会社を辞め、30歳からバスケットボールを始めた理由

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30歳の誕生日を3ヶ月後にひかえたある日、僕は採用選考中の会社からの帰り道を歩いていた。

さっき面接で言われた言葉が頭から離れない。

「先日面接を受けた23歳の子が、なぜこの会社で働きたいのか、非常に説得力のある言葉で語ってくれました。いったいあなたは何がしたいんですか?」

堤真一に似た、いかにも頭の切れる部長からの問いにひとつもちゃんと答えられなかった。「言っていることの意味がわかりません。もう一度説明してください。」1時間の間に何度も言われた。

決して圧迫面接だったわけではない。本当に僕が何を言っているのかわからなかったのだと思う。


30歳を前にして、僕は2度目の転職活動をしていた。

4年前、今の会社に入ったときは、「この会社を去る時は、自分で事業を起こす時だ。」そう思っていたのに、今の僕には起業なんて見当もつかない。

「やりたいことが見つかった!」そう思って、新卒で入った会社を2年で辞めて今の会社に入社したはいいものの、夢想を現実に引き寄せる橋が見えず、空回りばかりしているうちに時間ばかりが過ぎ、気が付いたらほぼ雑務係に回され、日々書類の整理と郵便物の配送手続きに追われる毎日だった。

「あいつは仕事ができない」そうレッテルを貼られてしまった僕は、異動希望を出すも適えられず、「このままあと5年ここにいたらそれしかできなくなる」そんな恐怖におののき、逃げるように退職届を出した。

29歳になってもコレといってできることもなく、それなのに自尊心だけは高く、「イチから事業をつくる仕事をしたい」と言ってまわる僕を採用する会社はどこにもなかった。

退職日までに次の仕事を決めようと思っていたが、あと1か月では、それも無理なようだ。


神保町で降りると、頭の中から離れない今日の面接で言われた言葉を振り払うように無闇に歩いた。


「いつからだろう、自分の人生が思うように進まなくなってしまったのは」


朝、上司との最終面談で言われた言葉がよみがえる。


「役員からは、君の仕事ぶりに対してよい話は聞かなかった。でも、一緒に仕事をしてみて、それほど自分は悪いとは感じなかった。別に能力的にも仕事ができないわけではないと思うんだが。もっとなんとかならなかったの?」


もっとなんとか・・。


一年くらい前、結婚で退職した隣の席の女性に、最後の仕事を一緒にしていたとき、こういわれたことがある。


「伊藤君は、もっと本気で目の前のことに取り組んだ方がいいよ・・。」


本気ってなんだ?


僕は、一般的に見ればとても恵まれた人生を送ってきたはずだ。


長野の地方公務員の家に生まれ、子どものためにしか金を使わない勤勉な両親の元、金持ちになることも貧乏になることもないまま平和に育ち、浪人した上に東京の私立大学に行かせてもらい、就職した。大きな病気をしたこともないし、誰かに騙されたりしたこともない。


なのに、どうしてこんな気分が晴れない毎日を送ってしまっているのだろう。


「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった。僕は本当は何か持っている人間なのに。こんなはずじゃなかった。」

書類を整理しているときも、食事をしているときも、そんな思いが去来している。



ふと自動車の音がうるさくなり目を上げると首都高が通っていた。

急に周りにビルが途切れ、目の前に公園が広がっていた。

中を進むと、右上に経団連のビルが見える。

そして、ビルとビルの合間に、1つバスケットゴールが立っていた。



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