30代でアメリカの音楽大学に留学したときのはなし(4)

前話: 30代でアメリカの音楽大学に留学したときのはなし(3)
次話: 30代でアメリカの音楽大学に留学したときのはなし(5)
チャンチャカチャーン なんだかすごい連載?みたいになってますが、
留学生活をなんとかスタートした私の顛末の続き。
きっと全部書ききれないんだろうなぁ(((o(*゚▽゚*)o)))

新学期始まる

通年入学が可能なうちの学校の仕組みを利用して、いろいろな準備の関係で、多くの学生がスタートする9月ではなく、1月からスタートした私。とても不思議な感覚でした。若かりし頃、10代の時にも同じ町で普通の大学に行っていたからです。
あれから、15年以上経って、また同じ場所に戻ってきた自分。前はなんとなく流れで、アメリカの現地校から普通に進学して入学した大学。その大学の近くの別の音楽大学に、新入生としてかなり自分の人生をひんまげてきた私。
見回すと、見慣れたはずの街並みが少しいろいろ違っていて、CVSがあったあの場所にWalgreenが、Star MarketがShawsに。でも、変わっていない店もあって、風景もあって。はじめましての経験もたくさんあって、懐かしいけどお初っていう謎の感覚でした。
最初に私が借りたアパートは、学校から少し離れて電車で移動する距離。でも、昔、住んでいた地域からも近くて、すぐに慣れました。
学校はオリエンテーションが始まり、一気に授業が決まって行きます。私は同時に学校に移動する単位を前の大学に取りに行ったり、受けるべき注射を受けに行ったり。受けなければいけない試験を逃さないように受けに行ったりの大わらわ。見慣れない学校で、見慣れない音楽に特化したカリキュラムのクラスたち。自分の能力も勝手に判断されて、クラス分けされる。すべてがわからないことだらけのスタートでした。
新しい友人もできました。大体が、インターナショナルな生徒たち。やはりインターナショナルな生徒は、外国からわざわざ音楽勉強しにやってくるだけあって、積極的な性格の子も多く、圧倒されっぱなし。しかし、高校と大学は以前アメリカだったおかげで謎に音楽は素人でも英語だけはしゃべれたので、英語で喋っていたら、なぜだか、なかなか日本人には認識されず(笑)そのまま、韓国人やらコロンビアからの生徒やら、国際色豊かな生徒たちに囲まれるようになりました。
カリキュラムも、最初の頃は、いろいろ調べてわかったのは、MyProfessor.comというウェブサイトの存在。アメリカでは、生徒たちの先生に対するクチコミサイトがもう大流行。いろいろな大学の先生のクラスのクチコミが載っていました。

クラス分けの謎のテストたち

うちの学校は、個人に合わせたカリキュラムとかいうのが有名らしくって、いきなりテストが続きます。はいってからクラス分けのために、音楽理論、聴音、ブルースやスタンダードの即興、演奏のクラスのための実力分けで、初見などなど。その上、履修したくない授業とかの場合、例えば、専攻によっては数学が必須で、数学が得意な人は受けたくないとかあれば、数学のテストを受けて、合格すれば、履修単位がもらえるといった感じ。
そのため、最初は、本当にテストだらけ、そして最初の頃は、理論などもひたすら覚えることが多くて、テスト。音楽は感覚でっていうけれど、その感覚を鍛えるためには、結局、新しい曲を覚えるくせを付けることが大事。暗譜癖があると、暗譜したものが徐々に自分の中に染み込んで、自分のものにしやすいから。子供のころからもっと暗譜する癖を付けておけば良かったなぁと思いました。

1学期目の不思議

1学期目に履修したクラスで一番印象深かったのはR&BのLabクラス。8人くらいいるクラスメートの前で、ピアノの伴奏の方に伴奏してもらって、歌を披露するというもの。曲はR&Bスタイルのなかで、課題があって、遅めのもの、早めのモノ。どのくらいスタイルを理解しているかを評価される。このクラス、そもそも英語で歌うことがとても難しかった私には、いきなりハードルが高いクラスだった。で、最初に悩みながら選んだ曲はMariah Carey のHERO。これならどうかなぁと思いつつ歌ったら、シーン。そしたら、同じ曲をもう一人韓国人の女の子がおずおず私もと言って同じ曲を持ってきたので、それを歌った。
う、うまい。。。
私は、同じアジア人で、こんなに上手い人を間近で聞けていいの?ってかなりびっくり。と、同時にすごく自己嫌悪。練習しているけど、中々上手にならない自分への焦りと、やることの多さにすべてが新しい自分との戦いでもうへとへとに。
びっくりしたことはまだあった。
同じクラスで、謎なことに、授業中に歌を聞いていた女生徒が、いきなり泣き崩れ、クラスルームから出て行ってしまった。。(メ・ん・)??
どうやら、R&Bの恋愛のもつれの歌を聞いていて、自分が歌う曲もそういう曲で、今実際恋愛でもつれていることをリアルに思い出して、歌えなくなり、飛び出していった様子。
一瞬先生が外にいって話をつけて、何事もなかったかのように授業再開。
いやぁ。普通の学校じゃーそういう人全くいないので、かなりびっくり。
心あたたまるびっくりは、廊下で次の授業を待ちながら雑談をしていたとき、みんなで気がついたらボーカリストばかりで、話をして盛り上がり、きっと知らないうちにすごい音量に。授業中だった先生が外に出てきて、「うるさーい!あんたらどっか別のところでしゃべって!授業にならないわっ」って怒られて、あちゃーってなりつつ、みんなで、あれ、これってみんな共通のいつものこと?(笑)わーそういう人種ばかり集まっているんだーと、認識したへんな共有感。
不思議がいっぱいな学期でした。

印象深いクラス

一番印象深いクラスはアフロカリビアンのクラス。実技の成績がずっと劣等生だった私が、先生にお願いして入れてもらったクラスなんだけれど、うちの学校不思議なことに、上に上がれば上がるほど音符が出てくる。クラッシック育ちの人には不思議に感じるかもしれない。
そのアフロカリビアンのクラスもとってもレベルが高い人たちが集まるクラスだった。歌がやれることは少なく、フルートみたいな学期もいなかったので、楽譜をみたら、シンセの人が参加できそうだったから、ボーカルのはずがなぜかシンセで参加。そして地元の小学校に演奏で遠征とかまでしちゃって、とっても楽しいクラスでした。

こんな能天気な私が、実は、アメリカに入る前からずっと悩んでいて、カウンセリングを受けていたなんて、誰もしらなかったかなと思います。そんなわたしが悩んでいたこと。是非続きで書きたいかなと思います。。。

著者のNakamura Momoeさんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

30代でアメリカの音楽大学に留学したときのはなし(5)

著者のNakamura Momoeさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。