一度社会のレールからダイブしてフリーターになった僕が、大手広告会社に内定を貰えた理由。 (後編)

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もしかすると何かを始めるときに、フリーターだとかニートだとか、学歴だとか今まで何をやってきたとか、そういったものって関係ないのかもしれません。



そういう、固有名詞が何かリミットというか、自分を縛ってしまって他の可能性に挑戦出来ないことがあるのではないか。そう思うときがあります。



だとしたら、誰かがつくった固有名詞とか限界に囚われず、やりたいこと、なりたい自分にトライするのが良いのかもしれません。偉そうにすいません。でも僕はそう信じています。



冒頭からキザな言い方で恐縮です。

さて、このお話の前編(一度社会のレールからダイブしてフリーターになった僕が、大手広告会社に内定を貰えた理由。http://storys.jp/story/5637)では、社会人になっても思春期(中二病的なもの)のようなものが、まとわりつき、色々な要素が重なり、社会人2年目の24歳にしてようやく次の一歩を踏み出すところまでお話しました。


後編では、そこからどのように学生時代からの目標であった大手広告会社に入社することができたのか。それについて書いていこうと思います。



さて、次はどうしようか迷う。

さて、僕も次のステップに進むことを考えました。本当にやりたいことはなんなのか。真剣に考えるようになりました。24歳の冬のことです。でもなかなかすぐには本当に自分のやりたいことなど見つかりません。今まで深く考えてこなかったことへのツケがまわってきたのかもしれません。


とりあえず、動くか。それとも、今の会社にステイか。



でも、「迷ったら動く。」それが僕のちょっとした信念でした。



ということで、もっとエキサイティングな仕事・場所を求めることにしました。

今の会社でも、すごく楽しいし、居心地も良かったのですが。



「学生の頃に目指してた、大手の代理店に行きたい。」



そうして、その勢いのままに転職活動を開始しました。



しかし、このときは残念ながら学生時代と同じくESすら通りません。当たりまえですが、経験も能力も足りていなかったんでしょうね。出だしからつまづきました。でも、とにかく突っ走りました。



それから、2ヶ月後転職先が決まりました。

前職と同じ業界ではありますが、プロモーション中心の会社です。スポーツや少しPRなどの仕事にも携われそうなところが魅力的でした。今、考えればこれもすこし安易な発想で、転職先を決めてしまったなと思っているのですが。



そして、25歳を目前にした4月、2社目に入社しました。

そこには待ち望んでいた新しい世界が、待っている。はずでしたが。




転職した会社を、2ヶ月で辞めた。

次の会社に転職してから2ヶ月後、僕は退職していました。


理由は、「なんか違うな。」という「違和感」みたいなものがあったからです。この「違和感」というのは当時はいざ会社に入り果たしてこれが僕が情熱を捧げるものなのか、という疑問があったことと記憶しています。とても稚拙な考えです。でも今となってはこの「違和感」の原因はもっと根源的で重大な他の部分にあったのだな、ということに気付いたのですが。



そして、いつのまにか会社を辞めていました。



なかば、勢いで辞めていたんですね。辞めてもまたなんとかなるやろ、と思っていました。本当にこの頃の安易で大変軽率な行動を反省しています。        



しかも、2社目を辞めたことはごく一部の人にしか伝えられていませんでした。



それは、もう自分がホントどうしようもないヤツだなと改めて深い自己嫌悪になったということと、2社目への転職が決まり1社目を退職するときに友人がわざわざ僕の為に50人ほど呼んでくれて、転職祝いのちょっとしたパーティーを開いてくれていてその矢先にまさか、2ヶ月で会社を辞めたなどと、とても申し訳なくて言えないや、という思いが強かったことを覚えています。とても稚拙でした。これが25歳になったばかりの5月の頃です。



