えにしつむぎ 第4縁「ヒロ寺平さんとの出逢い」

311の一週間後、男性の、とても良い声で留守電が入っていた。切れの良い口調で「ヒロテラダイラです」と名乗る。その直後に関西の友人数人からメイルが。「菅波ちゃんの歌が、今、FM802のHiro T’s Morning Jamで流れてたよ!びっくり!」802? ヒロテラダイラ?なんのこっちゃ。揺れも続く不安の最中、取り急ぎ、折り返した電話口から「月末に予定していた大阪ライヴを決行する?よっしゃ、では番組のゲストで話しまひょ」「!!!は?はい!!」...後に聞けば関西では彼を知らない人の居ない、タモリさんのよな存在だと関西の仲間が云う。「806といえば、関西を代表する大きなFMやで」と。ヒロ寺平さん...何故そんな方が私に?私の大阪の親友が震災後直後に「福島で歌手の友人が被災した。彼女の歌を聞いて下さい!」ヒロさん宛にCDを送った所から繋がった縁。3月24日、大阪。親友と共に802へ訪れ、オンエアへ。「その時の様子を、話してもらえませんか」「私はあの時、岩間海岸前に住む妹の家で一人留守番を。歌の練習中に大きな揺れが...近くの火力の煙突が爆発し、家の上の崖から岩が次々と砂浜へ落ち、砂煙が舞い、停車の車中で絶体絶命と覚悟しました。車のラジオからは「津波の到着はあと20分」との声、津波なんて思ってもみず...小学校へ迎えに出た妹が私を心配して戻って来たらどうしよう...残るか今直ぐ立ち去るかの究極の選択に。結果、その場を離れ、妹とは無事、途中で落ち合う事が出来ました」震災後すぐ、twitterで東京の知り合いのシンガーが「歌で励ましにいく!」という声を載せた。私は思わず「食料水源ガソリンの確保がままならないのに、今歌は必要ない...私だって歌いたいんだ!」とそう返信してしまう。でも本心だった。この非常時に、音楽なんて何の役にも立たないんだって、極度に落ち込んでしまったのだ。そう話すとヒロさんは「けれどあなたはこうして、東北の生の声を伝えるべくしてここにいる、ごらん」番組に寄せられた沢山の励ましのメイルが届いている。涙が止まらなかった。翌月4月末には、何と大阪野外音楽堂でのヒロさんの番組主催の大きなショーケースライヴでトリとして出場。沢山の方が私の名前を知り、再び励ましを寄せて下さった。本当に夢の中にいるようだった。その一年の間、ヒロさんはマメにメイルを下さり、2度程番組のゲストにも呼んで下さり(超メジャーの方が出演申し込みされても中々出られないとか)、翌年の野音での同イベントへも出演の切符を下さった。思えば、津波の到達時間を知らせたFMいわきに命を救われ、FM802には音楽の、歌の力をもう一度信じるように、強い励ましを頂いたのだ。自分の歌が、存在が、人を動かすなど到底思えなかったが、私自身、どんな状況でも歌う事を、音楽の力を信じることを止めるな、ヒロさんに背中を押され続けていた一年間だった。ライヴの開催は、時に一人よがりかも知れない、けれど、頂いた想いを無駄にせず、それがライヴに活きるように心掛けている。見えない無数の糸が紡がれている一枚の上で歌っているよな気持ちで。ヒロ寺平さん、本当に有り難う。また彼にエエ歌、を聞いてもらえるように自分の歌に向かっていこう。ー 結び、ます。

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