エムプテイ ネスト症候群

アメリカでは、子供が18歳になって大学などに行くときになったら、それは子育ての終わりを意味する。日本よりは少し早いと思う。18歳になれば法律的にも責任ができるし、ほとんどの子供たちは、大学に行くために家を出るからだ。子供たちはその時から一人立ちをするのだ。親はもうこうした方が良いというアドパイスもあまりできなくなる。日本よりももっとはっきりした。子供たちの旅立ちになる。
3年前、我が家のたった一人の息子(私たちには娘が3人息子が一人いる}も大学に入るために、私の誕生日の2日前に家を出ていった。何年も前から覚悟はしていたつもりであった。でも、彼が実際家にいなくなった日から私は崩れた。もう彼と一緒に同じ家で長く暮らすことはないのかと思うと、悲しくてしょうがないのである。涙が一日中止まらなくなって、彼の部屋に足を踏み入れることができなくなった。息子は男の子にしては、とても話しやすい性格で、いろんなことを話してくれたし、娘たちよりももっと私のはなしをきいてくれていたので、寂しくてたまらなかった。
毎日家にいるのが嫌になって、ショッピングモールをうろうろしたり、映画館で映画を何本も見た。高校生の娘がまだ二人もいるのに、夕食を作るのも嫌で、夜遅くまで、用もないのに家に帰りたくないのである。不良主婦をしていた。息子のいない夕食のテーブルがつらすぎたのである。夫や娘たちはあきれていた。でも、自分でも驚くほど、涙が止まらない日がつづいた。
2週間ほどしたとき、このままでは自分はダメになると本当に思った。とにかく外に出ようと思った。車を運転しながら、もう主婦を私も卒業しようと考えた。もうすぐ、下の娘たちも高校を卒業する日が来る。私の子育ては終わりに近づいていた。それを認めることがつらくて苦しんでいたのである。でも、ここで立ち上がらなければ、一生このまま子供に頼って生きていく人間になる。それだけは絶対にいやだ。でも私はこれから何をすればいいんだろう。そう思いながら、ぐるぐると車で走り続けていたら、道に迷ってある大学の構内にはいってしまった。気が付いたら、その大学のカウンセラーの前に座っていた自分がいた。
「なにを勉強したいですか?」とカウンセラー。 私は「えーっと」と答えに困ってしまった。何でもよかったのだ。何か自分が夢中になれることがあれば。「それでは、自分が興味のあるクラスをいくつかとって、それからメージャーを決めていきましょう」と親切にいってくれた。
私はその日から、自分の家から近い大学の学生になったのである。毎日ラップトップとテキストブックを抱えて、昼間は学校で暮らし始めた。息子や娘たちと同じぐらいの年の子に交じって授業を受けるのは新鮮だった。みんな宿題を助けてくれたり、わからない所をおしえてくれたりした。とにかく、朝から夜まで必死になって勉強をした。自分の脳が老化していることは自覚していたからだ。大学に旅立っていった息子に、「ママも大学生になったんだよ。」といったら、電話の向こうで笑って「がんばってね。」といってくれた。やっぱり子供たちはもう私を超え始めていると思った。
 
 
 
 
 
 
 

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