また、家族や彼女、それを伝えた人にも、まぁ当たりまえではありますが、



「これからどうするつもりなの?」



とよく聞かれたものです。自分でもまったくわかりませんでしたから、ときにムキになって反発したり、その逆もしかりでそのまま黙ってしまったり。



また、「お前は、人間のクズだ。」



なんてことも言われたりでちょっと人に会うのが怖くなっていました。。。いわゆる対人恐怖症ってやつですね。でも、全部自分が悪いのです。と、前を向くことにしました。





25歳は、とりあえず捨てた。


2社目を辞めてから数ヶ月が経ち、ぼくは次のスタートを切りました。とあるスポーツブランドのPRアシスタントに応募したのです。雇用形態は、『アルバイト』。



そこに至った理由は、自分を見つめなおすための時間をつくりたい。アルバイトなら以前よりも自分の時間を作ることができ、それと両立して他のコトもできるという想いがあったからです。



とはいえ、拘束時間は8時間ほどと比較的長いです。同じ時間を費やすのであれば、以前から携わってみたいと思っていたスポーツメーカーの仕事を経験してみたい、広告に近い部分には携わっていたいという想いがありました。




そこでは、


■プレスリリースの原案を書かせて貰ったり、

■陸上選手のボルトを間近で見れたり、

■Jリーガーのカズこと三浦和良選手のPRイベントの打ち合わせに入らせて頂いたり、




ほんとにほんとにほんの少しだけども自分が携わったコトが世に出て行く快感。そして世の中に少なからず影響を与えたり、一部の人だけれども心を動かすコトができる。これは今までに体験したことのない、非常にエキサイティングな経験でした。学生のときは、情報発信ができて人の心を動かすコトができる広告というものになんとなく興味がある程度で、その元となる「本気の原体験」というものが正直ありませんでした。しかし、ここでの体験は自分が情報発信したい、そして少なからず自分の携わったモノで人の心を動かしたいと思った本当の原体験になったのだと思います。




大きな成功体験より、小さな成功体験を積み重ねよう。そう思った。

僕は、いままで大きな成功体験というものがありませんでした。したがって、じぶんに自信など持てません。



せっかくのこの機会に、いきなり大きな成功体験というのは難しい。ならば、小さくても良いから成功体験を積み重ねよう、そう思いました。それからというもの、改めて自分のやりたかったこと、興味のあるものをリストアップし、それを着実に実行していく、という作業を行っていきました。




たとえば、



■音楽イベントを開催

■コピーライター養成講座の受講

■自分のメディアを持つこと




など、とにかく色々なことにチャレンジし、実験と検証を繰り返す日々が続きました。




すると友人の助けもあり、


■イベントでは200名を集客することができたり、

■公募のコピーライティングのコンテストでは、何度か入賞やグランプリを獲得することができたり(そんな大きな賞ではなかったけれど。)

■ブログメディアをスタートし、少なからずマネタイズができ「自分の力で稼ぐ」という経験ができたり




と、本当に小さいことではありますが、小さな成功体験を積み重ねることで、小さな充実感が大きな達成感へと変わっていきました。


そして、ほんのすこしだけ自分に自信が持てるようになりました。



もちろん周りを見渡せば、僕なんかよりも凄い実績・凄い経験・凄く頭の切れるひとは星の数ほどいます。ただそういった人たちと比べても自分が落ち込むだけなので、他者との比較などはせずとにかく「自分」が今までやりたいと思っていたことにコミットしていました。これは学生時代にほんと何もしていなかった自分への後悔がそのときの僕を駆り立てていたのかもしれません。



それでも、やっぱり行きたかった。

2012年も年の瀬となり、当時のぼくは25歳も残すところ、半分をきっていました。(わたし、5月生まれなのです。)



26歳は、勝負の年と決めていましたから次に何をしようか考え始めました。



就職か、このままか。。。

はたまた海外や人知れない田舎の方に行って一から人生をリスタートするか。。

(この時は本当にそう思っていました。)




さんざん悩みましたが、もういちど就職活動をすることに決めました。理由は、ただただ3年前に果たせなかった想いを叶えるためです。




そう決めたあとは、さっそく転職エージェントへ相談しにいきました。



「電通か博報堂へいきたい。」



いちど、転職活動は経験済みなのである程度の要領を得ていたつもりでしたので、今回こそは大手の代理店を目指そうと思いました。



今まで僕は大組織に所属したことがなかったので、その世界を見てみたい。大企業でしかできない(であろう)大きな仕事に携われたらなぁという気持ちがありました。



いま考えてみても超無謀な挑戦です。一度目の転職の際でも書類すら通らなかったのですから。でも、不思議とあながちいけなくもないんじゃないか。そんな風に思っていました。勝機もあるのではないかと。



