【慶二郎】こんなんで勝てるわきゃーないよ

このエントリーをはてなブックマークに追加
時系列はメチャメチャ。今日は日が日でもあるので少し重い事も含めて書く。

行軍

ビルマの森の中を歩く。木と草ばかりの森の中を。
慶二郎は機関銃を担当していて、分隊長という役割をもらっていた。大体10人くらいの猛者どもを部下にして、目的の場所まで延々と歩く。

「猛者ども」と彼はいつも自分の部下達をそう表現していて、自分が東京の下町で育ったもやしっ子的な見方をしていたようだった。実際サバイバル的な部分は猛者どもが長けていて、ある日などは蛇を捕まえたけれど皮を裂けない彼に
「あーいいからいいから。分隊長はその辺で見てれば良いから」
と、その手のシーンでは軽くあしらわれていたようだ。当時の事に詳しい人は慶二郎が学校上がりでいきなり役職を持っている立場に誤解する人がいるかもしれないが、彼は現場で努力して認められて上がっていたらしい。彼は基本的に勤勉で、兵隊としては優秀だったようだ。

機関銃の装備は重い。通常の装備に加えて機関銃の設備も運ばなければならない。その装備を担いだまま時速4kmを常に保ち続けて行軍を続けていたと言う。扁平足で50mを13秒という驚異的な遅さで走る彼だが、行軍では遅れを取る事は無かった。
…話に尾ひれがついてカッコ良くなっている可能性はあるだろうけれど。

空から降ってきたもの

遠くから音が響いてくる。
ブー…
慌てて隠れる分隊の面々。
「ババババババ…ッ」
空からの音。やむまでジッと隠れ続ける。
戦闘機が飛び去る。
「カラカラカラ…」
降ってきたのは薬莢だ。そこらへんに落ちてくる。
当然だが、反撃しようにもこちらの武器では当たるはずも無い。向こうの銃器に当たらないように隠れる事で精一杯だ。
「こんなんで勝てるわきゃーないよ」
慶二郎はそう思ったらしい。持っているものが違い過ぎるという事だった。
こっちがノロノロ歩いている間に向こうは戦闘機で飛んできてぶっ放しておけばいいわけだ。

逃げまわる

武器と物量が圧倒的に違う。

彼は元々「お国の為に命を捧げる」ような愛国心でできた人間ではなかった。愛国心の名の下に、玉砕という方法を取るような気はなかった。ただ、自分の部隊を生き延びさせる事だけを考えていた。
だから彼の取った方法は「まともに戦わない」という事だった。行軍していれば付近の敵部隊に近づく事もある。戦いになっても殲滅は目指さず、いかにうまく切り抜けるかだけを常に目指した。闇雲に機関銃を打って威嚇し、全面衝突を避ける。

もしも物語の影響で敵を狙って撃つようなカッコいいものが戦争だと思っているとしたら、多分それはホンの一部にあるものだったろう。狙って当てる余裕のある戦場がどれ程あっただろうか。

慶二郎は多くは語らなかったけど、部下が死んでしまう事は避けられない事だ。
当然亡骸を綺麗に弔ってやるような事はなかなか難しい。骨を持って帰ってやりたいが、そんなわけにもいかない。
できるのは手首だけ落して、焼いて持って帰ってやる事だった(これが当たり前に行われた事なのか、書いている僕はよく知らない)。

晩年

この手の話を聞く度に
「戦争は、してはいけないんだ。」
と何度も聞いた。
「上の連中は昔の人達が日清なんかでうまい事やったのを知っていたんだ。本当はあの戦争だって勝った訳では無いのに(交渉上手な政治家がちゃんと終わり方を作っていた)。なまじ良い話だけ残っているから『自分たちもうまくやれるに違いない』という根拠の無い自信と好奇心があっただけなんだ。」
「刀を持てば抜きたがる。抜けば斬りたがる。」
この言葉もよく聞いた。戒めにしておきたい。
読んでよかった
このエントリーをはてなブックマークに追加
このストーリーをブログ等で紹介する

海軍に居た祖父の話を思い出しながら読みました。食卓占領時間はやはり長かったですよ。ありがとうございました。

ありがとうございます。他の文章も読んでいただいたのですね。うちもいつも同じように占領していたので、あれはあれでリズムみたいなものなのかもしれませんね。お祖父様の話も大切になさって下さい。

ご祖父さまの貴重な戦争体験談を読ませていただき、ありがとうございました。私の祖父も陸軍軍人で南方へ出征して、生きて日本に帰ってきました。その後結婚して母(娘)が生まれ、その27年後私(孫)が生まれ、さらに30年後に息子や娘(ひ孫)が生まれて今に至ります。死線を潜り抜けて生きて帰ってくれた祖父に、感謝の気持ちを伝えるために、時々仏壇に親子で手を合わせています。

コメントありがとうございます。もうこういった話を伝えられる人も減ってきていますので、少しずつでも残せたらなと思って書いています(最近はサボってしまっていますが)。お互い先達に感謝しつつ進みましょう。

Sato Masashi

「プログラミングだけやる」のがおなかいっぱいになり過ぎてサークルアラウンドという小さな会社を作ってしまいました。PGHouse豪徳寺から出て少しのんびりしています。次は日々作る人が集まるハウスを自分で作りたいです。夢と妄想だけで生きてゆける幸せな人種だと思います。

Sato Masashiさんが次に書こうと思っていること

|

最近「読んでよかった」がついたストーリー

雨のふるお盆に電話がかかってきて

愛情のない家庭で育った私が見た世界

ちくわに母を殺されたハタチの大学生の話

【第1話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

【末期がんの父に贈った病院ウエディング】めげない心が起こした奇跡

1億円持ってるレベル99のニート(トレードと愛人と◯◯のコツは、みな同じでした。)【前編2】

「あること」に気づいた瞬間、運気が一気に好転しはじめた!

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ2(発生事実・後編)

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・後篇

5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・前篇

就活中、運命は必ずしも実らないことを知った。けれど、幸運の掴み方を1つ知れた。

出会って30秒ぐらいの人にプロポーズした話 【第1話】

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート2(完)

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

Sato Masashi

「プログラミングだけやる」のがおなかいっぱいになり過ぎてサークルアラウンドという小さな会社を作ってしまいました。PGHouse豪徳寺から出て少しのんびりしています。次は日々作る人が集まるハウスを自分で作りたいです。夢と妄想だけで生きてゆける幸せな人種だと思います。

Sato Masashi

「プログラミングだけやる」のがおなかいっぱいになり過ぎてサークルアラウンドという小さな会社を作ってしまいました。PGHouse豪徳寺から出て少しのんびりしています。次は日々作る人が集まるハウスを自分で作りたいです。夢と妄想だけで生きてゆける幸せな人種だと思います。

Satoさんの他のストーリー

  • 「客員研究員」という変わった肩書き。

  • Satoさんの読んでよかったストーリー

  • 海外で起業を目指してみたものの、、、、