明日の朝いつもどおりに目が覚める保証なんてない

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今日の夜いつもどおりに眠りについて、明日の朝いつもどおりに目が覚める保証なんてない。

そんなことを考えながら、ベッドの中で目をつむる人が、いったいどれくらいいるというのだろう。

当たり前のことだと思っていないだろうか? 誤解しないでほしい。人は死ぬ、あっけなく死ぬ。

人の死がドラマチックなものとは限らない。あなたの人生が、あなたがそれとわからないうちに、フッと途切れてしまうことは十分にあり得る。

真夜中、突然の異変。意識がはっきりしないまま、もう二度と目が覚めることはない。それでも後悔しない人生を、みなさんは歩めているでしょうか。


これからするのは他ならぬ僕(@amanojerk)の話だ。だから個人情報への配慮なんか必要ない。くそくらえだ。

僕は医学生として、これまで多少なりとも人の生き死にに関わった。でも、それは僕にとって、結局まったくの他人事だったのだと思う。

どんなに心が震えるような場面に居合わせても、次の日にはおいしいご飯を食べ、しばらくすれば楽しくお酒を飲んでいた。

自分が本当に死んでしまうなんてわかっていなかった。自分の死が海岸できれいな貝殻を拾うようなフランクさで訪れるとは思っていなかった。

今ならわかる。明日の朝いつもどおりに目が覚めたとしたら、それはとても幸運なことだ。世界に感謝したっていい。

さて、僕の病気の話をしよう。


はっきりしない意識の中で、とにかく気分が悪かった。あれは真夏の夜だったけれど、全身の汗は気温によるものとは明らかに異質だった。

寒気がして身体がガタガタ震えた。胸にこれまでにない違和感があった。自分の胸がゆっくりと内側に裏返るような感覚といえば近いかもしれない。

悪い夢の中でもがくような気分で、僕は枕元の携帯電話を手に取った。時間は午前3時を少し回ったあたりで、正直そのあとのことはよく覚えていない。

119に電話をかける自分の声を、他人のもののように聞いた。立って歩くこともできないのに、ただ「ドアの鍵を開けておかなくてはならない」と繰り返し思った。

救急隊が到着したとき、僕は玄関のドアノブの下に倒れていたようだ。うわごとのように「●●大学の学生です」と繰り返していたとはあとから聞いた。

次に気がついたとき、僕は自分の病院のベッドにいた。急性心筋炎と診断された。


あの夜、いつ眠りについたかも覚えていない。寝る前にどんなことを考えていたかもわからない。

救急車が到着するまでの時間も、ただ苦しくてなにも考えられなかった。パニックになったまま、次にとるべき行動を必死に探していた。

もし僕が救急車を呼べなかったら。救急隊が鍵を開けるのに手間取ったら。病院で適切な処置を受けられなかったら。そこで死んでいた。

なによりも怖いのは、最後の記憶があいまいであることだ。人生を振り返る余裕なんてなかった。そもそもなにが起きているのかわかっていなかった。

僕はずっと、明日は今日のつづきだと思っていた。明日までにやるべきこと、来月までにやるべきこと、来年までにやるべきことを考えて生きていた。

でも、それは間違いだった。明日の朝いつもどおりに目が覚める保証なんてない。


急性心筋炎とは、基礎疾患のない人が風邪のような症状で数日経過し、とつぜん動悸や胸部不快感を発症、重症化すると急性心不全症状を呈して死亡する病気だ。

人口10万人に対して150人の頻度で発生し、ウイルスや細菌など関与が疑われているが、原因のわからない特発性の場合も多くある。

完治すれば予後はよく、病前と変わらない生活が送れるが、病室で主治医に説明された入院時の検査データだけ見れば、はっきり言って僕はすでに死んでいた。

ヘタに知識があるのも考えもので、振り返るとゾッとする。


患者さんからは、ボケてまで長生きしたくないとか、ガンで苦しんで死にたくないとか、そういう訴えを耳にすることが多い。素直に同感だと思う。

でも、それはもしかしたら贅沢なことなのではないだろうか。自分の死に際して、ある程度の準備や覚悟ができるというのは。

いつかボケることやガンになることに怯えるある日、僕たちの人生は頭上から落ちて来たコンクリートのかたまりによって強制終了されるかもしれない。

『memento mori(死を記憶せよ)』とはよく言ったもので、しかし本来この言葉は「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」という意味だった。

人間がいつか死ぬ以上、楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいものであることを強調する意味合いとなったのは、キリスト教文化が発展した後のことであるらしい。

どっちもどっちだな、と僕は思う。



今日の朝いつもどおりに目が覚めたあなたは幸運だ。そして、今日の夜いつもどおりに目をつむるあなたは、そのことを知っておくべきだ。

そして、ときどきは、一日の終わりに自分を見つめ直す時間が取れればいい。自分にとっての幸せを思い返しながら眠りにつければいい。

覚悟こそ幸福だなんて大袈裟だけど、それは少なくとも幸福な時間であるはずだ。


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これが怖くて、保育園の昼寝の時間が拷問のようでした。

誰だって怖いからこそ、目を逸らすのではなく、まっすぐに向き合いたいものですね

とても深い話ですね。常に心の片隅に死を感じながら生きてゆくことは、より充実した生を生きることになるのではないでしょうか?生と死は太陽と月に象徴されるように対極でもあり、2つで1つであるとも言える。死は次の生につながっていると、私は信じています。

Kuchiki Seiichiro

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