僕のように新卒の3割が、3年以内に離職している時代ですし、その抜けた穴を求めている企業も多いのではないかと。また、去年に比べて少しづつ景況感も良くなっている。

うまく、自分のスキル(大したスキルもありませんが。)とマッチしその穴を埋めることができると思ってくれれば、あと根性論になってしまいますが、熱意があればなんとかなるのではないだろうかと。



そうでもしないと、今回転職活動する意味がなくなってしまうような気がしていたのです。




応援してくれる人、反対してくるひと。

いわば僕はフリーターです。普通に考えたらそうなのですが、そんなヤツが電通だの博報堂だの大手なんかにいける可能性はかなり低い。というかほぼ皆無に等しい。ただでさえ、正社員で働いていたときだって書類すら通らなかったのですから。



転職エージェントや家族・友人に大手の広告会社に行きたいと言ってはみたもののほとんど相手にされませんでした。むしろ、今のところで頑張って社員になった方が良いんじゃない?みたいな反応が多かったのを覚えています。



でも、それだけは諦めきれませんでした。なんか、今それを諦めてしまったらあとで本当に後悔してしまいそうな気がしてとても恐かったからです。だから、せめてチャレンジだけはしたい。そう思っていました。



また、大手代理店への挑戦を反対する人が多くいる一方で、応援してくれる人もいました。高校時代からの友人のYです。

彼とは、とても仲が良く学生時代や社会人になってからもよく2人で旅をしたりする仲でした。そしてお互いの考え方も良く熟知していたからか、彼は僕の背中を押してくれました。



また、5社ほど転職エージェントを当たりましたが、大手の広告会社を紹介して頂けない状況が続いていました。もう藁にもすがる想いで、様々なエージェントを当たっていました。すると、一社(T社)だけ私が希望するところを紹介してくださる会社が現れたのです。



ようやく第一関門を突破することができた気分でした。





フリーター、ギャンブルをする。

意外にも面接が順調に進むところもあり、2013年の2月の中旬には、とあるファッション系の広告代理店に内定を頂いていました。これも昔行きたいと思っていたところです。



しかし、僕の希望する電通・博報堂はまだ書類選考中でしたので、ここで内定を承諾してしまうと、もちろんそこで就職活動は終わってしまいます。電通・博報堂への夢は絶たれてしまうわけです。



なので、ギャンブルに出ることにしました。



内定を頂いたファッション系広告代理店の内定を辞退することにしたのです。 



もしかしたら、このあと他社で内定など貰える保証などなく、すべてが水の泡になってしまうことも予想されましたが。もう内定を貰える可能性などないかもしれなかったのですが。



ちなみに、その転職エージェント(T社とは別です。)の方にも、善意から、博報堂や電通など受かりっこないから、ここでファッション系広告代理店の内定を受諾した方がいいとも言われていました。



でも、一度決めた目標は諦めたくありませんでした。



2月下旬。せっかく頂いた内定を辞退したあと、電通と博報堂の書類選考が通過したとの連絡を頂きました。このときは本当に安心しました。でももちろんこれからが本番です。まだまだ油断はできません。



それと同時期に、なんとか大手PR会社と広告業界上位Y社の最終面接の選考へと進んでいました。




理想をとるか、現実をみるか。

3月の中旬には大手PR会社と広告業界上位のY社に内定。電通と博報堂は最終面接を受けていました。



なんとか無理を言って、大手広告会社を紹介して頂いたT社の担当の方でさえ、最終でも大手は落とされる可能性もあるから、ここでもう内定受諾した方が良いんじゃないか?とも言われましたが、生意気ながら首を横に振りました。「理想よりも現実をみろ」と言われた気がしてならなかったのですが。




