せつない帰国、愛する父と母へ、愛する母国へ

「父の様態があまりよくないとお医者様が言うので、そろそろ帰ってきたらどうか。」という日本からの電話。父と母と言葉をもう一度交わしたいだけの為に何とか帰国したいと思った。仕事の手配をし、家族の手配をし、切符を予約した。
でも心が重いのである。この10年近く、成田をたってアメリカに帰るとき、いつも思うことは、これが親との最後の別れになったらどうしようという思いである。飛行機が飛び立つときが一番つらい。私の家族は、私の子供たちは、私の生活はアメリカにある。でも、私を育てて、見守ってきてくれた親は日本にいる。
私がアメリカ人と結婚する時、父は最後まで反対していた。結婚式にも出ないといっていた。でも、母が父に「娘の結婚式に出ないのなら、私はあなたと離婚します。」といってくれて、九州から東北まで、結婚式の前夜引っ張ってきてくれた。私の側の出席者は友達の他は、父と母だけだった。今思えば、あの頑固な父がよく来てくれたものだと思う。
それからの私は4人の子供の子育てにてんてこ舞いで、親孝行らしいものを何一つしていない。でも、父と母はいつも言ってくれた。「よく、4人も育てたな。」と。いつでも見守ってくれていた。
そんなありがたい親と別れの時が迫っていることはここ数年感じていた。親は私の母国であり、日本での私の人生であり、親との別れは私の今までの日本での人生のひとつの終わりでもある。
頭では覚悟しているつもりだが、私はその日を恐れている。父と母の前では、この50過ぎたおばさんも、小さな時のままの悪ガキの娘にもどる。「いかないで、いかないで。」と心が叫んでいる。
それでも今度の帰国の日はちかづいている。

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