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13/10/14

「ITが教育を変える!」から「教育は人だ!」に考えが変わった話

Image by Olia Gozha

このストーリーは、当方のブログ「EverLearning!」より、教育ICT推進の背景5:塾講師編 より抜粋し一部改変をしたものです。

http://it-education.hatenablog.com/entry/2013/09/06/233735

大学3年生の時、私はある決意をします。「大学院は、学費・生活費ともに自力で通う事にしよう」

同じ大学、同じ音楽部で時折バンドも一緒に組んでいた友人が、制作や課題をこなしながら複数のバイトを掛け持ちし、念願の大型二輪免許取得とバイクの購入を達成していた様子を間近で見ていて「やれば出来るんだな」という勇気をもらったのがきっかけです。

私は大学では情報工学科に属しており、研究はプログラミングでシステムを作る事がメインでしたから、PCとメールがあればある程度までは出先や自宅でも対応が出来る。それに、私は大学入学までに2年浪人していたので、親に余分な負担を強いた分くらいは、自分なんとかしなければと考えました。

そこで、まずは大学3年生の段階で「学費以外の全生活費用を自活」するようになりました。並行して資金を貯めるために、第二のアルバイトとして選んだのが「塾講師」でした。

当時の私は、教育ICTの改革は「民間企業でなければ起こせない」と考えていました。自分のように教育に疑問を持って教師になる人はこれまでも沢山居るはず。それでも教育の現場が旧態依然として変わらない(当時はまだ電子黒板もプロジェクタも殆ど未導入)のは一般の公立学校には予算の問題や保守的思想、情報セキュリティの壁といった阻害要因が当面は解決しないのではないか、と考えていたからです。

とはいえ、実際に「教えの場」を経験していなければ分からない事も沢山有るだろうし、理屈だけでは成立しないものの存在は、母親が公立中学校の教師だったことからも知っていました。

そこで、現場を知る為に塾講師をどうしてもやってみたかったのです。また、この時の自身の教育改革像は「ICTが”主役”」であり、ソフトウェアがそれを主導するものでした。しかし、「本当にそうなのか?」という疑問があったのも事実で、それを確かめる意味合いもありました。

採用が決まった塾では、中学受験の理科と算数をグループ指導が割り当てられました。相手は中学受験に挑む生徒達とはいえ、まだ10歳前後の子供達。最初は「キモい」だの「ハゲ」だの大騒ぎする生徒をどう授業に誘導するかに頭を悩ませ、中学受験を経験していない自身にとっても難解な算数をどう噛み砕いて伝えるべきか困惑し、2ヶ月くらいは自信喪失、続けるのは無理なのでは、と気が重くなる毎日でした。しかし、ここでの下積みが今思えば非常に大きな糧になりました。

・物事を噛み砕き、しかも面白く伝える。

・既存の資料や教材から、自分なりに工夫をする。

・決められた時間内に収める。

・自分にとっての「当たり前」をいったんリセットし、知らないつもりで組み立てる。

どれも、社会人生活には欠かせない要素ばかりでした。プレゼンのスキルの多くは、この塾講師の3年間で学んだといっても過言ではありません。

特に「模擬授業」がよかった。騒がしい生徒に扮する塾の社員(ときには教室長)や先輩講師相手に、実際の教材を使い15分程度の授業を行います。立ち位置、言葉遣い、板書の見やすさ、生徒への気配り等を厳しく見られ、これを「クリア」できないと教壇に立たせてもらえません。

私は最初2回目で「合格」をもらえたのですが、理科の授業を本気で担当したかった私は、敢えてそこで満足せず2年間理科を教えいた先輩講師のOKが出るまで模擬授業を繰り返しお願いして、厳しく見てもらいました。

こうした取り組みが功奏し、概ね2ヶ月後には自分なりのカラーで授業が展開できるようになり、生徒も付いてきてくれるようになりました。メイン担当の理科では、新奇性を武器に授業を展開していきました。大学3年になって新調した薄型軽量のモバイルノートの機動性を活かし、Youtubeの皆既日食の映像やGoogle Earth/Google Mapを見せながら指導をする独自路線を展開、生徒はもとより保護者からも学校とはひと味違う授業、として評価もいただけるようになりました。(2006~07年の段階に、ちょっとしたICTの授業実践をやっていた、とも言えます。)

集大成の3年目、受験学年を担当した際には、生徒との信頼関係も強くなってきました。象徴的だったのは、教室内での「生徒による教師の評価」というアンケートを行った時。お願いしたわけでも何でもないのですが、「これからも受けたいか?」「授業が面白いか?」等の質問は、なんと20名あまりの生徒全員が最高の「5」を付けてくれたのには驚きました。

そのほか4項目も平均で4.6以上と、教室内で群を抜いての高評価だったので、後から教室長が「これホント?先生の指導が甘過ぎでは?」と生徒に聞いて回ったそうです。が、こちらがお願いした訳でもなく、みんな「のもてぃー(生徒から私へのあだ名)なら当然だよー。」と言ってくれたそうです。

私は、指導についてはかなり厳しく行っていたと思います。出来ない子は保護者にお断りして居残りもさせました。しかし、10歳あまりの子供でも、「厳しく指導してもらうことの価値」をきちんと理解して、受験勉強の中に「学ぶ楽しさ」を見いだす子が居るんだな、と勇気をもらいました。

一方で、そうした観点を見い出してあげられなかったり、親御さんの資金が続かなくなったりといった、様々な理由で塾を去っていく生徒を、悔しい想いで見送ることもありました。結果として、合格、不合格、いろんなドラマがあり、当然、生徒や親御さんと一緒になって泣いたり、悔しがったり、喜んだりしました。その経験が塾講師の中でも最上だったのは言うまでもありません。

この3年間が私に教えてくれた事は、「全力を尽くして他の人を応援すること」の意味。良い結果も、悪い結果も、どちらも、自分にとってかけがえの無いものになりました。

この経験の結果、教育ICTに対する私の従前の考え方は、大きく転換します。

「ICTは教育改革の主役ではない。教育はやはり”人”だ」

自分の役割は「教育改革を起こすための”触媒”」を作る事、そう認識したのです。でも、その化学反応を起こすのは、人。現場で奮闘する、先生や、学ぶ意欲を持った生徒を、ICTの力で支援したい。

ちなみに、並行して行っていた携帯電話販売で「携帯電話の負の側面」と、大人達の「大きな可能性をよく分からない厄介者を見る」というふたつの課題を見たのですが、それに対する答えが自身の中でぼんやりと出たのも、この頃だったと思います。

こうして、塾講師の仕事は、大学院1年生の末で退職しました。就職活動と修士論文研究に専念するために、です。

続きは、別のエピソードに記載します。

なお、ここまでの並行アルバイトの成果もあり、大学院は、学費・生活費ともにすべて自分で稼いだお金と、奨学金によって修了することができました。

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余談ですが、大学生・大学院生のうちに経験すべきアルバイトは何か?と言われたら私はまっさきに塾の講師を挙げると思います。時給だけでなく、得られる経験、度胸、自身のスキル向上すべての面でメリットが大きいからです。

さらに、「中学受験の算数」を経験しておくと、一般的な企業の入社試験である「SPI」が殆どのパターンで楽勝になる、というおまけも見逃せません。大学生の方には、オススメします。

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