そんな感じで、電通と博報堂の結果が出るまでもう気が気じゃない状況が続き、胃が痛くて食欲もない状況が続いていました(なんか凄くひ弱なキャラで恐縮です。)。ちなみに、1月いっぱいでそのアルバイトも辞めてしまっていましたし、貯金もほとんどないに等しい状況下にあったのでほんとどこも決まらなかったらどうしようと、半べそをかいているような感じでした。



そんななか僕のことを心配してくれてか、飲みに誘ってくれたり、フットサルをやろうと、さりげなく気分転換をさせてくれた友人達には本当に本当に感謝してもしきれません。彼ら・彼女たちによって僕の精神状態はなんとか保たれました。




「理想をとるか、現実をみるか。」


僕は、理想をとることにしました。

大手2社の結果を待つことにしたのです。



フリーター、博報堂へ。

そして迎えた3月下旬、ほんとにちょうど友人たちとお酒を酌み交わしているとき、転職エージェントのT社から連絡がありました。26歳を迎える直前の春のことです。



「青野さん、博報堂から内定のご連絡を頂きました。本当におめでとうございます!」




結局、電通と博報堂の双方から内定を頂くことができ、結果的に5社から内定を頂くことができました。





僕は、迷わず博報堂に入社する意向をつたえます。



博報堂出身のクリエイター、佐藤可士和さんや箭内道彦さんなどの有名なクリエイターや自分の好きな企業など、昔から何かと博報堂に入りたいという意識がありました。




他にも選択肢はありましたが、




僕は自分の気持ちに正直に『今』自分がトライしたいと思う環境で、

次のステップを進むことに決めました。







色んなことを言ってくる人がいるけれど、きっと最後は応援してくれます。

以上が、ちょうど今から一年ほど前の僕の体験です。



もしかしたら、わざわざ会社をやめてフリーターになる必要などなかったのかもしれません。こんな遠回りをしなくても、転職活動はうまくいった可能性だって十分にあったからです。また、色んな人に迷惑をかけることもなかったかもしれない。本当に申し訳ないという気持ちがある反面、「あの時」の自分に正直になってよかったなという気持ちも半分あります。非常に自分勝手極まりないのですが。



後悔だけはしたくなかったですし、やりたいと思ったことに対してチャレンジできたこと、一歩踏み出せたことで「小さな充実感」が積み重なり「大きな達成感」を得ることができました。





もちろん、現在就職活動されている方には新卒で自分の行きたい会社、自分のやりたいことが出来る会社に行って欲しいと思いますし、それが、会社にとってもみなさんにとっても一番いいことだと思います。





ただ万が一に、就職活動がうまく行かず、途方に暮れたり、せっかく入った会社に馴染めなかったり、イメージとは違ったり、時には、死んでしまいたくなることもあるかと思います。





僕も、もう本当にどうしようもなくなって、どっかに逃げてしまいたい。なんなら、死んでしまいたいと思うコトが数えきれないほどありました。本当に。





もし、そんなことがこれをお読みの方にもあった時には、僕の話を少しだけ思い出して見てください。もしくは友人や知り合いにそういった悩みがある方に教えてあげてください。あーあんな奴いたなーと。転職しまくってるけど、まぁ、なんとか生きてる奴がいたなと。




そう考えて頂ければ、少しだけ気分が楽になると思います。





このストーリーをお読みになってくださった方のなかでも、僕のように自分には何が向いているんだろうとか、やりたいことはあるのだけれど、なかなかその一歩が踏み出せない。なんていう方もいらっしゃると思います。そんなときは後先考えず我武者らに会社を辞めて、自分探しをしてください!


とは言いません。



僕のようなやり方はさておき、もし何かやりたいことがあるのならお休みの日でも、平日仕事終わりでも「やってみなはれ!」の精神でまずコトを起こすことが良いんじゃないかなと思います。松下幸之助さんではないですが。



そのやりたいことをしていくと、小さな充実感が積み重なるごとに大きな達成感へと繋がっていくことを感じることができるかもしれません。偉そうで本当にすいません。



結構僕は、ここまで書いてきたようにムチャクチャな四半世紀を送っています(笑)ここには書ききれないこともたくさんありましたが、それでも意外と楽しかったように思います。色んな「アクシデント」や「インシデント」もあとで笑い話になればいいなぁと、そういうネタが多い人生の方が、おじいちゃんになったときに面白いのかなぁと思ったりしています。




