第7回 日本の会社辞めて中国上海で働くまでの経緯。 【完】

前話: 第6回 日本の会社辞めて中国上海で働くまでの経緯。
次話: 第1回 ジョーと僕との上海生活。

KTVで出会った多多という女性とデートした。

上海のいわゆる観光地を見てまわる。

中国人は声がでかいなーとかエネルギッシュだなとか日本人が上海を観光すればおもうようなことを僕も一通り思った。

でも今思えば実は日本的な見方に偏っていたなと思う。


多多は僕の状況を非常に理解してくれていた。

別に仕事がなくて上海にきたわけでもないけど、

そのときは多多の言う本質を理解できていなかったけど、

「あなたかわいそうねー」

そう何度か言われた言葉が印象的だった。

KTVの女性がみんな良い人とは限らない。

騙されるかのような体験をした人もいるだろう。

でも多多には本当に上海に来たばかりの頃にはたくさん助けてもらった。


僕は2011年ゴールデンウィーク中、予定していた通り面接を受けて、とにかく走り抜けた。

結果的には内定7社いただいた。 

もともと語学面は、正直に伝えており、ごまかすこともなく素直に面接を受けた。

手ごたえ通りだった。

むしろ、中国語も話せない自分にここまで期待していただけたことに素直に感謝の気持ちと嬉しさがあった。

ただ言うまでもなく、内定は数ではない。

内定をいただいた会社で働く場合、自分にとってのメリット、デメリットを何かを考えた。

本当に多面的に考えてみた。

◆日本で営業を行っていたので、その経験を生かしたい。もっといえば、今までの経験が正しかったのかどうか比較するフィールドで一度働いてみたい。

◆まずは上海全体のマーケットを俯瞰して見れるような会社に入りたい。

そんな理由で上海で日本人が立ち上げた広告会社に入社することに決めた。


怒涛のゴールデンウィークを終えて、東京に戻った。

といっても以前にも書いたように、すでに自分の家はないので、

6畳部屋の仲間のところに。

彼の家の前で、僕は最後の最後まで言えなかった親に電話することにした。

退路を断つために仲間にも会社にも言っていたけど、親には言えなかった。

もと正確に言えば、親にだけは確実に内定が取れるまで言わないことにしていたのだ。

なぜか。

心配するから。

特に母親は何か心配事があると夜も寝れないタイプで、余計な心配をさせたくなかった。

今回は旅行に行くという事だけ伝えていた。


僕「元気?康明だけど。」

母親「元気だよ。上海から戻ってきたかね?」

僕「おう。無事に戻ってきたよ。」

僕「あのさー。。」

母親「どうせまたバカな事考えてるんでしょ」

僕「今の会社辞めるわ。」

母親「辞めてどうするの」

僕「上海行くわ。上海で働く。1回の人生だから。もっと挑戦したい」

母親「上海で死ぬなよはははは」

母親「まあ自分の人生だから好きに行きなさい」

僕は完全に泣いていた。

僕「これからオヤジにも伝えるから。」

母親「わかった。ちゃんと自分の声で伝えないさい」


僕「おうオヤジ。康明だけど。上海から戻ってきたよ」

オヤジ「そうかあ。楽しかったか。」

僕「まあね。あのさ。。上海でこれから働くことにした。」

オヤジ「。。。。。」

僕「心配いらないから」

オヤジ「。。。。。。」

オヤジ「まあどうせ引き止めても行くんだろ。」

オヤジ「頑張りなさい。」


僕は号泣してた。

オヤジとお母さんの温かみ。

僕が子供のころからそうだった。

自分の人生なんだから自分で決めなさい。

高校選ぶときも僕の考えを尊重してくれる。

自分で決めなさいという事を言って、参考程度にしか親としての意見は言わない。

でもすごく応援してくれる。

ずっと変わらない温かさで今も見守ってくれいる。


多多とは帰国後もスカイプで連絡を取りながらビザの発行を待っていた。

ビザが遅れて当初の予定より遅れたけれど、

無事に2011年7月30日から上海に住んでいる。

やっぱり上海に着いた後は、ジョーと会って、その後多多とも会った。


2010年の年末に宣言した上海で働くという目標。

半年以上かかったけど目標達成。

日本の一般的なレールを外れた生き方を選んだ自分の勝負はまさにここがスタートラインとなった。

親はパスポートさえ持っていない、海外旅行も大学で初めて、英語も日本レベル、中国語も超初級、そんなやつでも帰国子女のように海外で働けるのか。

僕みたいなやつが働ければ、日本でモヤモヤしてる人、海外に憧れを持っている人などなど、そんな人のロールモデルに少しはなれるのではないかと使命感を感じている。

そして一見矛盾してるようだけど、日本への危機感、日本のためにも自分は頑張らないといけないと思っている。


日本の会社で働いていたときには、よくコミットしてから動けと言われた。

この会社が大好きだったわけで、やはりこの会社のDNAは僕の行動原理にしっかり蓄積されているなと思った。

コミットして退路を断って行動する。

むしろだからこそ、今回のこの過程の中で逃げなかったんだと思う。


2013年9月時点では、コンサルティング、貿易、レンタルオフィスなど日系進出サポートを行っている会社で、縁あって働いている。

上海もすでに3年目。

日本で普通に働いていたら絶対に経験できないような時間を過ごし学び成長できている。

そういう時間の中で、感じたこと、学んだこと、ジョー(大学の先輩)のこと、多多のことも含めて引き続き書いていきます。

日本にいればテレビやネットで中国関連の情報はたくさんあると思う。

でも、日常生活の中でもっともっとリアルな目線ではどのようなことが起こっているのか。

もう少し、このサイトをお借りして書かせていただきます。

上海に来た当初から自分の体験して思ったことなどを本にしたいという夢がある。

本にはできないかもしれないけど、本以上の価値ある体験ストーリーを、このサイトで発信してみたい。

バランスの取れた思考で考えた結果であっても、必ず右より左よりに偏るわけだけど、率直に書いてみよう。

炎上しませんように。。

続きのストーリーはこちら!

第1回 ジョーと僕との上海生活。

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