セブ島にある日本へ行く介護士さんのための研修施設に見学に行った話

この研修施設の見学は今回で2回目になる。エアコンの効いた涼しいオフィスに入ると首筋から流れる汗が次第に乾いていくのを感じる。
前回はここに勤務するフィリピン人日本語教師A君さんの紹介で訪問し,学習にひたむきに取り組む研修生の姿に感心しつつも,同時に複雑な感情を持った。そこでAさんに「少子化が進む日本の人手不足を埋めるために,フィリピンの介護士さんが渡日して日本のお年寄りのお世話をすることについてどう思うか?」という質問を投げかけてみた。
Aさんの答えはシンプルなものだった。彼が言うには,「月々数万円程度の職に就くことも容易なことではないフィリピンの状況を考えると,少しでも条件の良いところで働きたいと思うのは,むしろ自然な感覚だろう。業種が介護ということだから,あなたは複雑な感情を抱くのかもしれないが,これも一つの仕事と考えればそれほどいろいろなことを考える必要もないのではないか。」ということだった。
なるほど,と思った。私が感じた「自分の尻ぬぐいができない国が経済的な差を利用し,安易に他人の手を借りることについての引け目」という感覚とは別の世界で,研修生のみなさんは日々の生活を成り立たせるためにひたむきに努力しているのだろうかと理解した。
そして今回は,日本人の責任者の方からより詳しいお話を伺うことができた。お話をしてくださった方は関東地方におけるフィリピン人社会の支援と介護の仕事に長年取り組んでこられた方で,この事業を通しての研修生のみなさんの社会的,経済的地位の改善と職業訓練の機会提供に熱意を持って従事されていらっしゃる様子が窺われた。この方のお話で印象に残った点は2つ。
まずは,日本語教師が作る教材はやはり「先生が作ったものだなあ」と感じるという点。既成教材での食事や排せつ介助の場面等の会話や例文は「体を起して,右手を挙げて,…」といった説明的な表現が多い。しかし,実際の現場では「こっちをこうやって,…」などとお年寄りの手を取りながらお世話をするので,こんな説明文をマスターする必要はない。
それよりも大切なのは日常のちょっとした「声かけ」である。例えば,朝起きたら「よく眠れましたか。」「今日もいい天気ですね。」など,相手を気づかい思いやる気持ちから自然に出る一言をどう日本語で表現するかであるとのこと。これはもう,日本語教育というより一人の人間としてお年寄りと接するときの心持ちの問題なのだということらしい。そして,この心持ちについては大家族の中で助け合って育つフィリピンの介護士さんは大変評判がよいらしい。
もうひとつは,この心持ちについての受入側の考え方は施設によって異なるということ。「認知症だからこそ,ことば(日本語)によるコミュニケーションを重視する。」という立場から「認知症であるから,ことば(日本語)よりも常に笑顔で寄り添うことのできる介護士さんに来てもらいたい。」など様々であるという。そこで,いろいろな施設での声を聞きながら研修メニューを試行錯誤しているらしい。しかし,当然全ての要求に応えることはできないので,結局は育成する側が一定の方針を持って研修を行うしかないのだそうだ。この点においてこの責任者の方は長年の経験から,介護は人と接することを専門とするプロであるという職業意識を信念として持っておられると感じた。
ここで日本語教師である私たちが考えければならないのは,介護とそれを取り巻く場でどのようなコミュニケーションを実現していきたいかという点だろう。人と接するという行為において,究極的にことばは必要なのか,必要でないのか。国家試験合格のハードルとなっているのは本当にことばの問題なのか。契約期間を終了した研修生がその後も日本で働き続けられるためにはどのような環境整備が必要か,そのための日本語の力とはいかなるものか。あるいは,自国に帰国することを選択した場合は日本での経験をどのように活かしていけるのか。この移動によって影響を受ける介護士さんの家族,子どもの問題をどう考えるか。
私自身,これらをどのように解釈するべきか判断を下せないでいる。しかし,グローバル化が進行する世界が半ば暴力的なスピードで変わり続ける中で,様々なことについて落ち着いて価値判断を下す間もなく,意思決定を迫られる。事実,認知症のお年寄り300万人を抱える日本社会において介護士の確保は待ったなしの問題である。
「求めたのは労働力であったが,実際にやって来たのは人間であった。」というヨーロッパの例を挙げるまでもなく,外国人介護士をめぐる諸問題やそこでのコミュニケーションのありかたについて考えるということは,そのままこれからの日本社会,フィリピン社会の「かたち」を思い描くことであると思う。
しかし,私が思い描くこれからの日本社会,フィリピン社会の「かたち」はまだぼんやりとしたままだ。見学を終えて涼しいオフィスから出て強烈な日差しに晒されると再び首筋から汗が吹き出し,思考はさらに混沌とする。

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