確かに、周囲の方にも色々とアドバイスを頂きました。でも、当たり前ですが、結局自分の道を決めるのは自分です。あとで、何かに挑戦することを断念して後悔するのは本当にもったいないことだと思います(僕自身、学生時代が後悔の連続だったので。。)。ですから、月並みな言葉ではありますが、「やりたい」と思ったときにそのやりたいを是非やってみるといいのかなぁ。と思っています。そうすれば、後で後悔することはゼッタイありませんから。




僕は、「お前は社会のクズだ。」みたいなことを言われたり、「また転職!?早いね〜w」と、スマホの画面からその文面を目にしたことがあります。



色々言いたいことはありましたが、結果が出なきゃ、何を言ってもムダだ。と思っていたので、自分の想いを行動で示したいていきたい、というのが本心でした。



でも、だからと言ってそういう人たちを憎んだり、嫌いになったりはしません。キレイごとのようになってしまいますが、苦言を呈してくれる方もいるからこそ改めて自分を客観的に見つめ直すことも出来ますし、いい意味で火に油を注いでくれます。活力になります。だから、頑張れたんだと思います。



最初は苦言を呈してくれた人々も、だんだんと僕の本気度が伝わっていくうちにそういったことも言われなくなってきましたし、途中で応援してくれるようになりました。そして目標を達成したときにはとても喜んでくれました。


キザな言い方にはなってしまいますが、きっと僕の想いがテレパシーみたいに通じたのかもしれません。グーグルグラスみたいなウェアラブルなものがやがて発展し、思っただけでその相手に伝わるテレパシー的機能を果たしてこれからの時代を席巻しそうですが、アナログな方法でも伝わるんだと思います。



また、その影でどんなときも支えてくれた両親や彼女、友人がいました。彼らがいなければ、僕はどこかで心が折れていたと思います。今となっては本当にそう思います。感謝してもしきれないぐらいです。



そんななかで、僕の心に響いた言葉もありました。

それは、僕がもうほんとに職が決まらなかったらどうしようかと、とてもナーバスになっていたとき。



僕がふと、



「もうどこも決まらなかったら、皆に合わす顔がない。ニートみたいな俺なんて。。。」



みたいことを言ったら、友人が、




「どこにいたって、ニートだってフリーターだってなんだって青野は青野じゃん。」




みたいなカッコいいことを言ってくれました。この言葉には、すごく救われたのを覚えています。この言葉一生忘れません。たぶん。




一生懸命やっていれば、誰かは必ず見てくれているんですね。




一度社会のレールを外れて(題名とは違いますね。)フリーターになった僕が、博報堂に内定を貰えた理由。




それは、



「諦めなかったこと。」そして、「支えてくれる人がいたこと。」




月並みですが、それに尽きると思います。意外と自分の信じた道というか、「なんとかなるっしょ。」みたいな感じで楽しみながら続けていれば(楽しめなかった時期もありましたが。。)、なんとかなるものだなぁと感じたのが率直なところです。





以上でこの話は終わりです。


自分の一部分をなんというかこうバプリックな場に出すのは性に合わないタイプだと思っているので、正直「後編」を書こうか悩みました。そうこうしているうちに前編から早5ヶ月。でも、こうして少なからず僕の話に興味を持ってくださったり、直接この話の続きが聞きたいと言ってくださった方もいらっしゃったのが、後編を書くことへのモチベーションになりました。(ありがとうございました。)また、僕も当時を振り返る意味も込めまして、後編を書かせて頂きました。




ただですね、またこの後、自体は変わってしまうのですが。笑

これはまた機会があれば、お話させて頂きますね。


特別凄い体験ではないのにも関わらず、こんな長い文章にお付き合い頂き本当にありがとうございました。
何かしら、これをお読みの方のお役に立てれば幸いです。

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小さな成功を積み重ねる
本当にそれがいちばんだなと感じました。
これから挑戦していく勇気をもらいました

AONO YUJI

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AONO YUJI

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