高校時代は「何か作りたい」位しか言えなかった。今は「自社製品で人の集まることを応援したい」と言える。

高校「なにがしたいの?」

進路相談室。僕の前にはT2先生。一対一。T2は高3の時の担任だ。数学教師でいつも眉間にしわを寄せていた人だった。進路希望のプリントに自分の事を書いた。
…と言うより、あまり書けなかった。T2の視線がプリントに落ち、時計の秒針の音だけが響く。暫しのにらめっこのあと、T2が口を開いた。

T2
ふーん。佐藤はなにがしたいの?
なにか作ることはやってみたいですが、何を作りたいのかよくわかりません。親を楽させてあげたいくらいにしか将来に思ってる事は無いです。
T2
今時珍しいよね。そういう考え方。なんか学校選びもポリシーはあるっぽいし。私は好きだが。もう一個、あそこは受けておいたら?
はぁ。
当時の僕は進路という問題を攻めあぐねていた。正直言って、自分がしたい事などよくわからなかったし、大人になった自分を想像する事もできなかった。工作や美術も好きだったし、理科も数学も好きだ。強いて言えば音楽が一番好きだったけど、自分がそれで食べてゆける事等あるはずが無い事はとっくの昔に解っていた。
親は一時期デザインや芸術の方向を密かに期待していたようだが、自分が毎日絵を描ける人間ではない事は高校の美術部で知った。美大に行く人は桁が違う事も同時に知った。

大学「シックリ来ないところに出会い」

結局僕は「自然エネルギーの実用化に近い所に携わってみたい」という理由を無理矢理作って、トータルで勉強できそうな機械工学をシッカリ学べる学校に進もうと思った。英語はまったくダメだったので、最終的に英語を使わずに合格できる大学へ入学した。
モノを作る同好会に入っていたが、2年で辞めた。とにかく何をしてもシックリ来ない感じばかりがあの頃の記憶には多い。
同好会をやめ、取れる単位を粗方取り終えた僕には有り余る時間が手に入った。何か作りたいとやはり思っていたが、シックリ来ない人と組んで何かをするのはごめんだった。随分傲慢な考え方をしていたと思う。
「一人でもできて、あまり元手がかからないものが良い。なにか無いだろうか。」
ふと思い出したのが中学の頃に親父が薦めてきて齧った事のあるプログラミングだ。今でこそ少しは市民権を得ているプログラミングも、当時は特殊中の特殊な趣味で、暗い人がやるものだと思っていたから進路の時にも全くノーマークだった。
VisualBasic4を手に取って買った事がキッカケだった。
プログラミングは、面白かった。
自分の世界をそこに作る事ができて、制約を受けずに拡張してゆけるのは他では得られない体験だった。二年程でWindowsアプリケーションを作って人に使ってもらえる程度になれた。
学部3年のある日から、僕は就職しない事を考え始めた。会社に入るというのはただお金を稼ぐ手段だと思い込んでいたので、会社に入る事無くやってゆく手段もあるのではないかと考えたからだ。
それからの日々はプログラミングの技術を伸ばす事を中心に考えて生きていた。学校の図書館で技術の本を借り、初めて自発的かつ真剣に『勉強』に取り組んだ。成り行きで大学院に通いながら、卒業したら友人と起業するつもりだった。…この計画は頓挫してしまったけれど。
就職活動しなかった僕は生まれて初めてみんな一緒に進むレールから飛び降りた。きっともう戻って来れない(けど、何とかなるだろう)と思いながら。

社会人前半「フラフラ」

起業は頓挫したけれど、1年間自宅での武者修行後(ニートみたいなもんですよ)、素晴らしいものを世に送り出すのが目標になっていた。
卒業後、作りたいものを作り、作ってはお蔵入りし、お金が無くなると仕事をした。こんな生き方を、ある人は「バッテリーの充電が無くなると仕事するんだね」と称してくれた。まさにその通りだったと思う。
派遣社員契約社員、フリーランス等気の向くままにフラフラと生きた。入社の誘いを受けた事も何度かあったが気が進まない。自分のスキルを上げる事と好きなものを作る事が常に軸だった。この生き方は30歳とか区切りをつけて何度も辞めようとしたのに、なかなかやめられなかった。

