冴えないオタク少年が高専に入るまで

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冴えない少年時代

どちらかと言うと内向的でゲームやパソコンが好きだった僕。まだインターネット・パソコンが一般家庭に普及していなかった小学生時代は父親のワープロを使って今で言うアスキーアート(文字を使って描く絵)を描いて遊んでいた。当時、アスキーアートなんて言葉知らなかったけど・・・。
中学生になって念願のWindowsマシンが家に届き、更に一年ほど経てインターネットもできるようになった。それまで家に有ったのは先に述べたワープロとカセットテープ(!)でデータを読み書きする8ビットパソコン(殆ど使ったこと無い)。当時のインターネットはダイヤルアップ接続というもので、インターネットにアクセスしている時は常時電話代がかかるという、物凄くお金のかかる代物。なので図書館で借りたパソコン関連の本を読みながらWindowsそのものについて色々勉強する時間のほうが長かった。マインスイーパーを0秒でクリアする裏ワザだったりExcel97でフライトシミュレーターを遊べる裏ワザだったり。って結局ゲームばかりですね。でも、いきなり今のような常時接続のインターネットやってたらたぶん、だらだらネットサーフィンしてただけだっただろうなと思う。
小学二年生から始めた地元のサッカークラブでは万年補欠。小学校を卒業するまで半ば意地でやっていて、正直苦痛だった。運動自体は嫌いじゃなく、サッカーをやることそのものはわりと好きだったんだけど、下手な自分はリフティングの回数も大したことなく、試合に出れることもなく、負けず嫌いな性格の僕には居心地が悪かった。
幼稚園の頃からやっていたボーイスカウトはまだ馴染めて、ビーバースカウト(幼稚園)からベンチャースカウト(18歳)まで続けられた。こちらは単純に身体能力だけじゃなくて協調性・暗記・問題解決能力などなど総合的な形で評価してもらえるからだ。班長になって年下の子達をまとめるのも嫌じゃなかった。
学校での評価はというと、特別勉強ができるわけでもなく、運動ができるわけでもなく、顔がいいわけでもなく、アニメ・ゲームが好きなオタクだったので女の子のウケもよくなかった。
対して、僕の弟である。地元サッカークラブではいつもレギュラー、イケメンでファッション雑誌のスナップ常連、そして今は美容師。本当に兄弟なのかと疑いたくなるレベルで全く違った兄弟。なかなか肩身の狭い兄の僕。

1つ目の転機:高専受験

そんな僕も中学二年の夏休み頃に高校受験を意識し始めた。パソコンが好きだったから地元の高等専門学校(大学と同じ高等教育機関と位置付けられていて、五年制の学校。主に工学系が学べる。略して高専)の情報工学科に入りたいと思うように。
だけど当時の僕は学年順位が下から数えたほうが圧倒的に早かった。でも高専には行きたい。という訳でそれから猛勉強した。家では勉強がまったく捗らず、塾の自習室だと物凄く捗ったので夏休みは朝から晩まで塾に居た。これは今でも変わらず、近所の喫茶店やファミレスで一日中PCに向かっていて、はたからみれば不審人物である。ちなみに図書館だと全く捗らない。適度な雑音が必要なんだろうか。
そこからの一年で学年順位も10位以内に入れるようになり、無事に高専に入学することとなる。これによって自分に自信を持つようになれたし、外交的な性格にもなれた。外交的な性格になれたのは、徐々に自信をつけていったことに加え、学校外の新しい人間関係の中に居たためだと思う。塾は隣の市に有った。
こんなに成績がアップしたのは自分でも驚いた。大事なのは動機付けとかモチベーション、そして環境なんだろうなと思う。
ちなみにこの頃の息抜きはアニメ・ゲーム雑誌と当時はまだまだ数が少なかったライトノベルでした。なぜかアニメやゲームそのものではなくそれらの雑誌。今でも謎。当時何度も読み返したラノベは「ブギーポップは笑わない」、実写映画も新宿まで行き公式前夜祭に参加し公開日は舞台挨拶を見た。

さて、そんな僕の高専生活とは・・・。

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高専時代はオタクな学生会役員

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