ます。周りは気になって見ますが、着たい服を着て出掛けます。それが、自分ですからね。
姉にも膝に赤アザがあります。娘のかかとにも赤アザがあります。私の周りは赤アザが少しいますので、廣川さんと同じく、私も恵まれた環境だったと周囲に感謝しています。

恵まれた環境・・・。
心の持ちようですね。私も自分の血管腫をいやだと思ったことは一度もありませんでした。右半身首から足先まで血管腫がありますが、小さいころから、からかわれたこと等の記憶はありません。その分、周囲の方が気を使っていたのでしょうね。
血管腫のできた時期は、母親のお腹にいた時の胎児の格好をするとまだらになっている血管腫の部分がつながり、発達のごく初期に出来上がったことも推定できます。
ちょっと心配したのは、自分の子供が生まれた時ぐらいかな・・・。
でも、このような話をするのは、生れてこのかたありませんでした。
書きながら、気持ちが解放されて行くのが感じられます。
ありがとうございます。

「それ、どうしたの?」という質問には、ちょうどあなたの唇と同じ組織ですよ・・・と言って押して見せます。寒いと紫色になるのも、貧血を起こすと赤あざが消えることも唇と同じですね。

私の顔の右頬全体にも、生まれつきの赤痣があります。
寒さから紫になったり、暖かいと茶褐色になったり…。
元々隠しようがない顔にある痣である事、肌(皮膚)が弱い為に化粧をして隠す事が出来ない事、が人付き合いを上手にはさせてくれませんでした。
話せば長くなるので簡潔な言い方しか出来ませんが、決して可哀想な訳でもなく、かといって何事も無かった様な感じに捉えられるのも違くて……同じ思いでいる人達との交流は…きっと自分を好きになれるチャンスな気がして、可能なら私も望みたいです。
何もない、何も残せていないこんな私の経験が誰かの役に立つ様に、今後を生きたい。
そして、自分自身をちゃんと好きになりたい。

あたしは右腕の手首から肘にかけてあります。
母親のお腹にいる時、ちょうど阪神淡路大震災が起こり
その3ヶ月後にあたしは産まれました。
生まれてあたしの腕をみた周りの人はを
受けたと同時に無事に産まれた事に安心したらしい。
3歳からレーザー治療をはじめ高校生になるまでした。
でも、最新技術の治療でも消えないことがわかり
治療をやめて一生付き合うことにしました。
確かに質問されるけど自分が生きてる証だから隠す事
はしないし産んでくれた母親に感謝です^^*

初めまして。私は左手の手の平一面に単純性血管腫(とても濃いワインレッド)があります。
私も未だに手の平に赤痣のある方にお会いしたことはありません。
今は、このような情報交換ができ、大変うらやましく、皆さんがとても強くて優しい方ばかりで、少し切なくなります。
私には、とても愛しい娘が2人おり、次女は大学3年。2人とも赤痣はありません、小さなカフェオレ班が腕にあるくらいかな。
私くらいの年になってしまえば、若い頃よりは肝が据わります。そして、ちょっとだけいい事があります。この痣を見せた時の相手の反応で、相手が少し視える事かな。廻りの人達は、痣に気が付いても気が付かないフリをしてくれます。何も聞いてこない方がほとんど。でも、心に残っている方は、しっかりと話してくれる方たちでしたね。
痣ではないのですが、手の指がほとんど無い方が、新幹線の駅で、降車する方の切符を、その手で受け取っていました。思わず、抱きしめたくなりました。(笑) 人生長いです。楽しい事いっぱいです。頑張りましょう!!

初めまして、通りすがりから失礼します。
わたしも左肩に赤紫の痣があり、21年生きてきてつい先程初めて調べて単純性血管腫という言葉を知りました。ほんとに、名前はすごくおどろおどろしいですよね。しかし私の痣もすごく軽度だから言えることなのかもしれませんが、私はこの痣がとても気に入っています。半袖口からちらっと見える度に友達にどうしたん!?って聞かれますが、いじめにあったことも辛い思いをしたこともありません。実は右足の甲にも茶色の痣があるのですが、この痣がないと自分じゃない気がするんです。それほど私の一部として一緒に生きてこられたんだと、周りの反応に感謝しています。検索すると重症というのが正しいのかは分かりませんが、とても痛々しいような、見た目から辛い思いもされてきたような、そんな写真もみられますよね。治療するしないは本人の価値観ですが、どんな痣でも、その痣を人生のパートナーのように捉えられるような周囲の対応がとても重要なのではないかと、この記事を読んで思いました。

廣川 ともよ

慶應義塾SFC4年。 写真と文章を書くのが趣味。時々ブログも書いてます。http://tomoyo1994.blogspot.jp

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廣川 ともよ

慶應義塾SFC4年。 写真と文章を書くのが趣味。時々ブログも書いてます。http://tomoyo1994.blogspot.jp

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