今の自分は教育会社の代表取締役、大学で講師も。高校時代はまわりが東大や医学部な中、脳みそまで筋肉で体育受験そして2浪。【前編】

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東大クラス・医学部クラス・その他の理系クラス

私は、小学生まで福岡生まれ、福岡育ち。
やんちゃな幼少期。ただ、親の教育方針がよかったのか比較的、学習はできる方だった気がします。
中学受験をして、九州で進学実績3本の指に入る、
長崎の私立中学に入学。九州での私立中高一貫では当たり前な寮生活がはじまります。
『自衛隊』と揶揄されるほどの厳しい寮生活。
中学1年〜2年までは毎日19時〜22時40分まで自習
中学3年〜高校2年までは毎日19時〜23時30まで自習
高校3年生からは、終わりの時間が午前1時までに延長されます。
学校も、中学1年生から月〜金で7時間授業、土曜日も学校あり。
高校3年生で部活引退した後は、月〜金で8時間授業。
強制的に全員がセンター試験を受験し、全員が国公立を受験するという学校。

また、寮生に関しては、塾にも予備校にもいかず、家庭教師もつけず、
完全に独学で大学受験を乗り越える。という、本当に『自衛隊』な学校でした。

そんな私の出身高校3年生のクラスわけ。全部で6クラス。
高校3年1組 東大文系クラス
高校3年2組 その他の文系クラス
高校3年3組 東大理系クラス
高校3年4組 医学部クラス
高校3年5・6組 その他の理系クラス

私は、もちろん、『その他の理系クラス』でした。
その他扱いに、凹んだのは懐かしい記憶です。

部活命!体育受験を決める!

高校時代、一番打ち込んだのは部活でした。
慎重が170cmにも満たないのに、バレー部でスパイカーしていました。
運動神経には自信があって、他の教科では校内順位10番以内なんて絶対にありえないのですが、
体育だけは、ほぼ毎回5位以内。何度か1位をとってました。
私の出身校は、すべての教科で50番以内が張り出されます。
毎回、体育だけは『吉田真也』の文字が上位に・・・

でも、そんなものは私の学校では評価の対象には入りません。
褒めてくれるのは超絶厳しい体育の先生だけです。いつも体育の先生からは、
『しんやー!』と、可愛がられていました。

まわりは、、、、
目指せ東大、目指せ国公立医学部、滑り止めで、とりあえず早稲田・慶應あたり、
まぁ、悪くて明治とか?
そんな様子。
お金持ちが多かったので、私立の医学部志願者も多く、
2013年10月時点で31歳ですが、高校の同級生で一番多い職業ランキング1位は、
『医者』です。
facebookみても、高校のときの同級生にお医者さんが多い!

予備校や塾に行かず、寮生活の独学だけで、
東大や国公立医学部に入るんだから、同級生達は本当に頭も良く、
努力家だったんだなと思います。

私はというと・・
とにかく、部活部活!でした。
昼休みは、筋トレ。部活終わった後は、坂道を走り、
全盛期は、マンガに出て来そうな、逆立ちして腕立てとかしてみたり・・

そんなこんなで部活に熱中しているときは良かったですが、
最後の試合が終わり、引退となると、もう大学受験です。

推薦を取っていても、大学合格実績のためにセンターを受けさせられ、国公立受験をさせるような学校です。
授業も必ずでなくてはいけません。

まわりが、東大、医学部を目指している中、成績も悪く、『その他の理系クラス』
理系関係の学部学科は、何を学ぶのかさっぱり。
とりあえず、数学は、そこそこだけれども・・・受験、どうするの!?
と、悩んだものです。
まわりが、まわりなので、やはりプライドもあります。

だんだんわからなくなります。
『なんのために、大学にいくのか。』

東大が、偉いのか? 東大に行ければ成功か?
人間的に問題があっても、勉強できて医学部合格できれば医者か!?

センター試験が大成功して、薬学部志望だった友人が、
医学部受験に変えた例もありました。

『何のために、大学にいくのか?』
『なぜ、そんなに必死に勉強しなくてはいけないのか?』

悩みに悩みました。
中高一貫の6年間の寮生活。学費と寮費もハンパないです。

途中までは、宇宙とかSF大好きだったので、
身の程しらずで、『航空宇宙工学』とかを志望していました。

ただ、模試は、いつもE判定。本当に、どうでもいー(E)判定。
とか言ってました。

そんなこんなで、大学受験は無情にもやって来ます。
進路をどうするのか。

でも、ここは潔かったです。
『自分は、体育しかないじゃないか。』

卒業アルバムに書いてもらっている友人達のコメントも、9割がた、
『筋肉』についてと、『運動神経』について。
もう、本当に、脳みそまで筋肉っス♪ って感じです。

そこで、体育で受験できるところはないか!?
と思いつきました。

意外とあるものです。第一志望 神戸大学 発達科学部スポーツ科学科。
姉が、神戸大だったこともあり、合格したら広い家で2人暮らしか!?
なんて妄想してました。
が。

神戸大学です。なんと、スポーツで受験できるといっても、
センター試験のボーダーは80%  オワタ \(^o^)/

もちろん不合格です。
そして、浪人への道へと・・・・

同級生の少ない予備校へ。運命の出会い。

高校を卒業し、福岡の実家に戻り、
肩身の狭い浪人生活へ・・・・・
予備校は、高校の同級生の少ない代々木ゼミナールへ。

私の出身高校は、密に繋がっている北九州予備校という、
これまた自衛隊のような予備校か、
さわやかに河合塾かの2択な人が多かったです。

これがわかっていたので、迷わず僕は代ゼミへ。

予備校に入ったときは、自分はやればできる。
偏差値ガンガンあげて、成績よければ国公立医学部狙う。とかいっちゃっていました。

完全にバカですね。
ただ、この考えも、予備校に入って1週間もしないうちに変わります。

化学の先生との出会いです。
この先生が、スゴかった。いまでも恩師です。大好きです。
第一講の授業がスゴかった。

始まって5分で言われた言葉が、

お前ら、狂ってますよ!!!!!!!!

ですwwwww
『何のために、大学行くのか決まってないやつは、
 俺の授業は受けるな!!!!』
『何のために、化学を学ぶのか、わからんやつは、
 俺の授業は受けるな!!!!』
『大学受験のためだけの化学をやりたいやつは、
 別の授業を受けろ!!!!!』

というところからのスタートでした。

『僕の授業は、本当にサイエンス。科学をやる講義です。
 大学受験のための化学は、絶対にやりません。』

というコミット。
惚れました。

自分が、探し求めていた、【なんのために学ぶのか】

これを、本当に教えてくれる先生に出会った瞬間でした。

この瞬間、志望を『化学科』もしくは『応用化学科』に絞りました。
自分も、科学を、化学を本気でやってみたい!となった瞬間でした。

それから、1年では、これまでの筋肉な頭を変えるには足らず、
2年かかってしまいましたが、
自分のやりたいこと、進みたいこと、
そして、『何のために学ぶのか』を持って、
なんとか、あまり知名度ないですが、
一応国立大学の工学部化学工学科に進むことができました。

さて、ここから大学時代と、その後の起業までは、
【後編】で♪


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