ゲーマー野郎が一人アカペラでYouTubeの再生回数100万回、そして本気でグラミー賞をめざすまでの話 PART 3

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良い大学行ってやるから、そこから好きにさせてくれ!

声楽家は反対され、たくさん喧嘩をしました。

そのとき言ったのが、

「良い大学行ってやるから、そこから好きにさせてくれ!」

でした。

まあ、かっこよく言い放ったものの、心の中ではなんとなく良い大学は行ったほうがいいかなと思っていたので、実際そこまでの心意気は無かったかもしれません。

むしろ、そんな言い方だったかどうかもはっきり覚えてない。

ちょっと盛ってるかも。

でも今の記憶では一応啖呵を切ったみたいになっていますので、このままにしておきます。


とにかく。


そこからがんばって勉強して、京都大学に入学しました。


大学を日本の大学にした理由は、日本語ができたから

小学校の頃のおかげというのか、せいとでもいうのか、中学時代韓国へ戻ったとき、周りの人に比べると学校の成績は全然ダメダメでした。日本語はぺらぺらだったのですが、言語を習得していた時間分、何かの習得は遅れていたのでしょう。

ただ、日本語はずっと上手かった。

ゲームは日本語でやっていましたし、ゲームの他にも日本のマンガが大好きで、「ワンピース」とか「るろうに剣心」、「ドラゴンボール」とかを読んでいました。

またバラエティー番組も大好きでした。「めちゃイケ」が大好きで、日本の友達に頼んで録画ビデオを国際郵送してもらったりしていました。

ナインティナインの矢部さんが大好きで、矢部さんのツッコミのテンポとかを小学生ながらに分析してできるようになろうとしてました。

面白くなろうとしてたのもモテたかったからだと思います。

日本語力を維持するには申し分ない環境でした。


ずっと日本の文化とは触れ合っていたおかげで日本語力は高校まで残っていて、大学の入試の時期になったとき、「これは、日本語を大学入試に使わなきゃ」と思いました。

せっかく日本語が話せるのに、普通の入試で競うのはもったいないと感じたので。

最初は日本語推薦の韓国のどこかの大学に入ろうかとも思ったんですが、それで入ったら日本文学とか、日本語学とか、いわゆる日本語をさらに深く勉強する学問になるんじゃないかと思い、それは嫌だったので、推薦は辞めて日本の大学を目指すことにしました。

ちょうどその頃いとこが浪人して、なんと明治大学に入ったという朗報が入ってきました。

いとこは日本に住んでいたわけでもなく、ゼロから準備して合格したのです。これはすごい。

それを聞いた母親は「あなたはもっといける!ゼロからで明治大学なら、あなたはすでに日本語がしゃべれてるんだから、その分他のどこかに費やしたらもっといける!」とあおってきました。

いとこの言われようが結構可哀想でしたが、たしかにそうだったので、日本の入試を準備しました。

周りに誰も日本の大学目指す人はいなく、情報がなかったのでインターネットで世界の大学ランキングを調べました。

学校の成績が特段いいわけでもなかったので不安に思い、明治大学を足切りにして、それより上にある大学を受けていきました。たしか、明治、立命、同志社、慶應、早稲田、京都、東京とかだったと思います。

 

ちなみにこのときハマっていたゲームは、韓国で大流行していた「Starcraft」と日本ですごく話題だった「ファイナルファンタジー10」。

(これはほんと大変でした。ファイナル・ファンタジーは本当におもしろい。)

「良い大学行ってやるから、そこから好きにさせてくれ!」と言っておきながらゲームばっかりしていたから、パソコンの電源コードを母親にハサミで切られたこともありました。

母親は本当に、ずっとファンキーでした。


本当に勉強ができない。環境を変えるしか…

外国人入試は「TOEIC」と「TOEFL」の点数も必要だったので、「TOEIC」と「TOEFL」を勉強していたんですが、

全く点数があがらない。

本当にあがらない。というか勉強が嫌過ぎる。

そこで、「なんでこんなに日本語はぺらぺらなんだろう」と自分を見つめ直し、「やっぱりその国に住まないといかんな」と思って、高校3年生のときにアメリカに行きました(6ヶ月ほどでしたが、一応アメリカの合唱団にも入れてもらって歌っていました)。

外国人入試って同じ大学でも日本人の入試と全然違って、大学によって時期がバラバラなんです。

(あとで知ったんですが、日本人は京都大学と東京大学は一緒に受けられないそうで!)

そういった制限が無かったので、世界の大学ランキングを元に、受験時期の早いものから順番に受けていきました。


本当に嫌いな勉強でしたが、ラストスパートをかけたこともあり、結果は運良くとんとん拍子にいきました。早稲田が11月頃と早くに合格発表があり、それに受かったあと慶應の試験があり、合格。そのあと京都大学に受かって東京大学は落ちたので、京都大学に行った、という感じでした。


さあ、めでたく2005年に京都大学に入学。

「音楽はいつからやっているのか」と聞かれたら、ここからだと思います。大学時代から。


まずは高校での経験もあり、合唱団に入りました。


京大合唱団へ。

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よう いんひょく

グラミー賞が獲りたい一人アカペラの韓国人。

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