起業「僕なりの答え」

2012年は長い成り行きを経て会社を作ってしまった。ついに僕は作りたいものを毎日仕事として作る事すらできる環境になった。今度は作りたいもので稼がないといけないのが課題だけれど、これはまだ達成できていない目標。
今まで以上に毎日四苦八苦している。その分面白さも増した。
会社を作る時に共同創業者とビジョンを話し合った。1年半活動を続けてきて、変化しながら、今の僕はこんな風に考えている。きっとまた変わるだろうけど今は下記のような事を目指している。
インターネットやソーシャル、IT技術はもっと僕たちの生活を豊かにするし楽しくもするだろう。でもあくまで可能性を広げる為の存在で、僕らは人と実際に対面する事と、それを残してゆくのを大切にする会社にしたい。だから僕らの会社では人が集まることを応援する製品を作りたいと指向している。
37にもなってやっと18の頃の問いに答えられるようになったんだろう。随分長くかかったものだ。

「何がしたい?」という問いは重いよね

若い人でもしも今答えられない人がいたとしても、そんなことは当たり前なんだと思う。ソフトバンクの孫さんバリに強い意志と思い込み力の強さが無ければ、自分が何をしたいのかなんて最初はよくわからないのでは?少なくとも僕のような一流になれない人間はそうなんだろう。

僕から高校生の僕へのアドバイス

せっかくこのお題なので、高校生の頃の僕にアドバイスするなら?と考えてみた。

「はじめて」を減らせ

人生において「はじめて」の事が減るという事は自分の能力を上げる。やりたくない事をやらないお前だけれど、実はそのやりたくない事は「やりたい事の一部」として今後どんどんお前の前に立ちはだかってくる。
そして、やってみたら「なーんだ、こんなことか」という事がかなりある。知らないという事が、ただそれだけなのに自分を萎縮させて能力を下げると理解した方が良い。「それ、何回かやったことある」ただそれだけのことがとても大きな自信になると知って欲しい。
思いついたものを挙げておくなら、飲み会の幹事、人前でのプレゼン、知らない会社へ行くこと、チームを率いる事(これはまだまだ難しいけど)など。

わからない時は何でもやってみる

もしも何をしたら良いか解らないのであれば、何でもやってみたらいい。向いているものも、好きなものも、やらずに解るはずが無い。やってみて「これは嫌いだな」と気付けたらそれだけでも大きな勉強だ(学校の勉強はこの為にやると思う)。
だけど、やるなら真剣に。少ない体験の中から本質を掴もうと真剣にやる事が一回の体験を価値あるものにする。

一生続けたいなら最高なのはそれで稼げる事

本当に一生続けたい程好きな事が見つかったなら、次はそれで食べてゆくにはどうしたら良いか、真剣に考えた方が良い。理想の形ではなくとも、それに準ずる形がないか探っても良い。
バッテリーが減ってゆくのに堪えてアクションし続けられるのなら、その情熱がガッチリ生活に結びついた時にこそ凄い力を発揮できる。お金が無くなる事を片方で気にしながら全力投球し続けるのは難しい。これは今の僕にも言える事だけど、若いうちから意識しても良い事だと思った。

家族は大事に

お前が自由に過ごしている間、家族が少し世間に対して気まずい思いをしたり、陰で支えてくれていたりするよ。好きな事をやるなとは言わないからその事はシッカリ覚えておいて、元気なうちに一緒の時間を増やしてやるように考えな。

おしまいに

他でも書いたけれど、自分の人生は一度しかないはず(死んだ事は無いけど、多分ね)だから、こんな生き方もあるんだと参考にして欲しいと思う。そして、同じような事をした中に全然違う結末の人がいるとも思っていて欲しい。
みんなが見る事ができる話は殆どが「うまくいった話」だ。裏にはその何倍、何十倍もの「うまくいかなかった話」があるから。
僕の物語はまだまだ途中なので、「うまくいった話」になるかどうかはもう暫くかかりそうだ。

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