25歳で生まれ変わったのでは?と最近気づいた 【「=」の世界編】

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お前誰?今何歳?

まずそこからですね。
名前はまぁいいとして、今はhabitechというスタートアップを作って、エンジニアとかプロデューサーとか何でも屋として働いている27歳です。

なぜこんなことを書こうと思ったの?

現在スタートアップ界隈に生息しているのですが、周りにものすごい個性的だし、面白い人生歩んできた方がすごく多いんです。別にこれまでの人生で勝負が決まるわけでもなく、どうでもいいっちゃいいんですがなんか訳もなく若干悔しかったので、逆に何も波風のない人生がネタにならないものかと考えてました。
そしたらやっぱりなりませんでした\(^o^)/
だけどよく考えたら、転職をきっかけに25歳で割と劇的に人生が変わったなぁと思ったのでそのことを書いておこうかと思いました。プロローグ的に全然面白くなかった最初の25年間もせっかくなので書きます。カラマーゾフの兄弟の上巻くらいの苦行だと思って読んでいただければ幸いです(´ω`)(一部人物等脚色されている可能性もあります)

「=」の世界、「⇒」の世界、「?×∞」の世界

ざーっと今まで何やってきたか考えてみると、高校までは生まれ故郷の長崎にいました。でも小学校6年生の1年間だけ東京にいて、今思えばあれが1つ目の大きな刺激だったのかなぁと。
その後東大理1に入学し、学部3年から大学院まで平穏に航空宇宙工学科に在籍しておりました。その後DeNAに就職し、(いろいろあって)今に至る。という感じです。
改めて考えてみるとここには実は3つの世界があって、まずは「=」の世界。これは答えを=で結んで書くような世界ですね。これが大体高校生まで。そこから「⇒」の世界。ロジカルに考えなければならなくなってくる時期、これが大学院くらいまで。そしてその後が「?×∞」の世界。答えなんかないし、問さえ自分で探さなきゃならない世界。この3つの世界に分けて書いていこうかなと思っています。

「=」の世界のいい子ちゃん

さっきちらっと書きましたが、僕は生まれも育ちも長崎です。ご飯(特に魚)の美味しい異国情緒あふれるいい街なのですが、正直言って昔の記憶はあまりありません。
でも幼稚園に行く前に公文を解いていたことだけは覚えていて、おそらく毎日2〜3時間はやってたんじゃないでしょうか。多分これが人生で一番勉強した時期です。
よく公文式こそ日本の教育、みたいな感じで言われるのですが、僕は結構やり方によっては良い教材だと思っています。今もそうかは分かりませんが、公文って学年ごとにアルファベットが振られていて1学年が200枚。終われば次のアルファベットに進みます。進むのが楽しい、それだけでよく分からずに当時はやっていたと思います。
でも教室の先生がとてもよい先生で、本当に分かるまで3回も4回も200枚をループさせられました。公文は同じ学年で進度の全国上位は表彰されるので、とにかく前に進ませる方もいると後で知ったのですが、今になれば分かるまでやって良かったなぁと思います。
まさしくこれが「=」の世界で、プリントにも=が並びまくってましたね。言い換えれば単純作業を反復する世界です。
そして小さな事件、父の仕事の関係で1年だけ東京に行きました。実はそれまで小学校は私立の男子校だったんですが、いきなり公立の共学。割とカルチャーショックでしたよ当時は。多分この1年で僕は将来東京に来ようと決めたと思います。ちっちゃいですねー(´ω`)これが「アメリカに行ってやるんや!!」じゃない辺りに自分の小ささを感じます。
中学はまた私立の男子校に戻りました(小中一貫という珍しい学校でした)。ここで結構面白いことが起こっていて、定期テストでは1回を除いて全部1位だったんですが(1学年40人もいなかったけど)一回も褒められたことがありません\(^o^)/その代わり勉強しろも言われませんでした。この時に恐らく僕は成績への執着を失いました。そこには達成感も悔しさも大してなくなりました。
高校はまた私立にいき(今度は共学)、バスケに明け暮れ(下手でした)ました。
一応地方の進学校だったので、避けては通れぬ受験の話。正直全くどうでも良かったんですが、僕の頭によぎったことが3つ。
  • 東京にいく
  • 私立大学は親にお金の負担をかけるので行けない
  • 宇宙好き
はい、整理しましょう東京にあって、国立で、「宇宙」とつく学科。調べました。
東京大学工学部航空宇宙工学科( ・`ω・´)1つしかない!
すいません嘘です。実は後で調べたら東工大に「機械宇宙学科」というのがありました。ほんとすいません。
ゆえに東大に行くことにしました。しかしその当時成績というものに執着がなかったので、試験はゲームと思うことにしました。センター試験はいかに間違わないかのゲーム。東大入試は難しいパズル。
結果的に合格。ここでやっと親歓喜。18年生きてきて初ですよヽ(´ー`)ノ
ここら辺までが=で結ばれた答えのある世界だったなぁと思います。今考えると特に悪いこともせず(ほんとだって)、反抗期もなく、いい子いい子してたなぁと思います。高校で若干片鱗はあった気がするけど、ほんと文章にするとあまり面白くない18年間だったかなぁと思います。

将来への伏線(回収しきれるかは謎)

さて、「=」の世界編はこの辺なのですが面白くない中にも自分の人生に影響を与えたエッセンスは含まれていたので、それを最後に自分語りしておこうかなと。
  • 小6で東京に1年いたこと
    これはやはり、大都会というものを思い知って、東京への憧れを抱いた点で大きかったかなと。これが親の仕事でアメリカだったら僕ももうちょっと大きくなってたかもしれませんね( ´ー`)
  • 高校時代のI先生
    英語の先生だったんですけどね。面白かったですよ。名物教師。だいぶ可愛がっていただきました。単語テスト毎回他のクラスから解答を回してもらっていたんですが、1回うちのクラスが最初の時があって玉砕、
    「まんの!今日は答えが回ってこんかったろ?」
    って( ̄ー ̄)ニヤッってされました。負けました。

  • 7つ上に姉がいるんですが、小学校のとき既に高校生、それが宿題をしていると後ろに立って、
    「なんでそんなのも分かんないの?馬鹿じゃないの?」
    って言うわけです。お前高校生だろと。よくあそこで性格が屈折しなかったと今でも思いますね( ゚д゚)
    まぁでも出来はよくて今は医者やってます。
こういうことに後々影響受けたかなぁと思います。ほんと今まさかスタートアップを作って生きているとは思えない人生だなぁと振り返ってみて思いますね。
次回は大学生からの「⇒」の世界編を書きたいと思います!
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